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発達障害が人類を引っ張ってきた!? : アゴラ - ライブドアブログ

 

これは最新の記事ではないが、フェイスブックによるコメント欄におもしろい投稿がされている。

 

難しいのは環境が特殊状況下に育った人と生まれつき(真の発達障害)の人の差を見極める事です。

誤診は巷間でしばしばみられ、活躍している人に対して例えばイチローなどがそうだと言う人が居ますが、とてもそうは見えません。織田信長の様な端々まで目が効く人がアスペルガーである可能性も皆無でしょう。周囲の気を使わないのは貴人なので必要がないからです。それが障害ならば障害と言う必要がありません。

 

たとえば、すごい美人が人格障害だったとして、その美貌が維持されているあいだは人間として社会で生活していくうえで、なんの”障害”も発生しないのである。王様が家臣にへりくだる必要が、あえてそうする以外に無いという意味である。

 

300万円の借金に苦しんでいる人が、ある日、拾った宝くじで3億円が舞い込んだら気が楽になるだろう。それを「鬱病が治った」と表現(あるいは診断)していいのか。モテなくて精神の具合を悪くしている人に、ある日、親切な美少女が跨ったら、とりあえずはハッピーになるものだと推測できるが、これを「鬱病が治った」と表現(あるいは診断)していいのか。わたしはこのことをずっと悩んでいて、ノイローゼ(死語である)になりそうである。

 

「気は優しくて力持ち」というのは「健全な魂は健全な肉体に宿れかし」と同じ意味というか、祈りが込められている成句だと想像するのだが、筋肉増強剤ユーザーが暴力的な衝動を発しやすいというのは、どうもステロイドの医学的な作用によるものではないらしいのだが、まあ、力が強かったら優しくなるわけがない。優しさというのがそもそも、力が強くない人間が無理やり生み出した架空の価値観であるからして。