2014-08-28

人はなぜ働かなければいけないのか

夏目漱石は、はたらくことは人間性のうちの有る部分しか使わないものだと認めながらも「人は働かねばならない」と考えていました。「労働神聖である」などとは全然考えてはいない現代のわれわれも、やはり「働いてこそ一人前である」と言います。そして、一部の人を除けば、「食べていける資産をもっていようといまいと、やっぱり働くべきだ」と思っていますしかし、なぜわれわれはそう思うのでしょうか。「働く」ということの意味は何なのでしょう。

先日、ワーキングプアに関するNHKテレビ番組を見ていたら、三十代なかばホームレス男性のことが紹介されていて、いろいろ教えられるところがありました。その男性は、公園に寝泊まりし、ゴミ箱から週刊誌などを拾って売り、命をつないできたのですが、運良く市役所から、一ヶ月のうち幾日か、道路の清掃をする仕事をもらうことができたのです。番組は彼の姿を追っていろいろ話を聞くのですが、その彼が最後に目頭を熱くして泣くシーンが映し出されました。

彼によると、一年前だったら、何があっても涙が出ることはなかったそうです。ところが、彼は、働いているときに人から声をかけられたのです。何という言葉をかけられたのかはわかりませんが、たぶん「ご苦労様」に類するようなことばだったのではないでしょうか。「以前だったら生まれてこなければよかったと言っていましたが?」という取材者の問いに、「今もそう思う」と答えた彼は、ちゃんと社会復帰すれば、生まれてきてよかったとなるんじゃないか、と言って言葉を詰まらます。そして、前だったら泣かなかった。普通人間としての感情が戻ったのかも知れない、と言うのです。


これはとても象徴的で、「人が働く」という行為の一番底にあるものが何なのかを教えてくれる気がします。それは、「社会の中で、自分存在が認められる」ということです。同じようにその場にいても、ホームレスとしてたまたま通りかかっただけだったら、声をかけられることはなかったはずです。一生懸命働いていたからこそ、ねぎらいの声をかけられた。人が一番つらいのは、「自分は見捨てられている」「誰からも顧みられていない」という思いではないでしょうか。誰からも顧みられなければ、社会の中に存在していないのと同じ事になってしまうのです。


社会というのは、基本的には見知らぬ者同士が集まっている集合体で有り、だから、そこで生きるためには、他者からなんらかのかたちで仲間として承認される必要があります。そのための手段が、働くと言うことなのです。働くことによって初めて、「そこにいていい」という承認が与えられる。働くことを「社会に出る」と言い、働いている人のことを「社会人」と称しますが、それはそういう意味なのです。「一人前になる」とはそういう意味なのです。


社会の中での人間同士のつながりは、深い友情関係恋人関係家族関係などとは違った面があります。もちろん、社会の中でのつながりも「相互承認」の関係には違いないのですが、この場合は、私は「アテンション」というような表現が一番近いのではないかと思います。清掃していた彼がもらった言葉は、まさにアテンションだったのではないでしょうか。ですから、私は「人はなぜ働かなければならないか」という問いの答えは、「他者からアテンション」そして「他者へのアテンション」だと言いたいと思います。それを抜きにして、働くことの意味はあり得ないと思います。その仕事が彼にとってやりがいのあるものかとか、彼の夢を実現する者なのかといったことは、次の段階の話なのです。


「悩む力」

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    ははっ 涙ごときにだまされてはいけない 「以前だったら生まれてこなければよかったと言っていましたが?」という取材者の問いに、「今もそう思う」と答えた彼は、ちゃんと社会復...

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      ダメ人間と認定される側が一般論的に正しくて、ダメ人間と認定する側がちょっと病んでるケースもあるんだけどね

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    大昔に↓エントリを書いたことが有るんだけど 仕事でやりがいって、取締役以上の人間しか関係なくね? http://anond.hatelabo.jp/20100725230513 確かに一人の意見をゴリ押しして生きていける...

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