被災地に行ったから偉いのではなく、それぞれの場所でやるべきことがある。:佐々木俊尚『「当事者」の時代 』vol.3

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JFN『ラジオ版 学問ノススメ』公式書き起こし、今回のゲストは佐々木俊尚さんです。 

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ラジおこしでは、2012年5月第2週放送分を4回に分けて全文掲載いたします。

これまでのパートの書き起こしはこちら

第1回:弱者に成り代わり勝手に上から物を言う危険な「マイノリティ憑依」:佐々木俊尚『「当事者」の時代 』vol.1
第2回:「マイノリティ憑依」を越え、誰しも外から批判され得る時代へ:佐々木俊尚『「当事者」の時代 』vol.2

 

しゃべるひと

ゲスト:佐々木俊尚さん(作家、ジャーナリスト)
聞き手:蒲田健さん(ラジオパーソナリティ)

(以後、敬称略)

 

被災地に行ったから偉いわけではない

蒲田:当事者の問題はもう個別対応でしかない、と。

佐々木:自分自身で考えるしかないってことだと思うんですよね。

ブログなんかにこの本の感想を書いてくださってる方がたくさんいて、それを読むと結論がなくそれぞれの立ち位置で考えるしかない、っていうことについては引き受けるしかないとある種宣言的に書かれていたりして、そういう方たちにはちゃんと届いてるのかなという感じはします。

蒲田:そうですね。その提言をきっちり真正面から受け止めてくれてる。

佐々木:そうなんです。ただひとつ言えるとしたら、絶対的な加害者でも被害者でもない自分っていうのは一体どこにいるのかというのを確認し続ける作業こそが1番重要なのかなという気がします。

当事者というとよく勘違いされるのが、例えば今回の震災で言うと津波で被災した方とか亡くなった方の遺族が当事者だとして、当事者の発信が大事だとすると当事者ではない人――東京にいたとか地震の被害を受けてないという人は発信しちゃいけないのかみたいな意見になっちゃうんですね。

でも、そうじゃないですよね。それぞれの場所ってのがあるわけで。

蒲田:そうですよね。

佐々木今回の震災ってものすごく被災地からの距離とか、状態に応じてものすごくグラデーションがあったと思うんです。

要は、同じ宮城県内でも津波の被害に遭った方と山の方で全く被害がなかった方、あるいは福島の緊急避難区域の近くで避難せざるを得なかった方、東京の方も放射線の不安もすごく高まったわけですからそれは西日本とは全然違う、さらには西日本とか九州のような放射線のことを考えなくてよかった地域もある。

それがすごくグラデーションのように様々な色に広がっていると。そうすると、それぞれに当事者性があるんじゃないかと思うんです。

蒲田:単純な経験主義ではないということですよね。

佐々木:そうですね。この本の感想で「なるほど」と思った感想がTwitterに寄せられていて、浦安の方で、浦安って実は地震の被害が大きくて家が傾いたり水道管が破裂したりすごく大変な目に遭ったんですね。でも、実際テレビを付けてみるともっとひどい状況が三陸・福島で起きていて、自分が被害に遭ったということが言えなくなってしまったと。

蒲田:あぁ〜。

佐々木:宮城の沿岸とか福島の原発の近くに比べれば大したことないじゃないかと思ってしまう。

でも、そう言いながら一方で東京と比べると全然ひどい目に遭っていて、家も傾いちゃってどうしていいか分からなくて途方に暮れていくという。

そういう宙ぶらりんな状態をどう処理すればいいのか、ってすごく悩んでいたんだけどこの本を読んで、必ずしも津波の当事者であるとか原発の事故の当事者とかではなくて、「浦安の街で被害に遭った」というまたひとつの当事者性の立ち位置として自分の感じたことを世の中に伝えていけばいいということに気づいたとおっしゃっていて。

結局、そういうことだと思うんですね。

蒲田:各人が、分相応の自分の言葉で語るということですよね。

佐々木:あと、もちろん津波の被災地や、福島原発の近くの浪江町とか大変だけどそこが1番大変でそれ以外は大変ではないって言ってしまうと、結局そこに近い人が偉くなってしまうという逆転現象が起きてしまうんですよね。

例えば、よく震災の直後にあったんですけど「行った人が偉い」みたいな。「俺はまだ行ってないから何も言えない」とか「俺はもう3回も行った」とか「行かないとわからないよ」って自慢しちゃう人が出てきたじゃないですか。

ジャーナリズムの世界でも「行ったから偉い」という人も結構現れてきていて、それはやっぱり違うと思うんです。

取材に行ったから偉いんじゃなくて、それぞれの場所でやるべきことがたくさんあるんですよね。別に被災地に行ってなくても東京で政治の世界で何が起きているのかをきちんと伝えることもジャーナリズムのひとつの役割ですよね。だから、それぞれの自分の居場所できちんとできることをやらないといけないと思うんですけど。

 

「客観的中立報道」とか「第三者的目線」はありえない

蒲田:結局、どこに自分を置くのかみたいなところですね。

佐々木:そうですね。「津波の被災地に行ったから偉い」というのは、結局マイノリティ憑依なんですね。

「津波の被災者に俺は近いんだよ」といって、勝手に代弁しちゃってるんですね。あるいは、「原発事故の近くの人に取材したから、俺はあいつらの気持ちが1番分かってるぜ」とか、そういう気持ちになってしまう。でも、分かりっこないんですよね。

蒲田:ですね。かと言って、本当にそこで体験された方が語る事が絶対なのかと言われると、別に「絶対」ではないですよね。

佐々木:そうですね。ただ、彼らの気持ちに届かないし彼らの気持ちが全てではないけど、彼らが考えることに出来るだけ届こうという努力をすることがすごく重要ですよね。

蒲田:で、自分はどこにいるんだろう?と。

佐々木:これはいろんな局面であって、森達也さんという方がいらっしゃるんですけど、彼は死刑廃止問題について、「死刑を廃止しよう」とおっしゃると結構多くの方から「遺族の気持ちが分かるのか」みたいなことを言われてしまうと。でも、そうやって言ってくる人はだいたい遺族ではないですよね。

彼がそこで語ったのは、被害者の遺族の気持ちやはもちろん大事だけど、そんな気持ちは絶対に分からない、と。

だから、そこで考えるべきは遺族の気持ちと自分の距離がものすごく遠いことを知るべきだ、ということをおっしゃるんですね。マイノリティ憑依じゃなくて、自分の立ち位置を考えることがまず大事だよねっていうお話だと思うんですよね。

蒲田:遠いからと言ってそれを考えてはいけないということではないし。

佐々木:考えないといけないんですけど、「分かった」と思っちゃいけないんですね。

蒲田:で、自分がどこにいるかを認識した上でその問題について考えると。

佐々木:そうなんです。その距離の遠さをきちんと推し量りつつ考えることが必要だと思います。

結局、ぼくみたいなジャーナリズムの世界で仕事をしている人間は、自分がアウトサイダーなのかインサイダーなのかというのが常にあるんですね。

取材する先が、例えばIT業界だとか、政府の委員会だとか、総務省の情報通信白書の編集委員をやったり、あるいは情報通信審議会の下部組織の専務委員とかやってたりするんですけど、それは政府のインサイダーの一部になってる可能性もあると。

ウェブのベンチャー業界をずっと長い間取材していると経営者とかいっぱい友達も増えて、一緒にご飯食べたりするんですけどそれもある意味インサイダーであると。

一方で、ジャーナリズムとしてはそこで第三者である必要があると常に言われ続けていて、じゃあどういう立ち位置で自分が報じるのか、さらに絶対的な第三者にならないといけないかというとそうでもないんですね。

蒲田:まぁ、絶対的な第三者って多分ありえないですよね(笑)

佐々木:ありえないですよね。最近、僕がよく言っているのは客観的中立報道とか第三者的立ち位置なんてありえないよねってこと。

よく新聞やテレビが客観的中立報道って言いますけど、そんなのありえなくて、なんらかの主観は必ず入るわけですよね。

僕という人間がジャーナリズムの世界で仕事をしているということは、僕の主観が必ず入るし、ウェブのベンチャー業界の中で仲良しが多いということはポジショントークと呼ばれるような、立ち位置がちょっと混じってしまうということが起きるんですね。

佐々木俊尚が言ってることは客観的中立報道ということを信用するのはありえなくて、これからは個人が発信する時代で、これはジャーナリズムに限らず、TwitterやFacebookを使って個人で発信しますよね。

ある個人が発信することは客観的中立報道ではなくて、なんらかのポジショントークであると。そうすると、どのポジションにいるかということを折込済みにすべきだと。

つまり、発言には必ずバイアスがかかるんですよ。その人の立ち位置、考え方とか社会的立場。そのバイアスを折込済みで、その人が発信する情報を受信することが大事だと考え方を入れ替えなきゃいけないですよね。今までだったら、「朝日新聞が言ってることは客観的中立報道なのに、嘘をついてた!」って怒るわけですよね。

でも、朝日新聞であって一人ひとりの記者が作ってるのであってそこに主観が入ってくる。だから、「あの人はああいう立ち位置だから、こういう意見が出てくるんだよね」ということを折込済みでちゃんと読み込んで、そこで怒るというのは間違いなんじゃないかなと思うんですよね。

 

それぞれの立ち位置によって生まれる情報格差

蒲田:そうすると、情報を受取るときにしんどいというか面倒ですね。

佐々木:でも、そういう時代になってきましたね。だから「格差社会」だって僕は言ってるんですよね。

情報を入手すること自体がどんどん格差が大きくなっていて、昔だったらテレビを見たり、新聞を購読するだけで情報が自動的に入ってきた。インターネットの時代に入って最初は検索エンジンで、少し難しいけど新聞やテレビと違ってある程度使い方を覚えれば誰でも情報が得られるようになった。難しい人は入門書を買ってくれば済む問題で。

いまの時代はTwitterやFacebookみたいなものが情報の流通基板になりつつあって、ああいうところってたくさんフォロワーがいたり、いい友人がFacebookにいたらいい情報が流れてくるということが確実に起きるんです。

蒲田:格差がそこで生じる。

佐々木:腕を磨いたってだめだし、お金を出したってダメだし自分の信頼度を高めるしかないですよね。

蒲田:なるほど。

佐々木信頼度を高めれば高めるほどいい情報がはいってくる

誰からも信用されないダメな人は情報が入ってこない。いままでは受動的に情報を受け止めてきただけだったけど、これからは情報を受取る側も当事者的になっていく。

蒲田:しかもそこでリテラシーがかなり求められる。

佐々木:そうですね。リテラシーというより、コミュニケーション能力というか、その人の信頼性とかそういうことだと思います。

蒲田:自分自身のクオリティにかかってると(笑)

佐々木:身も蓋も無いですけど(笑)

蒲田:洪水のように流れてくるなかでさらにリテラシーが必要になってくると。

佐々木:だからそういうことができる人がどんどん、例えば、収入が増えて、いい関係性がさらに作れて、そうじゃない人がどんどんそこから振り落とされていって。

しかもいまのように、総中流社会が崩壊して、グローバリゼーションで富が海外に流れだして日本が全体として貧しくなっていく状況のなかでどうやって生き延びるかというのは重要なテーマであって、それについていけない人は本当にインドや中国と同じ給料レベルまで下がってしまうというのが待ち受けてる可能性がありますよね。

蒲田:うわぁ…、すごい怖いけどそれが現実…。

佐々木:そうなんです。

だから当事者性を持って生き抜かないといけなくて、それは倫理的にそうしなきゃいけないと言っているわけではなくて、当事者的であることが今の時代を生き抜く最大の術であるということを書いています。

蒲田:さっきのパートでもおっしゃっていましたけど、佐々木さん自身みんながみんな当事者性を持つことにはかなり懐疑的じゃないですか。でも、将来的に当事者性を持つ人が増えていくことを望みますけど…

佐々木:僕ももちろん望みますよ。(笑)

 

皆が当事者になって生まれる新たな社会構造

蒲田:でもどっちにしてもその過渡期には相当カオスな状態になる?

佐々木:と、思いますよ。今の時代ってすごい移行期だと思っていて、例えば、日本にはずっと村みたいなのがあったんですよね。

戦前、農村があり、戦後は農村がなくなっちゃったけど代わりに企業っていう「企業村社会」みたいな、企業の中に家族的にふるまえるみたいな状況があって、江戸時代くらいから日本人は村社会で生きてきたと思うんですけど、いまはついにその村が崩壊して企業村文化がなくなり、農村がなくなり、すごい個別な人たちが浮遊している状況が起きているんですよ。

蒲田:なるほど。

佐々木:こういうときは宗教が流行ったりするんですけど(笑)戦後の混乱期には農村が消滅して、東京に流れこんだ人をうまく救い上げたのが宗教団体だったんです。

蒲田:新興宗教ですね。

佐々木:いまの時代もそうなるかもしれない。ただ、再び村みたいなものが出てくる可能性があると思うんですよ。

でも、たぶん目の前に村はないので移行期の混乱が続くだろうと。20年か30年か分からないですけど、その先にもう一回安定した社会がやってくる可能性があると思うんですけど、当面は混乱期を生き延びないといけないと思いますね。

蒲田:じゃあ、将来のことはともかく現状はパーっと離れた状態になってしまったと。

佐々木:だから、いまみんな接続したがってるんですよね。

シェアハウス、ああいうのはまさしくそうだと思いますね。シェアハウスに住んでいるある若者に話を聞いて「なるほどなー」と思ったのは、「家に常に人がいて落ち着かないんじゃない?プライバシーないじゃん」って聞いたら、「いや、佐々木さん、外に出たらみんな孤独なんだから家にいるときくらい仲間がいたっていいじゃないですか」って言われて、「そういう逆転の発想なのか!」と思って。

蒲田:外に出るとひとりぼっち。

佐々木:逆に一人くらいをしている若者は家にいる時も一人だし、外にいるときも一人で常に孤独に苛まれているというのはあると思いますね。

だから、中間共同体っていうんですけど、社会と自分の間にワンクッションあるコミュニティを求めてる人がすごく増えている気がします。

蒲田:それも、バラバラになった状況があるからそういうものが出現していると。

個別対応していかないといけないけど、一見非効率ですよね。でも、見方を変えるとめちゃくちゃ非効率ですけど、それを獲得できた暁には成熟した人になれそうですね。

佐々木:1960年の終わりにメキシコで大地震が起こったんですね。それまで、メキシコって市民社会が成熟していないって言われていて、みんな政府だよりだったんですけど、地震が起きて結構社会が混乱したときに政府が全く頼りにならなかったんですね。

そのときに初めてメキシコの人たちは「あっ、政府はダメだ。自分たちでなんとかしよう」っていうんで、そこからメキシコの市民社会がスタートしたって言われてるんです。

やっぱり、一旦崩壊して「これはダメだ、誰も頼れない」と思って自分が当事者になってやるしかないとなったときに新しい社会構造が生まれてくる可能性があると思います。

蒲田:そこは明るい見方ですね?

佐々木:それを明るいと言うのかどうかは問題ですけど(笑)まぁ、そういうふうに明るくなる可能性を秘めていると。

 

第4回につづく

次回の配信は8月28日の予定です!Twitter、Facebookなどをフォローしていただけると更新情報をお届けします!

 

佐々木さんのプロフィール

1961年生まれ。早稲田大学政治経済学部中退。毎日新聞記者、 月刊アスキー編集部を経てフリージャーナリスト。
『仕事するのにオフィスはいらない』、『キュレーションの時代』、『電子書籍の衝撃』、『2011年新聞・テレビ消滅』、孫正義との共著『決闘ネット「光の道」革命』など 著書多数。

 

『ラジオ版学問ノススメ』について

世の中をもっと楽しく生きていくために、あなたの人生を豊かにするために、知の冒険に出掛けよう!学校では教えてくれない、でも授業より楽しく学べるラジオ版課外授業プログラム。各分野に精通するエキスパートをゲストに迎えて、疑問・難問を楽しく、わかりやすく解説していく。

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