2003年度 秋学期 鈴木佑治研究会 最終レポート

音楽観理論構築と自身の創作への応用」     

 

総合政策学部2年

70201438

瓜 生 大 輔

 

研究指針

 当初、今期は「男女の音楽認知の差異」に搾って研究を進める予定だったが、脳科学的見地や、音楽のジャンル研究を進めていくうちに総合的な音楽(特にロック)認知研究に移行していった。よって、日本においてロックミュージックがどのように認知され、受け入れられるかを分析した上で、自分自身が創作する音楽がどのような人にどのように受け入れられるか、またいかに他者に伝えていくかについての現時点での結論を導き出すことにした。輪読での脳科学知識に加えて、主に「日本人の脳」についての研究をもとに「日本での活動」に主眼を置いて考察する。

 

音楽脳

 脳が音楽をどのように捉えるかの研究は日々進歩し、さまざまなことがわかってきている。今回は、自分が奏でる音楽が人々にどのように受け止められるか、を考察するために必要な脳科学的知識を検証した。

 

2-1 音楽と脳の基礎 

まず、音楽を知覚する上で基本となるのは「脳の中で作られる連結が多いほど経験が統合化される」ということである。すなわち、音楽を伝える際、より効果的に脳細胞の連結を起こせば音楽経験が豊かになるということである。これは、音楽教育のあり方についても大きく問われる。

脳は4つの波形で測定され、それぞれに異なる特徴をもつ。まず、ベータ波は通常の意識状態で見られる最も普通のタイプのものである。アルファ波は一般的に安静時に見られる。音楽はこの状態を誘発し、一種の創造的空想を活性化することができる。テータ波は、主にこどもの脳の側頭部と頭頂部の領域で観察され、時折、失望や挫折から大きなストレスを経験している大人にも観察される。また。高度に創造的な状態においても観察される。デルタ波は深い睡眠状態において見られる。呼吸は深く、心臓の鼓動と体温だけでなく血圧も減少する。

よく音楽はアルファ波を誘発するといわれるが、これはロックにありがちな激しい音構成には当てはまらないと考えられる。だが、すべての人々が音楽に「安静」や「構造的空想力」を求めているわけではない。音楽性の違いは、音楽を受ける人の要求の違いともいえるだろう。

 

2-2 右脳と左脳

  最近の脳科学研究ではもはやあたりまえとなっているが、音楽に関しても左右の脳はそれぞれ役割が異なる。ロジャー・スペリー博士の研究によると、右半球は「多くの点で、とくに具体的思考と空間的意識と複雑な関係の理解の受容力に関しては、左に対して明らかに優勢である」と言明している。右の葉は、聴覚の印象を解釈すること、そして音声や音程などの音楽的経験を識別することにおいても優勢なのである。

  音楽は右脳で音として認知し、それから左に送られる。つまり、人は音楽を右脳で捉えてから左脳で分析するのである。ここで、興味深い事例を紹介する。1960〜70年代にキムラ(Doreen Kimura)が行った実験で、二つの異なるメロディーを左右それぞれに流し、被験者に支配的に聞こえたメロディーを答えさせるというものである。その結果は、音楽的に訓練された者は右の耳に聞こえたほうを、音楽的に訓練されていない者は左の耳に聞こえたメロディーを答える傾向があった。つまり、音楽的に訓練された者ほど音楽を聞く上で左の脳が優勢になっているということである。これは、音楽評論家などにもいえることで、右脳で音楽をその印象や「音」そのものを、左の脳で論理的、音楽論的解釈を行っていることを示している。また、逆にいえば、過度に理論的音楽教育を受けたもの、または音楽の印象よりもその作風や系統、コード進行、メロディラインなどを意識することは音楽を「右脳と左脳を連結させて捉えている」ともいえるが、理論ばかり学ぶ現在の音楽教育の危険さを示唆しているとも言えるのである。(例えば、音楽の先生が必ずしも音楽的創造力を兼ね備えているとは限らない。)また、音楽マニアといわれる人々はその楽曲そのもの以外に、必要以上の分析を試みる傾向があるが、それが音楽の本質を捉えているかは検討の余地がある。また、ポップミュージック・ロックミュージックなどに特有の歌詞の部分についてもこの右脳と左脳の関係が大きくかかわるのである。

 

 

2-3 男女の脳の差異

  また、今期の輪読で用いた男女の脳の差異であったように、女性のほうが男性に比べて右脳と左脳の細胞単位での連結が多いという事実は、この右脳と左脳の関係に大きくかかわる。つまり、女性は男性に比べ、より音楽を左右両方の脳で捉えることが可能なのである。右脳から入った音を左脳に連結にする能力が高いのである。実際、女の子は音や声に対して男の子よりも敏感で、かつ、より早く話し始め、より多くの語彙を持つようになるのである。だが、これは必ずしも創造的音楽性や、音楽的豊かさを示すものではないのである。大雑把で推定的な報告ではあるが、「右脳が音楽を聴かないと身体は病気になるか不安定になる」という説が存在する。右脳を活性化させる、すなわち多くの芸術的情報、音楽的、空間的情報を取り込まないと、人は穏やかで平和な精神状態にいられないのである。音楽が好きで音大に入った学生がしばしばノイローゼに陥ることがある。これは音楽を左脳ばかり酷使して捉えたために起きた症状だといわれている。音楽はまず右脳に入る。すなわち第一印象は右脳が決めるのことを私自身も意識しなければならない。しかし、研究を進めていくと思わぬ落とし穴が存在した。私たち日本人の脳に限って、これらの音楽に関する脳理論を少々修正しなくてはならない。次章は主に日本人の脳について検証する。

 

日本人の脳

東京医科歯科大学名誉教授の角田忠信氏は日本人の脳について興味深い見解を示している。

 

3-1 日本人の脳

欧米人の脳は左で理性的認知、右で感性的認知とはっきり分かれているのに対し、日本人の左脳には理性的・感性的認知が混在している。母音、笑い声・泣き声などの感情音、風の音・虫の鳴き声のような自然音、邦楽器の音などを、日本人は欧米人と逆に左脳で処理する。つまり、一般的な脳科学では、音楽を聞くのは右脳であり、言語などを聞くのは左脳とされているのが、日本人においてはその理論を修正しなければならないというのである。

 

3-2 日本語の母音の特異性

この現象は、日本語の母音の特異性によるものと考えられている。すなわち、日本語は日本語以外の諸言語では意味のない母音を、言語音のように左脳で処理しているため、非言語音の一部も左の脳で処理してしまうということだ。この言語環境による脳の優位性(左右どちらの脳を中心に音声認知するか)は日系2・3世と帰国子女の調査から、6〜8歳後半までの言語環境が大きく影響していることが判明している。

 

3-3 言語情報優先の原則

また、角田氏は言語情報優先の原則を述べている。我々は言語音と非言語音が混在したなかで生活しているが、言語音 /あ/ または /た/ と非言語音(ホワイトノイズ)を競合状態に置くと、言語音は非言語音よりも優位となる。外国人では、言語音の /た/  は非言語音である /あ/  やホワイトノイズよりも優位となるが、/あ/ とホワイトノイズの間には差がない。この原則によれば日本人は右脳中心に音楽を聴くことが欧米人に比べて難しいことがわかる。レポートの最後に資料として、大脳半球優位性の測定結果を添付する。

 

3-4 日本人の文化性

 例えば、日本の音楽会はどこへ行ってもたいへん静かである。聴衆は皆文字どおり息を殺して演奏を聴いている。外国の指揮者などは、日本人はマナーがよいと褒める。角田氏の研究によればこの傾向も脳科学的に捉えられる。つまり、ため息・せき・嘆声などが音楽の途中に入ってくると、右脳中心に音楽を聴いていたスイッチが左脳に切り替わり、音楽鑑賞が妨げられる。そのために日本の音楽会は静かなのである。脳の機能の違いは、文化の差をもたらす。欧米文化の論理性、知的に自然と対決する姿勢に対し、日本文化は非論理性、情緒性、自然との融和を特色とするが、この違いは聴覚を通した自然界の認知の仕方からくるものだという。さらに簡単にいえば、日本人が論理思考よりも情に振り回されやすいという文化論は「論理思考をつかさどる左脳が西洋人にくらべて忙しすぎる」ことに由来するといえるかもしれない。

 

外国語学習と音楽

角田氏は、自らの経験と諸研究をふまえて外国語による脳の優位性の偏りと、その修正に西洋器楽曲が有効であることを主張している。彼は、いわゆる「右脳左脳ブーム」の火付け役のひとりであり、以降日本でも右と左の脳の違いについて一般の人にも知られるようになった。

 

4-1 外国語学習における障害

日本人が長時間外国語環境で活動すると、極端に左脳優位となる。具体的にいえば、左の脳への負荷が大きくなることでストレスがたまり、頭重感・頭痛が発生する。また、地理感覚を右脳的に捉えることに障害が発生することも述べられている。これは、日本人は外国語(主に英語)使用中に両脳のバランスが完全に崩れてしまうため、表層的な英語下手という以上にハンデキャップを負っていることになる。この原因として考えられるのが、日本の読解・文法理論中心の英語教育が極端に左脳に偏った方法をとっていることがあげられる。前章でも述べたが、日本人は /あ/ の音を左脳で処理するのに対して、外国人は右脳で処理する。外国語(この場合英語)は日本語に比べて右脳による要素が大きいにもかかわらず、外国語を日本語と同じ左脳中心の方法で学んだため、いざ国際舞台で長時間使用するときに脳のバランスを崩すのである。

 

4-2 西洋器楽曲の有効性

角田氏はこのような左に偏った脳を正常に戻すために、西洋器楽曲が有効であることを検証している。長時間外国語を浴びせた日本人被験者に西洋器楽曲を聞かせることにより、偏った脳のバランスを元に戻ることが確認された。しかし、同じ旋律を日本固有の琴で演奏したものを聞かせたときには効果はまったく現れず、逆にストレスを感じてしまったというのである。この実験からも日本人が右脳中心に聴く音楽が限られていることがわかる。

 

4-3 幼児外国語教育への疑問

また、角田氏は幼児外国語教育への疑問を唱えている。というのも、脳の優位性は6〜8歳後半までの言語環境が大きく影響していることを先ほども述べたが、この時期を超えてからでも十分間に合い、将来日本を中心として活躍するバイリンガルになるためなら、むしろ日本人としての言語と脳の優位性を確立してから外国語を習得した方がよいという見解である。

もちろん、この見解は20年以上のものであり、現在では幼児外国語教育に対して問題視する意見は少ない。だが、角田氏は情動のメカニズムが日本人と非日本人では違うことを述べており、この観点は見捨ててはならないと私は考える。つまり、日本人は情動に関係する感情音(甘え声、泣き声、笑い声、嘆声)、ハミング、母音などが左脳に、非日本人では右脳にあるのである。さらにいえば、日本人は論理頭脳に情動を持ち込んでいるともいえる。情動が文化的な日本を形成してきたと予想するならば、将来日本人として生活観・文化を共有ためにはおおよそ9歳以降から外国語教育をはじめた方がよいのではないか、という意見にもうなずけるのではなかろうか。

先ほども述べたが、本質的に問題があるのは左脳に偏った外国語教育にある。このような教育では、ある意味では障害ともいえる負担を脳に与えるため、日本人の英語下手を永遠に改善することはできないだろう。

 

日本人の脳とロックミュージック

 角田氏は、主にクラシック音楽と脳の関係について考察しているが、ロックミュージックについては言及していない。そこで、彼の研究の諸点から日本人の脳とロックミュージックの関係について考える。

 

5-1 日本人はロックを聴くのが不得手

 3章、そして[資料3]を見ればわかるとおり、日本人は右脳で聞くことができる音が非常に限定されている。ロックのように、ギターや、ベース、ドラム、かつ言語音であるはっきりとしたボーカルが混ざった複合音はますます右脳中心で聞くのが困難と考えてよいだろう。西洋人であれば、少なくとも他の演奏は右脳、ボーカルラインは右脳、歌詞は左脳で認知される。また、言語音のうち母音は右脳で認知し、左脳で理解する。このため、特に気を使わなくても基本的にはロックを聴くときに左脳優位な状態となるだろう。しかし、日本人の場合、ノイズの多いロックの音は基本的に左脳で認知される。ロック特有の複雑に絡んだ、リズムビートも右脳には響かないだろう。もちろん、ロックの中にもサウンドの美しさ、緻密さ、メロディライン美しさなど、右脳に響かせる要素も多数存在する。ただ、常に右脳優位な状態でロックを鑑賞するのは困難といえるだろう。

5-2 女性の方がロック向き?

 これはロックに限られたことではないが、女性の脳が男性より左右の脳の連結が多いことは前述した通りである。すなわち女性は歌詞という言語情報を言語脳である左脳に限定せずに聞けるなど、ロックのような複合音にも対応しやすいのではなかろうか。先学期の研究で取り上げたロックの紀元、社会的位置を考えればこの「女性の方がロック向き」という視点は意外なようにも思えるだろう。だが、渋谷や下北沢のライヴハウスでいわゆるライヴを観に来るのは7割方女性なのである。ロックがまだ、野蛮で男性的な音楽とされていたのは構造主義的な固定観念によるところが多い。現代のロック、特に西洋と発展の仕方が異なる日本のロックではロックは男性向けの音楽であるという視点はもはや通用しない。

 

5-3 日本ではフォークが流行した

 先学期の研究でも取り上げたが、1960年代日本において歌謡曲ではない純粋な音楽として志向されたのはフォークであった。これはやがてロックへと転換していくのだが、まさに日本人の脳の特性に適した音楽なのである。すなわち、アコースティックギターとボーカルというシンプルな構成は左脳中心に捉えられ脳に負荷がかからない。音の単純化により、より作者の意図・コンセプトが伝わりやすい構成なのである。ここから考えれば、ロックよりフォークの作風の方が日本で活動するには適しているように思えるが、ロックの魅力は必ずしも右脳に響かせることが目的ではないのである。そこで次章はロックミュージックの要素について検討する。

 

ロックミュージックの要素

 日本人にとってロックミュージックは右脳に響かせるだけの存在ではない。これは西洋人のロックファンでも同様である。ならば、ロックの魅力とは何なのだろうか。根源的な問題に回帰する。

 

5-1 ロックとポップス

 ロックとポップスの違いは南田(2001)、みつとみ(1999)その他多くの文献で取り上げられているが、当然明確な基準は存在しない。だが、明らかに違うのはその目的性である。すなわち、ポップス(歌謡曲)は商業主義的に売れるために作られた音楽なのである。わかりやすく親しみやすいメロディ、人々に認知されやすい歌詞、さわやかで万人受けするサウンドはどれも「売れるため」に取られる手法であり、売れなければ何の意味もないのである。それに対して、ロックにも親しみやすいメロディ、人々に認知・共感される歌詞、さわやかなサウンドが存在する。だがこれらは、あくまで作者が自分自身の音楽性を追求し、人々に伝えたい何らかのコンセプトがあるからこそ用いる手法であり、結果的にその音楽が売れたとしてもポップス(歌謡曲)のそれとは意味が違うのである。

 よく勘違いされるが、このロック・ポップスの差異をサウンドの違いとする人がいるが、正確ではない。非常に抽象的ではあるが、「ロックなサウンド」「ポップなサウンド」というものは存在するし、「ロックなコード進行」というものも存在する。だが、その違い自体は直接ロックとポップスの違いとは言えなく、ジャンルわけをあいまいにする要因とも言えるだろう。また、先学期述べた「反抗の精神」ももはや現代では通用しなく、「作者の意図・コンセプト」重視か「売れること」重視であるかの違いである。ただ、実際ロックも市場に入ってしまえば、売れなければ生き残れない。音楽的な戦略(レコード会社のロックバンドへの一方的な指導・要望)、宣伝、営業による生き残りがなければ実際のところロックは存在し得ないのである。

 

5-2 リズム

 一般的にジャズは4ビート、ロックは8ビートといわれるように、ロックには独特のリズムがある。もちろんリズム、小節のない音楽は存在しないが、ドラムスという楽器を用いて複雑なリズムを聞かせるのはロックの特徴といえよう。また、ドラムとならんでリズムを構成するのはベースである。このドラムとベースが複合したリズム感こそロックの醍醐味である。おそらく、このリズムについては右脳優位の存在ではない。だが、ロックのリズムに体のリズムを合わせて一体となる感覚をロックファンなら誰しも持っているだろう。

 

5-3 サウンドアレンジ

 ギターやベース、キーボード、最近では電子音などが用いられるが、曲調、コンセプトによって大きく違ってくる。ギターひとつとっても歪んだ轟音とクリーンで幻想的な音のイメージはまったく性質が異なる。もちろん、右脳に響かせる音作りも可能であるが、ロックの場合サウンドも感情表現のひとつであり、その音色の違いがひとつの聞き手とのコミュニケーションツールとなる。(もちろん、その他の音楽でも音色による感情表現は存在するが、ロックの場合表現方法に制約がほとんどないためより自由な表現ができると考えられる。)

 

5-3 メロディ

 ロックの場合、ボーカルに限らず、ギター・ベースもそれぞれ異なるメロディを掛け合わせることができる。この複雑性が調和する形がロックの基礎となり、また魅力となる。ポップス(歌謡曲)であれば、ボーカル以外のメロディはそれほど強調されない。せいぜいよく目立つギターソロがあるくらいで、曲全体としての複雑性は見られない。

 

5-4 歌詞

 「反抗の音楽」といわれた頃から特に重要なのが歌詞そのものだろう。だが、ロックにおいては歌詞によって伝える感情は全体の中のほんの一部に過ぎない。歌詞のみが作者のコンセプトを伝えるものでもなければ、歌詞が存在しなくてもまた伝わらない。近年はロックにおいてもインストゥルメンタルと呼ばれるボーカルなしの演奏が日常的に存在し、歌詞がなければロックでないという視点はもはや誤りといえよう。

 

5-5 ライヴ感・大音量

 おそらく、狭い空間であれほどの大音量で音楽を聴くのはロック特有だろう。狭いライヴハウスにおいて爆音でライヴを鑑賞する。コンサートホールでオーケストラの生演奏を聴くのとはまた意味が違うのである。すべての音楽の魅力はやはり生演奏、その場限り奏でられる演奏にある。こればかりはいくら映像配信して遠隔地でみても何の面白みもない。マイク・カメラを通すだけ致命的なフィルターがかかってしまうからだ。そして、ロックバンドは特にライヴ活動を重視する。CDやインターネットなどのメディアで配信することも効果的だが、ロックという大音量で聴く音楽の性質上、ライヴにはかなわないのである。そして、何より聞き手とのコミュニケーションが生まれる場なのである。

 

私自身が音楽を創作する際留意するべきこと

 先学期おもに行ったロックの社会での位置付け、そして今期の脳科学的見地、また音楽のジャンル分析などをふまえて、私自身が今後留意すべき点を検討する。

 

7-1 ロックであることだけでは受け入れられない

 日本人の脳は音楽を右脳優位で聴くことが難しい。つまりロックミュージックは日本人にとっては半分以上「雑音」なのである。ロックの「野蛮なイメージ」や「反抗の精神」が日本では通用しないのと同様に、単に「ロックであること」を強調し、いわゆる周りの「ロックバンド」に同調していては受け入れられない。楽曲を作る際、さらにこれから活動する際に理論的に効果があると考えられる方法論を実践しなければならないのである。

 

7-2 脳の負荷をなるべく抑える

 ロックにおいて、歪んだギターや荒々しい特徴は必要不可欠である。だが、必要以上にこれを用いることはそのような野蛮な音、感情的な音を極端に好む人には受けるが、一般的には明らかに受けないのである。右脳に響くとまではいかないでも、要所要所で日本人にやさしい音を心がけることも重要だと考える。

 

7-3 女性は歌詞、男性は音

 正確な調査を行ったわけではないので論理的な根拠は薄いかもしれないが、女性の方が歌詞を重視する傾向があり、男性のほうが軽視する傾向がある。脳科学的に見れば、言語能力において男性より多少有利な女性の方がロックにおいても歌詞に注目しやすいと考えられ、空間的能力に長ける男性は歌詞よりもその他のパートの音に敏感だと考えられるのである。すなわち、前章であげたロックにおける要素をそれぞれ高めることは、男性・女性を限定せずに受け入れられる音楽を作ることにつながるのである。「ロック風のメロディや、荒々しい曲調は女性には受け入れられがたい」というのはほぼ迷信であるといってよいだろう。

 

7-4 歌詞の重要性

 すべての日本人にとってロックの音が心地よいわけではない。ということは自然と歌詞の役割が大きくなる。また、演歌や歌謡曲慣れしているため、ボーカルや歌詞に注目する傾向は非常に高いのである。そして、歌詞のコンセプトはロックとポップス(歌謡曲)を分ける重要な要因であり、そこに独創性、オリジナリティを示すことが不可欠なのである。

 

7-4 コミュニケーション

 歌詞や、メロディ、音がどれだけ受け入れられているかは、ただ制作するだけではわからない。受信者のとのコミュニケーションなしにはわからないのである。まず、有効なのはライヴ活動である。受信者と直接コミュニケーションが取れる場であり、仮に言語による感想や意見をもらわなくても自分たちの音楽がどう取られているかがわかるのである。さらに、アンケートなどを行うことによりどのような性別・年齢・境遇の人にどのような認知をされるのか、把握することができる。

 

7-5 ステレオタイプを捨てる

 前期の研究では「ロックの精神」たるものの存在を述べたが、これは現代(特に日本)においてはあくまでイメージでありステレオタイプである。また、例えば、自分の音楽が年配の方に理解されることもある。このようは事実は特定のステレオタイプに縛られていたら発見できないし、新たな聞き手、受け手を開拓することを妨げるのである。脳科学的見地は、大変興味深く有効だと考えられるが、これも現場でのコミュニケーションを行い現状把握にはかなわない。ロックやポップス、ジャズといったジャンルわけはその音楽性よりも構造主義的な社会的位置付けによるものが大きい。既成の概念・研究にとらわれるのではなく、これから自身が活動する中で新たな理論構築を目指さなければならない。

 

まとめと具体的な活動

 前章が大方まとめに値するので、補足程度として述べる。

 1年間を通して「自分のためになる理論」をめざして研究してきた。というのも、もちろん、教育などのように他人のためになる理論も重要だが、「常に自分が作り手でいたい」という気持ちを重視した。すなわち、音楽であれ、モノ作りであれ、私はとにかく「何かを作って生きていきたい」と考えている。将来的にどうなるかはわからないが、どんなに妥協したとしても「モノ作り」であることにこだわりたいと考えている。よって、独り善がりではあるが自分のための理論が必要だったのである。

 自身の音楽を配信、またライヴ日程の告知や聞き手とのコミュニケーションを図るためにWEBページ(http://uriuri.org/MARMOT/)を制作している。また、2月よりライヴ活動を開始し、より自分の音楽を聴いてくれる人を模索し、フィードバックをもらうことによりさらなる創作に生かしたいと考えている。1年間の研究の成果である「自分のための音楽理論」は自分自身で実践し成果を出さなければなんの意味もない。いままでの研究を理論的背景としてこれからの活動に生かしていきたい。

 

 

参考文献

 

『音楽脳入門 脳と音楽教育』(1997)著者 ドン・G・キャンベル 訳者 北山敦康 音楽之友社

『日本人の脳』(1978)著者 角田忠信 大修館書店

『続日本人の脳』(1985)著者 角田忠信 大修館書店

JAPAN AS IS−日本タテヨコ−和英対訳版』(1997)学研

『最新脳科学心と意識のハード・プロブレム』(1997)学研

『音楽ジャンルって何だろう』(1999)著者 みつとみ敏郎 新潮社

『音楽はなぜ人を幸せにするのか』(2003)著者 みつとみ敏郎 新潮社

『よくわかる音楽業界』(2000)著者 三野昭洋 日本実業出版社

『音楽を嫌いにする方法』(1986)著者 日下部吉彦 大阪書籍

『ロックミュージックの社会学』(2001)著者 南田勝也 青弓社

『言語とコミュニケーションの諸相』(2000)著者 鈴木佑治 三省堂書店

 

以上