櫻井脚本の「相棒」を観る【右京の「黙示録」】
17年以上も受刑していた人が「犯人ではない可能性が高い」と釈放され、裁判がやり直されることになった“足利事件”に関する報道を見ました。
DNA鑑定のめざましい進歩(それに対する、800分の1で同じ結果が出てしまうレベルだった導入当時の精度の低さ)や、犯人であることを前提として始まるかのような捜査・見えない取調過程の怖さが伝わって来る一方で、文章の読み方からしてコツが必要そうな「明らかな証拠に該当することは争わない」??検察側の意見書に対しては、裁判員制度で取り入れられることを目指すらしい“一般の人の感覚”とはどこらへんのもので、果たしてそれは罪の有無や量刑の判断への参加という形で実現するものなのだろうか?と改めて戸惑いを覚えるのがやっとでした。
架空の物語(創作物)というものの役割が、見る者の感情移入を媒介に現実に関心を持たせ、時に理解を助けるはたらきを持つことだとすれば、「相棒」にあって特に法の制度に常に鋭い視線を投げかけ続ける櫻井氏脚本の作品群を思い出さずにいられないのですが、中でも、裁判員制度のテストケース(という物語上の設定。シーズン6第1話「複眼の法廷」)を巡り登場した“司法の良心”にしてしたたかな切れ者、三雲判事との再びの対峙が描かれるシーズン6最終話「黙示録」では、無実の人が死刑を言い渡され、長年にわたり拘置された上に病死してしまったなら?という衝撃的な“もしも”から物語が語り始められることになります。
獄中で「病死」したある死刑囚のやけに念入りな検死と、19年も刑が執行されなかったことを右京が疑問に感じるさなか、逮捕、裁判に関わった刑事や検事が相次ぎ殺される事件が起きる。
事件は冤罪ではなかったか?という美和子の後輩記者の言葉に激怒する被害者の元恋人。息子の無実を信じ続け、警察や裁判所への憎しみを顕わにする死刑囚の父親。殺害される直前の刑事が照合しようとしていた指紋が死んだ死刑囚とは異なる“真犯人”のものであった可能性。もつれる糸の中で捜査を進める右京は、当時の裁判に関わった判事の一人であり、命を狙われる可能性のある対象として三雲と再び相見えることになる・・・
複雑な構図を整理するために導入されたと思われるのが、法相の職を捨てキリスト教に帰依したシスター・ゆり江という“(敢えて)物語的な存在”であり、彼女が存在を暗示する『黙示録』に導かれるように右京が解き明かしていく事件の真相、「複眼の法廷」から繋がる謎として明らかになっていく三雲の行動と苦悩が、観る者を否応なくその世界へと引き込んでゆきます。
自らも糾弾されることを覚悟しながら冤罪を立証しようとする過程で殺されてしまう刑事、米沢はもとより(日ごろは特命係と仲の悪い)捜一トリオもまた本来は思いを同じくすることが明示される事件解決にかける熱意、そして真犯人が明らかにされることで過去の冤罪が立証されるダイナミックな展開には、ミステリ・刑事ドラマとしてのカタルシスが溢れています。
また、贖うべき相手が既にこの世を去っているという救いのない虚しさの中で、林隆三氏演じる父親と石橋凌氏演じる三雲が互いの背負い続けたものの中で向き合うクライマックスが微かな光明をもたらすのも、「相棒」が良質のエンタテイメントである所以かと思うのですが・・・
そこで終わらないのもまた「相棒」の特徴であり、冤罪を着せられた無実の人の20年近くの歳月を、「労働義務のない死刑囚の場合」として刑事補償法に基づく賠償額でざっくり計算する法務省の言葉が空恐ろしくなる終盤のシーン、そして一見『黙示録』に迫ったかに見える右京もまたその根源にまで到達したわけではなく、彼自身、この物語が冤罪を巡る戦いの終わりではなく始まりの一つに過ぎないと意識していることが書き込まれる---(刑事事件としては裁けない「複眼の法廷」での三雲の行動の真相=“自供”について)「現在の日本では最も強い証拠です。冤罪を生むほどに」と悪意のない皮肉をもって語るラストシーンにあって、覆すことの出来なかった冤罪事件を悔恨の思いと共に背負い続けた三雲に対してすらとどめを差す手を緩めない【櫻井版右京】の凄惨さ、その破壊力とは裏腹の異様なほどの静けさが、観る者を震撼させます。
あくまで「相棒」という創作物語の一篇としてみるなら、このラストシーンでは同時に、右京の無二の相棒であるはずの薫が、一応の大団円を迎えたかに見えた事態の裏で右京の破壊的な一面が既に発動していたことを、右京の過去の影であるはずの小野田の口から事後的に聞かされるという衝撃的なエピソードが描かれ、ファンを大いに動揺させました。
「知らなかったの?相棒なのにね」という小野田の言葉が、やがて薫に突きつけられることになる右京との関係を逆説的に予言するラストは、強圧的な取調が生んだ取り返しのつかない冤罪事件、組織の中で抹消されていく個人の姿を描く「最後の砦」(シーズン7)において、そぎ落とされた関係の中で向き合う右京と薫のドラマへと続いていくことになります。
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