それらは小さい頃から継続して置き去りにしてしまったものも含みますが、書ききれないぐらいたくさんありますね・・・今回は「出来るはずだったこと」に絞ってお話します。
「出来るはずだったこと」は「人間関係をひとつひとつ大事にすること」でした。
今までの自分は人を選ぶように傲慢に生きていた気がします。人は少なからず無意識的にやるものかもしれませんが、自分の場合は表に出やすかったのかもしれません。よく親からも「一人で生きている気になってる」と指摘されることもありました。
今の人間関係って、ツールやデバイスに残すのが常識ですよね。いつでもアクセスできる便利なネットワーク上のSNSやアドレス帳などです。それでも、SNSの更新やいいね!が面倒になったり、snsやフリーメールのアカウントやパスワードを忘れてしまってい、ひっそりと関係が薄れていく・・・
薄れた時点で何かするべきなのかもしれませんが、無礼を承知で正直に言うとそこまで人に興味が無かったのでしょう。SNSや物理的移動の欠点を利用して、移動の度に人間関係をリセットしていました。
元々、自分は他人からどうこう言われても気にしない性質ですが、おそらく人に対して心の底から感謝していないと思われがちなのです。そしてそれは的確な指摘だと思います。でなければリセットなんてしません。
そこが自分の弱点です。どんな友達でも恋人でも恩師でも、「その場での付き合い」に留めることでうまくいかなかったことを消し去る。新たに再出発するための自己防衛がやや過剰に働いている気がします。自分の人生を「新規フォルダ作成」で分裂させているのです。東京時代の自分、イギリス時代の自分、仙台での自分などなど・・・
各フォルダの最終更新日とデータ量が多い「人」のみに絞っていけば、自分の周りにいる人々、いてほしい人々って漏斗のような感じでどんどん洗練されていくのかもしれない・・・そんな虚しい考えが根底にあったが故の人間関係のリセットなのかもしれません。
「置き去り」にしたものの1つは「出来る筈だったこと」で、それは「人」を大事にすること。
25歳にして自分が考えてようとしていなかったことに今更気づきました。それがとても大事で、ここまで気持ちにわだかまりを持たせるものなんだなと。
時間が経てば、脳内で忘れるべきもの、覚えておくべきものが自動処理されていくのでしょう。フィルターのような感じですかね。そして今必要なもののみが残っていく。もしくはすぐに引き出せるデータとなる。
不都合なこと、嫌なことは忘れ、そして、新たな体験に飛び込み、新しい自分を作っていく。それはそうなんですが、やっぱりどうにもこうにも、しこりのように何かが残るものなのです。
”自分は時間の連続性の中に存在している”と何かで読みましたが、何かを置き去りにしていくことは、過去の自分との断絶に繋がり、それは今までの自分を否定しているような、そんな感覚にさせられるのでしょうか。
でも人は変わりますし、忘れます。
だからこうやって、今は何にもならないかもしれないブログを書いています。
今まで断片的にしか行わなかった自分の感情や思いを文字に起こして表現する。時には情報を豊富にするために、音楽や写真、動画などのメディアを混ぜ合わせる。記憶のトリガーとなる装置をたくさん残しておく。
「未来の自分」と言う「新規フォルダ」にいる「全くの別人」に伝えたい形にして、思いを残しているのかなとも思います。
転職に伴い、人間関係は多かれ少なかれリセットされます。昔の自分のように、ないがしろにしないつもりで人と関わり続けようと思います。
前進しているときにこそ少し立ち返るのも大事だな、と思った夏終盤です。
ブログしてなかったらこんなこと絶対書かなかったと思います。でもちょっと考えれば色々出てくるものですね。何故か少しハッピーな気持ちになりました。
おまけ
自分は海外の音楽ばかり聴いて、日本の音楽は疎いもので・・・
日本に戻って、東京に来てから、ということを今更意識し始めた自分にぴったりな「東京」という曲を見つけました。歌詞の内容は、東京で恋人が出来た人にはどんぴしゃかもしれません。
このバンド初めて知りましたが、ロキノン系と思いきや元々ポストロックなのですか。じゅるり。
ふくろ