「ブルースフィア」
少し広めの風呂場に、大量の水がざばぁと溢れた。
その中にレッドボールを幾つか放り込むと、ホカホカと湯気が上がってくる。
「あっちち……」
少し熱くしすぎたようだ。
ブルーボールでそれを薄めるが、今度は逆にぬるい。
うーむ久しぶりなので、魔導を使う感覚がうまく掴めないな。
レッドボールとブルーボールを交互に使い、何とか入れる温度になった頃にはワシの身体はすっかり冷えてしまっていた。
身体へ湯をかけようと手桶を取ろうと手を伸ばそうとして、失った左腕を自覚する。
「やはり不便だな……」
グレインの攻撃で奪われた左腕。
日常生活はそのうち慣れるだろうが、戦闘となると不利は免れないだろう。
ワシはまだ魔導師だからマシな方だ。神剣アインベルを使う際は不便だが。
「そう言えばアインの奴は……?」
グレインとの戦いで神剣アインベルはその刀身をへし折られ、消滅してしまった。
あの時、アインは大丈夫だと言っていたがどうなったのだろうか。
サモンサーバントを念じてみるが、アインはあらわれない。
そもそも回復したのであれば、呼ばなくても出てくるハズだよな……と、そこまで考えたところでワシは顔を青くする。
折れた時にはうっすらと感じていたアインの気配が、ワシの中から完全に消滅していたのだ。
アインを維持するには、魔力の込められた石である高級媒体を常に消費する。
その数一日十個ほど、大飯喰らいのアインを三年間、放置し続けていたのだ。その結果は……想像したくない。
「まさか餓えて死んでしまったのでは……」
思わず風呂場を飛び出そうと扉を開けると、脱衣場にて服を脱いでいるミリィと思いきり目が合う。
「きゃああああっ!?」
ギリギリで前を隠したミリィは、悲鳴を上げつつワシが開いた扉を締める。
危ない、扉で手を挟むところだったぞ。
「しかし……何をしているのだ、ミリィ」
「えと、その……片手で身体洗えなくて、困ってるかと思って……」
ゴニョゴニョと消え入るように呟くミリィ。
さっき一人で大丈夫だと言ったろうに。まぁ返事をした時は片腕が無いのを忘れていたからで、確かにその、助かるではあるが。
っと、そんな事よりアインだ。
「それよりミリィ、アインの奴を知らないか? ワシが倒れている間に何かなかったか?」
「……アインちゃん? ん~そういえば前にゼフの看病してる時にいきなり出てきて、しばらく留守にするって言ってたわよ?」
「留守……だと……?」
「うん、ゴハンが貰えないから故郷に帰るってさ」
「そう……か」
ふぅ、と大きくため息を吐く。
何とか死んではいないようだな。三年も寝たきりのワシの傍にいるのは退屈だろうし、留守にするのを責めるつもりはない。
ワシが思考を巡らせていると、後ろの扉がガラガラと開き、裸の上にバスタオルを巻いたミリィがあらわれた。
胸元でバスタオルを握り締めたミリィは、ほんのりと顔を紅潮させている。
「そ、そんなジロジロ見ないでよ……」
「いや、バスタオルがずり落ちそうだと思って……ごふっ!?」
「……ばか」
脇腹にミリィの拳が突き刺さる。
おいこっちはさっきまで三年も寝込んでいたのだぞ。
「ほらっ! 後ろ向いて!」
無理やり座らされ、頭からお湯をかけられる。
石鹸と湯で前が見えぬ状況。ミリィの小さな手でワシの髪の毛が洗われていく。
「どう? 痛くない?」
「あぁ、いい気持ちだ」
ワシの言葉に気を良くしたのか、ミリィは頭から首すじ、肩から背中をスポンジで丁寧に洗ってくれている。
絶妙な力加減にウトウトとし、つい力が抜けてミリィに身体を預けてしまう。
「ひゃっ! ち、ちょっとゼフったら……」
それでも避ける事はせず、そのままワシを抱きかかえたままだ。
背中にミリィの薄い膨らみを感じていると、またお湯をざばぁとかけられた。
「……前も洗ってあげよっか?」
「……遠慮しておこう」
ミリィからスポンジを受け取り、正面を洗っていく。
むぅ……寝起きだからか、少し敏感になっているな。
「はぁー……気持ちいいね」
「あぁ」
ミリィと共に湯船に肩まで浸かり、大きく息を吐いた。
やはり風呂はいい、まるで生き返るようだ。
実際生き返ったようなものだしな。
「あのねゼフ。ずっと言いたかった事があるんだ」
「……何だ?」
「ありがとう」
ちゃぷ、と水の跳ねる音が鳴る。
ミリィが湯の中で、ワシの手を握ってくる。
「私を助ける為に片腕を無くして、三年も眠っちゃったんだよね……」
「……気にするな」
「するよっ!」
更に強く、強くワシの手を握りしめてくる。
その目は潤み、今にも泣いてしまいそうだ。
「気に、するよ……いつも効率効率って言ってたゼフの、大事な時間をいっぱい奪っちゃったんだもん」
――――効率、か。
ワシがミリィの為に捨てたそれを、今度はミリィが気にしていたとはな。
皮肉なものだ。
「だから私が一刻も早く治して、ゼフの無くした左腕の代わりになろうと決めたの」
ミリィはワシの失った腕へ重ねるように、その身体をワシに押し付けてきた。
そして顔を近づけ、こちらを見上げる。
「クロードじゃないけど、私もゼフのモノだから……ゼフの好きに、使っていいから……」
「ミリィ……」
健気に抱きついてくるミリィへ応えるよう、その小さな背に腕を回して抱き寄せると、ミリィの肩がぴくんと震えた。
ゆっくりと、ミリィの小さな背を撫でてやると小さな傷痕が指先に引っかかる。
以前はなかった傷痕、少しだが筋肉も付き、魔力線も強く鍛えられている。
ワシの意識を取り戻す為、意識を取り戻したワシの力になる為、ミリィは魔物と戦い、ダンジョンを駆けずり回り、己を鍛えていたのだろう。
よしよしと頭を撫でてやると、心地よさそうにワシへと身体を預けてくる。
「……3年と腕の一本程度大した支障にはならんよ。ワシは魔導を極めて見せるさ。もちろんミリィの、皆の力を借りて、な」
「ゼフ……」
「だからもう泣くな」
ワシの言葉に感極まったのか、ミリィは目じりにいっぱい溜まった涙をごしごしと拭いてにっこりと笑った。
それでいい。ミリィに涙は似合わない。
しかし三年か。確か島へ来る前にあった天魔祭、その開催者は空の五天魔であるイエラだったハズ。
とすればその三年後は……。
「……どうしたの? ゼフ、悪い顔して」
「なに、丁度目標が出来たなと思ってな」
天魔祭は五天魔が順に開催する。
その順序は緋、魄、空、翠、蒼の順だ。
とすれば来年の天魔祭はフレイムオブフレイム、緋の五天魔が祭りを開く。
その締めにある号奪戦で勝利すれば、ワシがフレイムオブフレイムの称号を手に入れることが出来るワケだ。
一年もあれば鈍った体を鍛え直し、号奪戦に勝利する事は十分に可能であろう。
「腕が鳴るではないか……確か今、お前をワシの好きに使っていいとか言っていたな? ミリィ」
「えと……お手柔らかに……」
「くくく……」
現フレイムオブフレイム、バートラム=キャベルは歴代の五天魔の中で最強と言われる男だ。
ワシが前世で首都に初めて来た時、魔導の腕は衰え始めており、孫に五天魔の称号を譲った後であったので残念ながらバートラムの戦いを見た事はない。
ちなみに以降は魔導師協会の会長を務めていたと記憶している。
何度か顔を合わせた事があるが、その魔力量はただの人間でありながらエルフのイエラに匹敵する程で、その力強さにはつい萎縮してしまったものだ。
恐らく今の年齢は三十五くらいか、年齢的に最盛期と言ったところか。
歴代最強の五天魔を倒し、フレイムオブフレイムを奪還する。
次のワシの目標としては申し分ないではないか。
にやにやと込み上げる笑いを押さえぬワシを、ミリィが少し離れたところで愛想笑いを浮かべ、眺めていたのであった。