平成18年になって、突然、それまでほとんど関心のなかった、新・旧司法試験の受験生を相手とする仕事をすることになった。
平成18年から従来の司法試験と法科大学院卒業生を対象とする司法試験とを2本立てで行う移行期間が開始され、この移行期間は平成23年まで続くことになっている。
現在は法曹(裁判官・検察官・弁護士の総称)になるための試験はダブルスタンダードになっているということである。
従来の司法試験は旧司法試験(短答式、論文式、口述の3段階で選抜される)と呼ばれ、法科大学院の卒業生を対象とする司法試験は新司法試験(短答式と論文式を一挙に行い、短答式の点数で足切りが行われる)と呼ばれている。
両試験共に法務省が管轄している。
平成18年から昨年まで3年間、旧司法試験の民事訴訟法担当の考査委員をした。
私の受験生時代は司法試験の考査委員(当時は司法試験委員といった)は高名な学者か司法研修所の教官がなるもので弁護士はほとんどおらず、試験委員は私達受験生にとっては雲の上の人であったから、私を司法試験考査委員に推薦したいと弁護会から話があったときは耳を疑ったが、現今は委員も多くて、弁護士の委員も在京の弁護士を中心にそれなりにいる。
法務大臣から考査委員に選任され、3年間の任期を無事に終えて昨年退任した。
考査委員の任期中は、定期的に霞ヶ関の法務省に出向いて考査委員会で試験問題の作成や検討、及落判定などを行い、夏の暑い盛りに山のような論文式の答案を読んで採点し、秋にはディズニーランドの近くの法務省の施設に出向いて朝から晩まで受験生の口述試験を行った。
特に論文式の答案の採点は肉体的にも精神的にもかなり疲れた。
今年からはこれがなくなったからホッとしている。
旧司法試験の合格者は、高等文官司法科試験からの移行で試験制度が始まった昭和24年から昭和32年までは約300名弱、昭和33年から昭和39年にかけて500名程度まで漸増し、昭和40年から平成2年までは500名前後で推移したが、平成3年から平成11年までは1000名程度までさらに漸増し、平成12年から更に増加して平成17年には1500名弱になっていたが、移行期間が開始した平成18年は約550名、平成19年は約250名、平成20年は約150名と終了に向けて順次減少させており、平成19年と20年は合格率は1%程度となっていて、すごい競争率である。
また、平成18年から現在まで、甲南大学法科大学院の教授として、倒産法を担当している。
倒産法は旧司法試験の受験科目にはないが、新司法試験の選択科目の一つであり、選択科目は8個あるが、そのうち1科目を選択受験することになっており、倒産法は第2位の選択者数で、受験生の約25%が受験科目として選択している。
甲南大学法科大学院は他の法科大学院とは異なり、倒産法は2単位が4個あって合計で8単位と単位数が多く、今年は私が全部担当している。
履修が必須の科目ではなく選択科目であるが、選択科目も一定数以上の単位取得がないと卒業できないから、新司法試験の選択科目とするかどうかに関係なく受講生がいる。
私の講義は余り人気がない。
その理由は、講義が下手か、内容が難しすぎるか、平気で不可をつけるかのいずれかであろうと考えている。
法科大学院の院生は新司法試験を受験するために法科大学院に入って来ているので、新司法試験の(潜在的な)受験生ということになる。
新司法試験の方は、当初は最終的には合格者を3000名程度として、受験者の7、8割が合格する制度として構想されたが、文部科学省が法科大学院の設置を簡単に認めたために、法科大学院が乱立して、1学年の定員が5500名程度まで膨らむ一方3000名の合格枠自体が諸般の事情から怪しくなっている。
移行期間である平成18年の新司法試験の合格者は約1000名で合格率は48%程度、平成19年の合格者は約1850名で合格率は約40%程度、平成20年の合格者は2065名で合格率は33%程度となっていて、今年は何名合格させるかわからない(2500名から2900名程度が目安となっているが、質を考えるそこまで行かないのではないか)が、受験者は7392名と公表されているから30%代の合格率になるのではないかと予想される。
非常に長い前置きになったが、法曹になるための最初の関門である司法試験から見た法曹の質について考えていることを述べてみたい。
まず、ここでいっている法曹の質とは、専門家としての法律知識と解釈能力のことであり、倫理観を持って仕事をしているとか人の話をよく聞くとか親身になって仕事をするとかテキパキ仕事をこなすといった人格的な法曹としての資質のことではない。
法曹となる最初の関門である司法試験ではこのような人格的資質は評価対象となっていないからである。
司法試験の合格者を増やすことは相対的に専門家としての質を劣化させることは明らかである。
今までは司法試験に合格できなかった者が合格者の増加で合格できるようになるからである。
法曹の質の問題は、どの程度の専門知識や解釈能力を持っている者に専門性を認めて法曹とするべきかという抽象的な問題に帰着するが、国民からみて、どの程度身近に法的サービスが受けられる必要があるかということとのバランスで決められる問題でもある。
昨今は合格者の増加につれて法曹の質を云々する意見も法曹人口問題との兼ね合いで強くなってきている。
法曹、特に弁護士を増やして自由競争をさせれば、国民は選択の幅が広がって身近で安価で良質な法的サービスを受けられると考えることは幻想である。
法曹の質が一定であればそういえるかも知れないが、弁護士の能力を適正に評価することは法律の素人である国民には無理であり、出来の悪い弁護士に当たったときは、守られるべき権利も守られなくなり国民が被害を受けるということにもなりかねない。
旧司法試験の考査委員を3年間した感想は、受験生は総じて、条文、法律用語、学説などの法律知識をある程度持っているが、基礎的事項から演繹・帰納して解釈したり推論したりする能力に劣るということである。
悪くいえば、色々暗記しているが、その内容を理解していないのである。
つまり、受験予備校などが出しているマニュアル本などを丸暗記して、どのように答案を構成するかというようなテクニカルなことに振り回されて、自分ではほとんど考えない受験生が多いということである。
論文式の答案は、大体、どの答案をみても、表層的で同じようなことが書いてある。
暗記してきたことを書こうとしていることは明らかで、出題者が要求していることが的確に書かれている答案は非常に少ない。
大量の金太郎飴を食べているようで、読んでいてうんざりするが、稀に自分でよく考えて自分の言葉で的確に書かれていると思われる答案もあり(よく考えているが結論は誤りだという答案もある)、このような答案を見ると嬉しくなる。
口述試験では、質問すると自分で考えないで何とか思い出そうとしている受験生もいるようである。
口述試験も、論文式試験と同じく、基礎的法律知識はともかくとして、記憶力を試す試験でない。
最終の合格率が1%程度にまでなったから合格者(100人に1人ということになる)のレベルが上がったかというとそうでもなさそうである。
法曹になると、条文、判例、学説がない事態に遭遇することも多く、丸暗記型でテクニック重視の人が、1年4ヶ月程度の司法修習で法曹としての必要な資質を獲得できるという保障はないから、このような人がこの業界に入ってきても大丈夫か多少不安になる。
偉そうなことを書いてきたが、私が司法試験に合格した34年前の記憶はかなり薄れているものの、私自身が、考査委員として採点した論文の合格答案や口述の合格レベルに達していたかどうかはかなり怪しいものである。
私達の時代より最近の受験生の方が多くの法律知識を持っていることは間違いないように思える。
新司法試験の方は、考査委員をしたことがないから事情はよくわからないが、色々なことを聞くと、受験生は旧司法試験の受験生(ただし、旧司法試験の短答式試験合格者)より更にレベルが低いのではないかと思う。
法科大学院では、自分の頭で考えて理解することが大事だといっている。
講義は真面目に聴いているが、試験の答案やレポートを読むと、初学者も多いせいかも知れないが前提となる基礎的な法律知識そのものが危うい者がかなりいる。
また、急激に合格者を増加させたことから、勤務弁護士として就職できない人も増えているようである。
世間には弁護士の増加に見合う仕事自体がないのである。
甲南大学法科大学院で教えた人もかなりの数、今年の新司法試験を受けたので、できるだけ多く合格してほしいという祈るような気持ちはあるが、あれやこれや考えると、単なる思いつきに過ぎないが、司法試験の合格者は、法曹の最低限の質維持のためには、私達の頃の3倍程度である年間1500人程度でよいのではないかというのが、最近になって多少なりとも司法試験に関与してきた私の現在の偽らざる感想である。