バランス

世界と聞いてわたしが思い浮かべるのはいつでも大きな天秤の皿の上で、わたしたちはいつもそこで食べたり働いたり眠ったりしている。もういっぽうの皿の上にも同じような世界があって、そこではまた別な人たちが眠ったり働いたり食べたりしたりしている。

この世における幸福の総量は決まっていて、誰かが笑えば誰かが泣くというのは映画の台詞だったか小説の一文だったかもう忘れてしまったけれども、わたしもそんな風な考えの持ち主で、だからかなしいことがあると天秤を思い浮かべるのかもしれない。今どこかで誰かにはうれしいことがおこっているのかもしれないと。それで心が慰められるほどにお人よしではないけれども。

そう考えてみると幸福をひとりじめしているように見えるあのひともあのひとも、一生という単位で見ると受けとる幸福の量はその他のひとと大して変わらないのかもしれない。良いことと悪いことはたいていふたつ一組でやってくるから。二人三脚みたいにして。あるいは時間差で。

わたしは毎晩夢を見る。
トイレが汚くて用が足せないとか地下鉄の出口が見つからないとか車で海に突っ込むとか歯がどんどん抜けていくとか火事になるとか、そういういやな夢ばかりを見る。
いやな夢というものは厄介で、目覚めてもしばらくはそこかしこに破片が散らばっていて、うっかり踏みつけると気分が沈む。けれども心のどこかで安堵もしている。今日の悪いことはもう夢で済ませてしまったから、あとはなにか良いことがおこるかも、などと。

どこかの誰かは楽しい夢を見たのだろうか。夢の世界にも天秤のしくみはあるのだろうか。
良い夢を見たひとも、悪い夢を見たひとも、まあお互いにがんばろうぜ程ほどにね、と言っておく。天秤皿の隅っこから。