近々,当ブログを閉鎖しようと考えています。
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2ch等のまとめを主とする 軍事ちゃんねる
と 翻訳まとめを主とするカンミリ
の二つのサイトで続けようと考えています。
気に入った記事があれば,読んでください。
ブログの移行には,1~2週間程度かかると思います。
それまでは,翻訳もので更新を続けますので,よろしくお願いします。
1: 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 2013/08/03 22:58:40 ID:N+QQHl2f0
ならなんでB-29をろくに追い払えなかったの?
引用元: ・日本の戦闘機は優秀だったってきくけど
2: 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 2013/08/03 22:59:23 ID:3F0B9PSj0
数の暴力
3: 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 2013/08/03 22:59:24 ID:Owg5/8q40
対戦末期には性能はジリ貧
5: 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 2013/08/03 23:00:49 ID:t01ycn+B0
高オクタン価のガソリンも潤滑油もなかった
6: 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 2013/08/03 23:01:03 ID:33shbtPtP
優秀だったというより初戦の米製兵器が糞だらけだっただけ
7: 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 2013/08/03 23:02:07 ID:nJJ1L+kK0
後継機の開発に失敗したのと
過給機が上手く作れなかったので高高度になると途端に性能が落ちたのが原因
過給機が上手く作れなかったので高高度になると途端に性能が落ちたのが原因
12: 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 2013/08/03 23:05:55 ID:N+QQHl2f0
>>7
過給機作るには耐熱材料も必要なんだっけ
しかもろくな工作機械もないんでしょ?
過給機作るには耐熱材料も必要なんだっけ
しかもろくな工作機械もないんでしょ?
18: 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 2013/08/03 23:08:37 ID:nJJ1L+kK0
>>12
工作機械自体が欧米製で、戦争が始まると部品が手に入らなくなって
加工精度がガタ落ち+壊れると修理不可能って話は聞いたことがあるな
工作機械自体が欧米製で、戦争が始まると部品が手に入らなくなって
加工精度がガタ落ち+壊れると修理不可能って話は聞いたことがあるな
紫電改の米軍テスト時の正確な数値は不明だが、「当時のどの米海軍の現役戦闘機よりも優速であった」というコメントが残されており、昭和20年10月16日に米軍に引き渡すための空輸の際も、米軍のハイオクガソリンを用いて全速で飛ぶ紫電改3機(志賀淑雄少佐、田中利男上飛曹、小野正盛上飛曹が示し合わせて実行。武装撤去、銃弾未搭載のため軽量)に、実弾を装備した監視役の6機のF4Uは置き去りにされそうになったという[92]。 ピエール・クロステルマンはその著書「空戦」で紫電改が高度6,000mでP51マスタング44年型と同程度のスピードを発揮したことからマスタング44年型のカタログスペックを基準とした最高速度時速680km説を採用しており、当時の連合軍の空軍関係者はその程度の速度と認識していたことが伺える。また、昭和26年に来日した米空軍将校団の中にアメリカで紫電改をテストした中佐がおり「ライトフィールドで紫電改に乗って、米空軍の戦闘機と空戦演習をやってみた。どの米戦闘機も紫電改に勝てなかった。ともかくこの飛行機は、戦場ではうるさい存在であった」と評したという。
もっとも四式戦や紫電改と相対していた当時の米軍機は機体の数量もさることながら、日本ではまだ試作段階であった耐Gスーツや、ジャイロ式見越し射撃角自動補正機能付照準器等を既に装備しており、また三四三空が本格的に導入した無線装置を駆使したロッテ戦法や一撃離脱戦法等の戦技面においても、米軍に一日の長があったことも事実である。
もっとも四式戦や紫電改と相対していた当時の米軍機は機体の数量もさることながら、日本ではまだ試作段階であった耐Gスーツや、ジャイロ式見越し射撃角自動補正機能付照準器等を既に装備しており、また三四三空が本格的に導入した無線装置を駆使したロッテ戦法や一撃離脱戦法等の戦技面においても、米軍に一日の長があったことも事実である。
8: 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 2013/08/03 23:02:28 ID:HXeouvHv0
日本の戦闘機は防弾性能を軽視してたらしいからな
精神論だけじゃどうにもならん
精神論だけじゃどうにもならん
17: 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 2013/08/03 23:08:24 ID:anD60igW0
>>8
アメリカのはパイロット保護で鉄板しこんでたそうだな
日本のに鉄板いれたら重すぎてまともに飛べなさそうだけど
アメリカのはパイロット保護で鉄板しこんでたそうだな
日本のに鉄板いれたら重すぎてまともに飛べなさそうだけど
大西 瀧治郎(おおにし たきじろう、明治24年(1891年)6月2日 - 昭和20年(1945年)8月16日)は旧日本海軍軍人。最終階級は海軍中将。海軍兵学校第40期生。神風特別攻撃隊の結成と運用に深く関わった。若いころから酒癖が悪く乱暴な性格であったが、陣頭に立って指揮をとり、口先だけの人間を嫌った。戦闘機無用論を支持し、日本軍の真珠湾攻撃に反対した。終戦直後に自決した。
大西は航空主兵論者の一人で1935年戦艦大和、武蔵の製造に関し一方を廃止し5万トン以下にすれば空母が三つ作れると主張し、福留繁軍令部課長に大和一つの建造費で千機の戦闘機ができると主張し今すぐ建造を中止するように要望した。
1937年7月海軍航空本部教育部長の際「航空軍備に関する研究」と題するパンフレットを各方面に配布した。大遠距離、大攻撃力、大速力を持つ大型機による革新を説くもので、大型機が将来的に戦艦の役割も担い新艦艇として制海権も獲得できると主張した。潜水艦以外の艦艇は航空に対抗し得ない。また小型航空機は現戦略戦術を根底から変えることはできない、戦闘機、対空防御砲火は現在も信頼できず、将来的にも爆撃機の速度、高度増大でさらに必要がなくなるといった戦闘機無用論も含んでいた。日本海軍では初の航空戦力による政戦略攻撃にまで言及した文章であった。
日中戦争における零戦の初陣でパイロットから防弾の弱さについて「防弾タンクにしてほしい」と不満が出たが、技術士官は零戦の特性である空戦性能、航続距離が失われるので高速性、戦闘性を活かし活動し効果を発揮するべきと意見が割れた。大西はそれに対しただ今の議論は技術士官の言う通りと言って収めてパイロットたちは黙った。
9: 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 2013/08/03 23:02:47 ID:r0ECHYDVP
パイロットが(パイロットも)優秀だったんじゃね?
10: 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 2013/08/03 23:03:24 ID:ynimfAjyP
パイロットは優秀だったけど飛行機はどうだろな
ミッドウェーでベテランパイロットの多くを失ってからはさっぱりだし
ミッドウェーでベテランパイロットの多くを失ってからはさっぱりだし
ミッドウェー海戦で機動部隊の主力であった第一、第二航空戦隊が壊滅したため、新たに翔鶴、瑞鶴を中心として機動部隊の再建が図られたが、日中戦争以来のベテランである一、二航戦の穴は、最新鋭とは言え、経験不足の二艦で埋められるものではなかった。このことは、ミッドウェー海戦直後の参謀本部への説明の中で、軍令部側が「残存空母2隻(瑞鶴、翔鶴)では守勢の外はない」、「残りの空母は大したものではない」と述べていることからも明らかである[455]。ミッドウェーでの各空母のパイロットの喪失は、反撃を行った飛龍を除けばさほどでもなかったが、かけがえの無い主力正規空母4隻を一挙に失ったことは取り返しがつかず、これ以後米機動部隊に対して常に数的劣勢に立たされることになり、本来二線級の戦力である軽空母や改装空母までを主力として投入せざるを得なかった。
もともと搭載機会が少ないため生産要求の少ない艦上機がこのミッドウェー海戦と前の珊瑚海海戦において多数を失ったことは大きかった。
11: 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 2013/08/03 23:05:04 ID:cc0AykTjO
紫電改なら
紫電改ならなんとかしてくれる…
数の暴力
紫電改ならなんとかしてくれる…
数の暴力
「紫電改」(しでんかい)は、大日本帝国海軍が第二次世界大戦中に開発した戦闘機である。この名称は紫電の各型のうち、二一型以降の機体を呼ぶものである。
局地戦闘機紫電は、もともと水上戦闘機「強風」を元に開発された戦闘機であり、紫電二一型はこれを低翼に再設計した機体であった。また「紫電改」の名称は、試作名称の仮称一号局地戦闘機改が一般化したもので、本機の制式名称は紫電二一型である。出自が迎撃戦に使われるべき局地戦闘機でありながらも、1943年以後、急速に進む零式艦上戦闘機の陳腐化、その正統後継機の烈風の開発遅延への対応策の一環で、戦争末期における日本海軍の事実上の制空戦闘機としての零戦の後継機として運用され、1944年以降の日本海軍においての唯一敵に正面から対抗可能な制空戦闘機として太平洋戦争末期の日本本土防空戦で活躍した。
同時期に開発された同じ発動機を搭載する中島飛行機の四式戦闘機「疾風」が保守的な設計だったのと対照的に、紫電改は新機軸の設計(自動空戦フラップ、層流翼)が特徴である。
関西地区では、源田実大佐の下、全国から歴戦のパイロットが集められ松山基地で編成された第三四三航空隊(2代目。通称「剣」部隊。以下「三四三空」と略)の活躍が有名である。三四三空は集中配備された「紫電改」と腕の立つパイロットを組み合わせ、更に徹底的な改良が施された無線機(無線電話機)を活用した編隊空戦法により大きな戦果を挙げたという。この伝説により戦後「遅すぎた零戦の後継機」として認知されたため、零戦、隼、疾風と並ぶ代表的な日本軍機として一般に認知され、現在に至る。ただし、343空の笠井智一は「優秀な搭乗員ばかり」という通説を否定している。
坂井三郎は個人的な評価として「制空戦闘機とも局地戦闘機ともいえない中途半端な戦闘機」と述べている一方。岩下や笠井は、F6Fと互角に戦える素晴らしい機体として歓迎したと証言しており、当時の搭乗員の紫電改への評価は分かれている。それでも笠井は、紫電改にとって最も手強かった米軍戦闘機をF6Fとしている。紫電と紫電改には雲泥の差があり、紫電改配備後の訓練搭乗機に紫電を指定されると、全員が気落ちしたという。
英国のブランドフォード社の『原色航空機百科』(K.マンソン著)では「太平洋戦線に出現した日本機中、最もすばらしいもののひとつであった」と高く評価されている。
13: 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 2013/08/03 23:05:57 ID:nJJ1L+kK0
しかし戦争を継続していれば紫電改の相手はF8FとかP-80とかになるわけで
16: 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 2013/08/03 23:08:05 ID:8YpaU+500
>>13
き、橘花
き、橘花
橘花(きっか)は、第二次世界大戦末期に大日本帝国海軍が開発していたジェット攻撃機である。エンジン開発は主に空技廠が担当し、機体を中島飛行機が開発製造した。
ネ-12B装備型を「橘花」、ネ-20装備型を「橘花改」と正式には呼称する。試作機はそれぞれ、「試製橘花」、「試製橘花改」と呼ぶ。海軍略符号は無い。
本機は爆撃による対艦攻撃を目的とした特殊攻撃機であり、桜花のように初めから特攻専用として設計された特別攻撃機ではなかったが、特別攻撃機を表す「花」の名称が付いている事や、当時の戦況を考えれば、特攻機として使う以外に用兵はなかったとおもわれるという意見もある(これと似た思想の航空機に剣がある)。
また軍部では、高価かつ高い生産技術を要すレシプロエンジンを特攻機に使用して使い捨てるより、極力温存を図って防空用迎撃機にこそ使用したいと考えており、技術面を克服して量産にさえ至れば、レシプロエンジンよりも安価かつ量産が容易なジェットエンジンこそ特攻機に搭載するエンジンに最適であると考えていた。
21: 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 2013/08/03 23:12:02 ID:nJJ1L+kK0
>>16
あれは攻撃機や、残念ながら
あれは攻撃機や、残念ながら
24: 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 2013/08/03 23:15:34 ID:8YpaU+500
>>21
でも他にジェットの機体無いじゃないですかーやだー
でも他にジェットの機体無いじゃないですかーやだー
26: 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 2013/08/03 23:16:39 ID:kjMv2cSk0
>>24
火龍
火龍
キ201は、第二次世界大戦末期に大日本帝国陸軍によって計画されたジェット戦闘襲撃機。キ201はキ番号、通称は火龍(かりゅう)。開発は中島飛行機。
キ201「火龍」は日本陸軍初のジェット機として計画された。この機体は海軍の橘花と同様に、同盟国ドイツのメッサーシュミットMe 262戦闘機を参考にしている。このため本機の基礎形は、三角形の胴体断面、双発エンジンの翼下懸架方式などMe 262に酷似している。しかしスケール的に火龍はMe 262に比べ一回り大型で、逆に橘花は小型である。
海軍の橘花が計画段階から機関砲を一切装備せず、対艦攻撃のみを考慮に入れ武装は唯一爆弾のみで、建前上は特殊攻撃機と言えど、事実上特攻を主眼に置いた特別攻撃機という存在であったのに対し[1]、陸軍の火龍はあくまで搭載した4門の機関砲により アメリカ軍のボーイングB-29爆撃機迎撃を任務とする防空戦闘機、及び爆弾やタ弾にて連合軍の艦艇や地上部隊の襲撃を任務とする襲撃機を兼ねた、戦闘襲撃機という位置付けがなされていた。そのため大日本帝国が計画した純粋なジェット戦闘機としては本機が最初で最後である。
機体設計は中島が担当し、機体とエンジンは1945年(昭和20年)に図面の完成にこぎつけた。量産は第21製造廠で開始され、第一次試作機は18機を製作する予定であった。エンジンは2タイプあり日立航空機と石川島飛行機製作所が担当したが、終戦により1機も完成に至らなかった。
32: 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 2013/08/03 23:20:48 ID:cc0AykTjO
>>21
位置エネルギーをスピードに変えるから、高度がとれる機体が強かったのは事実
が、格闘線は軽量のゼロ戦のほうが上なのも事実
ただ、ゼロ戦は速度を上げると旋回出来なくなるとか、高高度だと非力になるとかも事実
位置エネルギーをスピードに変えるから、高度がとれる機体が強かったのは事実
が、格闘線は軽量のゼロ戦のほうが上なのも事実
ただ、ゼロ戦は速度を上げると旋回出来なくなるとか、高高度だと非力になるとかも事実
14: 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 2013/08/03 23:07:39 ID:VN4NJpJc0
震電は日本では初となる前翼型戦闘機の試みであったが、当時の各国でも前翼機の試作は行われていた。代表的な例として米国のXP-55 アセンダー、イタリアのアンブロシーニS.S.4(de:Ambrosini S.S.4)、英国のマイルズ・リベルラ等が挙げられるが、いずれも実運用に至ったものはなかった。震電の開発に当たっても中には「自然界に無い様な形状のものには何かしらの欠点があるはずだ。鶴野はそれに気づいていないのだ。」という様な意見をもつ者もあった[3]。しかし、米国新型機への対抗という課題の中にあって、原理的に間違いのないものであるならと大方の賛同を得ていた。
21: 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 2013/08/03 23:12:02 ID:nJJ1L+kK0
>>14
あのレイアウトで成功した戦闘機はアメリカにすら無いわけで……
あのレイアウトで成功した戦闘機はアメリカにすら無いわけで……
サーブ 21(Saab 21)はスウェーデンのサーブ社が開発した戦闘/攻撃機。初飛行は1943年。非常に効率的な武装配置を有すると評される。双胴・推進式で、胴体後部にエンジンとプロペラが配置されており、機体は前方に"押し出される"形になる。
推進式の利点は、前方視界が妨げられないことと武装を機首に集中配置できる点にある。ただ1つ欠点としては、搭乗員が脱出する際にプロペラの回転面に巻き込まれる恐れがあることである。しかしこの問題は初期の射出座席を進化させるに至り、この後いくつかの問題を解決したマーチン・ベイカー社は射出座席の特許を得た。ダミー人形を使用しての、最初の射出試験は1944年2月に、サーブ 17を用いて行なわれた。
着陸装置は、プロペラブレードと地面のクリアランス(すき間)を保つために、当時主流であった尾輪式ではなく、現代のほとんどの飛行機と同じ前輪式にする必要があった。前輪の激しい首振り振動(シミー)の防止などが必要であり、自動車の後部から試験用台車を曳航したり、ノースアメリカン NA-16-4Mを前輪式に改造[1]しての試験などが行なわれた。
サーブ 21は1943年7月30日に初飛行したが、このとき既に射出座席を搭載していた。より短距離で離陸できるとの考えから、離陸はフル・フラップ(フラップを完全に下げること。通常、離陸時には半分ほどしか下げない)で行なわれたが実際には離陸滑走距離は伸びてしまい、フェンスに脚が接触した。着陸時には車輪ブレーキが作動せず、テストパイロットはスピン・シュート(スピン回復用パラシュート)をドラッグ・シュートとして利用した。
終戦後、サーブ 21の機体を再設計しデハビランド ゴブリン ターボジェットエンジンを搭載して生まれたのがサーブ 21Rで、スウェーデン国内で製造された最初のジェット機である。前身の21との違いは推進方法を別としても大きな物があり、設計における共通部分は当初期待された80パーセントを大きく下回る50パーセントに過ぎなかった。最も顕著な違いは水平尾翼が従来の位置より上に移動されたことである。これはジェット排気を避けるためであった。
プロトタイプは4機が作られ、初飛行は1947年3月10日に行なわれた。1949年8月にエンゲルホルムのF 10に対して初の引き渡しが行なわれた。当初は戦闘機型のJ 21Rとして開発されたサーブ 21であったが、後退角が浅く臨界マッハ数が小さい・高空での上昇・急降下性能が戦闘機としては不十分、といった問題を抱えていた。一方で、より高性能な新鋭のジェット戦闘機サーブ 29 トゥンナンが1948年10月には初飛行を終えていたこともあり、当初予定されていた120機の生産数が半減されると共に、全ての機体が攻撃型のA 21Rへと用途が変更されることとなった。
19: 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 2013/08/03 23:08:39 ID:33shbtPtP
フライトシミュとかでエンジンがひ弱な機体使うと泣けてくるからどうにもならない差は感じられるぜ
20: 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 2013/08/03 23:10:32 ID:N+QQHl2f0
23: 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 2013/08/03 23:14:38 ID:kjMv2cSk0
>>20
蒼の英雄は米軍機が酷すぎる
蒼の英雄は米軍機が酷すぎる
22: 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 2013/08/03 23:13:32 ID:ynimfAjyP
日本機の優位性は後続力
それとパイロットの航法
それとパイロットの航法
25: 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 2013/08/03 23:15:41 ID:m4kUgh6E0
簡単じゃないか
日本は優秀だったが
アメリカはもっと優秀だったんだ
日本は優秀だったが
アメリカはもっと優秀だったんだ
28: 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 2013/08/03 23:17:53 ID:N+QQHl2f0
B-29のターボ過給機とか図では簡単なのな
でもインタークーラーも気化器も圧力と熱に耐えるエンジンもとんでもなく工業力がいるってね
でもインタークーラーも気化器も圧力と熱に耐えるエンジンもとんでもなく工業力がいるってね
30: 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 2013/08/03 23:19:04 ID:j2mOtfVhO
1943年頃、日本がまだ優勢だった頃の各国の戦闘機性能を日本を100として、だいたいの指標でいいから教えてくれ。
日 100
独
伊
英
米
仏
露
中
日 100
独
伊
英
米
仏
露
中
33: 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 2013/08/03 23:22:32 ID:N+QQHl2f0
>>30
欧州と太平洋は分けた方が良いんじゃないかな…
欧州と太平洋は分けた方が良いんじゃないかな…
34: 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 2013/08/03 23:24:22 ID:cc0AykTjO
>>30
フィンランド枠を頼む
フィンランド枠を頼む
36: 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 2013/08/03 23:27:04 ID:33shbtPtP
まあ米軍は日米開戦まで実践経験皆無なのに対して日本は大陸でブイブイいわせてノウハウだけはあったからなぁ
>>30
航空機の純粋な性能って面だけでなんとなく考えてみた(ベテランによる活躍神話等を除外)
1939 1941 1943
日 100 100 100
独 130 150 200
伊 120 90 70
英 90 110 130
米 70 110 180
仏 80
露 60 90 110
中
IL-2やった感じの独断と偏見はある
>>30
航空機の純粋な性能って面だけでなんとなく考えてみた(ベテランによる活躍神話等を除外)
1939 1941 1943
日 100 100 100
独 130 150 200
伊 120 90 70
英 90 110 130
米 70 110 180
仏 80
露 60 90 110
中
IL-2やった感じの独断と偏見はある
44: 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 2013/08/03 23:35:38 ID:j2mOtfVhO
>>36
これはサンクス
意外にも開戦時はイタリア機の性能かなり高いのな
これはサンクス
意外にも開戦時はイタリア機の性能かなり高いのな
第二次世界大戦前夜になると、ベニート・ムッソリーニは空中艦隊構想を実現すべく航空戦力を大幅増強した。しかし爆撃機が比較的実用性の高い機体をそろえていたのに対し戦闘機の数が足りなく編成の均衡を欠いていた。さらに信頼出来る発動機を持たなかったのも致命的な問題と指摘されている。
ポーランド侵攻による第二次世界大戦勃発時、イタリアは属する枢軸国の三大国家(ドイツ・イタリア・日本)の中で依然として最も空軍の規模が小さかった。航空機3,296機中、実際に使用が可能と見られていたのは僅かに2,000機程度に過ぎなかった。装備面でも明らかに仮想敵国の米英空軍より劣悪で、特に戦闘機に関しては先進的な技術を持ちながら第一次時代の戦訓に固執して複葉機を採用(フィアット CR.42)した為に、当時の主流だった単葉機型戦闘機(MC200とフィアットG.50)は166機しかなかった。加えて航空産業が複数の小企業に分かれていた事も、少ない工業力を更に分散させる結果を生んだ。
1940年6月、ナチスドイツ軍がフランスに侵攻を続ける中、ファシスト政権は英仏両国に宣戦を布告した。直ちにイタリア空軍は陸軍の支援及び後方への爆撃任務を開始、計716回の出撃を行い、276トンの爆弾を南フランス(オクシタニア)に投下した。程なくドイツのパリ占領によりフランスが降伏してヴィシーフランスが成立すると、戦いの場は地中海各地のイギリス空軍へと切り替えられた。
イタリア空軍は第二次世界大戦に対するイタリア王国の関与の始まりから終わりまで、中東への枢軸軍の航空攻撃に深く関係していた。イギリスの影響下にあったイラクによるアングロ・イラク戦争の間、イタリア空軍はドイツ空軍と共に「イラク航空団」を創設、イラク軍の指揮下に入ってヴィシーフランス領レバノンを根拠地として英空軍と交戦した。1940年7月にはイタリア空軍が英領パレスチナのハイファ爆撃に成功し、石油パイプランを破壊した。タイム誌で大きく報じられた同攻撃の後、続いて10月中旬にはファシスト党の幹部でもあったエットーレ・ムーティらが参加した長距離爆撃機隊がリビアを出撃、バーレーンの石油地帯の破壊に成功した。
こうした枢軸空軍による水面下での支援は最終的にイギリス軍をシリア・レバノン侵攻へと踏み切らせた。
北アフリカの戦いが始まると、上空では伊英空軍の激しい空戦が繰り広げられた。両者の戦いはほぼ拮抗していて、また装備された戦闘機は同じ複葉機が中心であった。イギリス空軍がグラディエイターを主力とする一方、イタリア空軍もフィアットCR32とCR42を主戦力としていた為である。後に両者は共に新たな戦闘機を受領して劇的に戦場の戦いは変化するが、戦いそのものは互角のままであった。戦況が大きく動くのは空軍ではなく、陸軍同士の戦いの結果としてであった。陸軍の敗北(コンパス作戦)に巻き込まれる形でイタリア空軍は多量の航空機を破壊して後方に下がらなければならなくなった。
それ以降は形勢は英軍側に傾き、後にドイツ軍が参加すると英独空軍の戦いの場へと北アフリカ上空は変わった。北アフリカのイタリア空軍はドイツ空軍に命運を託した格好に零落れざるをえなかった。それでも1942年にはイタリア空軍は400機まで運用台数を回復させて、ドイツ空軍の次に甘んじる形ではあったが確かな戦果を挙げていった。ロンメルによる英軍への最初の反抗作戦が開始された時、イタリア空軍部隊はイギリス空軍を追い払って制空権を確保している。またクルセイダー作戦でドイツ軍が後退した時も、イタリア空軍は英軍の爆撃隊に多大な損害を与えて退却を助けた。
しかしエル・アラメインの戦いでイタリア空軍はイギリス空軍との交戦で多くの損失を蒙り、決定的に英空軍に苦戦する状況下に置かれた。加えて陸上でも枢軸側の不利が決定的になった事もあり、次第に劣勢を深めていった。チュニジアの戦いに至った時点で、もはや北アフリカのイタリア空軍に戦力は殆ど残っていなかった。
54: 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 2013/08/03 23:40:22 ID:33shbtPtP
>>44
一応、航空大国だったしねぇ。まあ兵器開発に注げる資源も資金もなくなるわけだけど
ぶっちゃけ陸上機基準で考えちゃったから日本軍機は空母や島嶼運用で活躍できる専用機として優秀だったとは思うけどね
一応、航空大国だったしねぇ。まあ兵器開発に注げる資源も資金もなくなるわけだけど
ぶっちゃけ陸上機基準で考えちゃったから日本軍機は空母や島嶼運用で活躍できる専用機として優秀だったとは思うけどね
37: 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 2013/08/03 23:27:58 ID:LnbKaxHl0
ドイツの高さにドン引き
38: 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 2013/08/03 23:30:23 ID:nJJ1L+kK0
ドイツにとっては英米機はソ連機の3倍強かったって評価
39: 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 2013/08/03 23:31:31 ID:KWpwHB+n0
bf109の意外な設計年の古さに驚く
Bf 109 (Messerschmitt Bf 109) は、第二次世界大戦におけるナチスドイツ空軍の主力戦闘機。世界で初めて一撃離脱戦法を前提に開発されたとされ、機体重量に比し小さく薄い主翼を持ち、モーターカノンや主脚のエンジンマウントなど、特徴のある設計となっている。
1934年、バイエルン航空機製造(Die Bayerische Flugzeugwerke/BFW)で開発が開始され、翌1935年、生産開始。設計主任は、かつてBf 108を設計したロベルト・ルッサー技師。後にバイエルン航空機製造はメッサーシュミット社となった。
40: 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 2013/08/03 23:32:23 ID:kjMv2cSk0
バトルオブブリテンじゃ負けてるがな
まあ条件が違うが
まあ条件が違うが
42: 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 2013/08/03 23:34:32 ID:8YpaU+500
>>40
あれはドイツ側は帰り考えたら航続距離ギリギリだったんだっけか
あれはドイツ側は帰り考えたら航続距離ギリギリだったんだっけか
52: 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 2013/08/03 23:38:41 ID:kjMv2cSk0
>>42
逆に東南アジアなら零戦はスピットに勝ってるがな
これも条件付きで
逆に東南アジアなら零戦はスピットに勝ってるがな
これも条件付きで
41: 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 2013/08/03 23:34:30 ID:gT6mmwGf0!
工業を自分のものにしきれていなかったから全ての質が低かった
そんな中でできる範囲で最高のものを作ったのが零戦
質の悪い燃料で非力なエンジンで実用性を出すため軽量化に特化し
航続距離と格闘能力にステ全振りした機体を作った
そんな中でできる範囲で最高のものを作ったのが零戦
質の悪い燃料で非力なエンジンで実用性を出すため軽量化に特化し
航続距離と格闘能力にステ全振りした機体を作った
49: 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 2013/08/03 23:37:40 ID:t7kV3vmL0
>>41
俺はよく知らんけどそのイメージだなぁ
戦争ではそこそこ勝ちを拾えてたとはいえまだまだ先進国と言うにはほど遠い状況の範囲で優秀だったんだと思ってる
俺はよく知らんけどそのイメージだなぁ
戦争ではそこそこ勝ちを拾えてたとはいえまだまだ先進国と言うにはほど遠い状況の範囲で優秀だったんだと思ってる
43: 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 2013/08/03 23:35:15 ID:0WUs5WiJ0
要は総合力だろ、大事なのは
45: 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 2013/08/03 23:36:00 ID:LnbKaxHl0
そのうちゼロ戦を扱ったお涙頂戴の日本映画とか出てくるんだろうな
46: 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 2013/08/03 23:36:48 ID:0WUs5WiJ0
>>45
ジブリあたりが手掛けると良いのが出来そうじゃね?
ジブリあたりが手掛けると良いのが出来そうじゃね?
53: 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 2013/08/03 23:40:04 ID:ynimfAjyP
>>45
坂井がょぅι゛ょの乗った輸送機を見逃した話とか?
坂井がょぅι゛ょの乗った輸送機を見逃した話とか?
47: 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 2013/08/03 23:37:20 ID:0VNRUgSw0
生産数をみれば一目瞭然だが
10:1ではそもそも誰も勝てない
10:1ではそもそも誰も勝てない
51: 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 2013/08/03 23:38:12 ID:N+QQHl2f0
過給機に関してはドイツも苦労してたよね…
アメリカがジェット開発を進めなかったのは開発リソースを全て過給機に割り振ったからだって話も読んだ
アメリカがジェット開発を進めなかったのは開発リソースを全て過給機に割り振ったからだって話も読んだ
57: 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 2013/08/03 23:42:16 ID:kHrmhQ0q0
>>51
ドイツも苦労してたというより、あの頃に実用化してどんどん搭載してた米軍が異常なんだよな
ドイツも苦労してたというより、あの頃に実用化してどんどん搭載してた米軍が異常なんだよな
B-17、B-24に続き過給機として排気タービンを装備。排気タービンは現在乗用車に使用されているターボチャージャーと同じ原理で、排気のエネルギーを利用してエンジンに圧縮された濃厚な空気を送り込む装置。空気が希薄な高空でのレシプロエンジンの性能を確保するため、各国で開発が進められていたが、大戦中に実用化したのはアメリカのみだった[2]。タービンには排気ガスと回転による高温高圧がかかるため、高度な合金・冶金技術が要求される。
日本側は鹵獲したB-17のそれを形だけはコピーしたものの焼入れがうまくできず(当時は高温の油で行なう方法)、タービンの分子レベルでの均一が保てずに、そこから破損した。その結果、排気タービンや2段過給機を持たない日本の迎撃機は、高空の薄い空気の中ではエンジンの出力が極端に落ちることが多かった。ただしB-29の排気タービンは軽量化優先のマグネシウム合金製のため燃えやすいという欠点があり、また強度に劣り部品寿命も短く、頻繁な交換を前提とした消耗品であった。しかしながら消耗品と割り切って設計した事により、アメリカは他国にさきがけて排気タービンを実用化できた。
B-29はひとつのエンジンをツイン・ターボにして4つのエンジンを搭載していた。ちなみにB-17はシングル・ターボでやはり4つのエンジンである。
55: 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 2013/08/03 23:40:46 ID:D9BhhCpY0
一人でB29を5機も撃墜した奴もいたよ
56: 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 2013/08/03 23:41:26 ID:LnbKaxHl0
空軍オタのお前らの一押しの空軍映画って何なの
58: 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 2013/08/03 23:43:10 ID:33shbtPtP
>>56
レシプロ機系の映画は撮影に使った機体がどうだとかマニアが喜ぶようなやつゴリ押しされるだけだから
トップガンだけ見とけばいいよ
レシプロ機系の映画は撮影に使った機体がどうだとかマニアが喜ぶようなやつゴリ押しされるだけだから
トップガンだけ見とけばいいよ
『トップガン』(Top Gun)は、1986年のアメリカ映画。アメリカ海軍の戦闘機パイロットの青春群像を描いた航空アクション映画である。
超時空要塞マクロス 愛・おぼえていますか』のビデオで板野サーカスを観たハリウッド映画関係者が、映画『トップガン』の空撮シーンのヒントにしたという説がある。ちなみに,映画『第9地区』のニール・ブロムカンプ監督はマクロスの熱烈なファンで、パワードスーツがミサイルを発射するシーンで「納豆ミサイル」の表現をみせている。
59: 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 2013/08/03 23:45:10 ID:kHrmhQ0q0
>>56
パールハーバー見ようぜ
日本軍機は全部CGかと思いきや、その昔映画の撮影用に米軍機を改造して零戦に似せた機体と
レプリカの零戦と本物の零戦が共演してるんだぜ
パールハーバー見ようぜ
日本軍機は全部CGかと思いきや、その昔映画の撮影用に米軍機を改造して零戦に似せた機体と
レプリカの零戦と本物の零戦が共演してるんだぜ
『パール・ハーバー』(Pearl Harbor)は、2001年5月より公開された第二次世界大戦(特に真珠湾攻撃)を題材としたアメリカの戦争映画(内容的には戦争を舞台にした恋愛映画)である。日本では同年7月から公開された。
『アルマゲドン』や『ザ・ロック』といったヒット映画を生み出してきたジェリー・ブラッカイマーとマイケル・ベイによる制作で、監督はベイが務めた。総制作費1億3225万ドル。
日本での配給においては戦争映画として売り出される一方で『タイタニック』(1997年)や『スターリングラード』(2001年)のような歴史的悲劇の中の恋愛映画として大々的に宣伝が行われ、興行的には大ヒットすることとなった。また、リアリティはともかく迫力に溢れた映像および音響演出は話題となり、その年のアカデミー賞では音響効果賞を受賞している。
本作の偏見的な描写はアメリカ国内でも注目され、アメリカの有名な映画評論家であるロジャー・エバートは「この作品は真珠湾攻撃を知らないか、第二次世界大戦さえも知らない観客を対象に作ったのだろう」と批評した。また、トレイ・パーカーらによるブラック人形劇コメディ映画『チーム・アメリカ』(2004年)は、挿入歌に本作への痛烈な批判ネタを織り込んでいる。
試写会が大々的に真珠湾内で行われ、会場となったのは空母ジョン・C・ステニス艦上だったが、 日本と日系の報道機関はシャットアウトして行われた[2]。また試写会の為だけに同空母をサンディエゴから航行させたことに一部から批判された。
日本軍が機銃掃射で民間病院や民間人を攻撃しているシーンや海面に浮いている兵士へ機銃掃射をするシーンがあるが、これは史実に無い過剰演出として批判する意見がある。ただし、記録によれば日本側の諜報活動のミスにより民間施設が軍事施設として誤って攻撃対象になっていた場合もあるようで、実際にそれによる死傷者も出ている。
日本海軍攻撃隊発艦シーンにおいて、『トラ・トラ・トラ!』に続き、再度退役米空母レキシントンが日本空母役を務めている。『トラ~』では通常通り艦前方から発艦しているため、戦中の艦には無い横にせり出したアングルドデッキがどうしても目立ってしまっていたが、本作ではレキシントンの前後を逆に見立てて後方から発艦させるという手法をとっている。これにより、アングルドデッキが目立たなくなる[11]だけでなく、日本空母独特の左舷艦橋の再現にも成功している。発進するシーンの機体の数機はCGではなく、実際に実機を発艦させた。
65: 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 2013/08/03 23:50:40 ID:kjMv2cSk0
『ナイト・オブ・ザ・スカイ』(原題:Les Chevaliers du ciel)は、2005年のフランス映画。原作は、漫画「タンギーとラヴェルデュール」シリーズ。
フランス空軍の全面的な協力のもと、徹底的に実写にこだわって製作された。例えば、航空機の翼下の燃料タンクを改造してカメラを取り付けて撮影し、臨場感溢れる映像が全編に用いられている。また、アクションシーンでは廃棄予定だったミラージュIIIをミラージュ2000に見立てて爆破している。
原作は1959年から発表された「タンギーとラヴェルデュール」シリーズ(ジャン・ ミシェル・シャルリエ脚本、en:Tanguy et Laverdure)。タイトルは二人の主人公の名字である。欧米諸国で長年にわたり愛読され、1960年代、1980年代にTV化されている。 映画原題のLes Chevaliers du ciel(直訳:空の騎士達)は、テレビ版で用いられたタイトルであり、邦題はこれを英訳したもの。
69: 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 2013/08/03 23:57:58 ID:ynimfAjyP
>>56
第一次大戦が舞台だけど
地獄の天使
第一次大戦が舞台だけど
地獄の天使
75: 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 2013/08/04 00:06:33 ID:rA7ab1c4P
60: 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 2013/08/03 23:45:26 ID:eVqf0w370
燃料だろ
燃料良ければ性能は圧倒的に日本のほうがすぐれてたらしい
燃料良ければ性能は圧倒的に日本のほうがすぐれてたらしい
61: 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 2013/08/03 23:47:04 ID:kHrmhQ0q0
>>60
戦後、誉エンジン搭載機を調査した米軍がビックリしたらしいな
「ちゃんと整備してやればスゲーじゃん」と
「こんな生産や整備の面倒なエンジン採用しちゃったのかよ……」の二重の意味で
戦後、誉エンジン搭載機を調査した米軍がビックリしたらしいな
「ちゃんと整備してやればスゲーじゃん」と
「こんな生産や整備の面倒なエンジン採用しちゃったのかよ……」の二重の意味で
誉(ほまれ、当時の表記は譽)は、中島飛行機と日本海軍航空技術廠発動機部とが技術を結集して開発した2,000hp級の航空機用レシプロエンジンである[1] 。大戦後期の日本軍偵察機や戦闘機、爆撃機のエンジンとして採用されたが、整備が難しく故障が多かった。
小型軽量ながら当時としては世界水準であり、1942年(昭和17年)9月に採用された。18気筒35,800cc・二重星型空冷・離昇2,000(公称1,860)馬力である。主に生産された型式には誉一一型、誉二一型、誉二四型ル装備(試作)などがある。中島飛行機が製作した最後の航空エンジンであった。本エンジンを採用した有名な機種には、爆撃機銀河、偵察機彩雲、戦闘機の疾風や紫電改などがあり、第二次大戦末期の日本軍機に搭載された。
なお、誉の名称は大日本帝国海軍(以下、海軍)で使われたもので、略記号はNK9であった。また、大日本帝国陸軍(以下、陸軍)ではハ45と呼称された(ハは発動機のこと)。設計主任者は中島の中川良一技師。中川技師は、戦後にプリンス自動車、日産自動車の役員を歴任、プリンス・スカイライン2000GT-R、R380、383の発動機(S20型、GR8型、GRX-3型)の設計にも携わっている。
大戦後期の陸海軍航空機にメーカーや機種を問わず幅広く搭載された。2,000馬力級の出力をめざし限界を追求した設計であるため、前面投影面積や重量が小さかったという利点と引き換えに高い生産技術が要求された。このような要求は戦況の悪化に伴う資材や熟練労働者の不足という生産面の問題、さらには燃料・オイルの質の急激な悪化や整備が追いつかなかったというメンテナンス上の問題により、構造を熟知する精鋭整備員がいる部隊ならともかく、一般的な教育を受けた整備員しかいない部隊では整備が追いつかず、所定の性能を安定して発揮することができなかった。
大戦末期の日本軍の2,000馬力級の戦闘機には誉が搭載されていたことや、終戦まで本エンジンの生産が続けられたことから、日本を代表する航空機エンジンであると評価されている。その潜在的高性能から「日本の航空技術が生んだ奇跡のエンジン」という評価がある一方で、国情を無視して技術の理想に走り生産を考慮しなかった結果、役に立たなかった「欠陥エンジン」であるとする、相反する評価がなされている。
戦後にハイオクタンガソリンと高品質潤滑油や高熱値のプラグを使用して誉を調査したアメリカ軍は、本エンジンに高い評価を与えている。高性能であったのは確かだが、当時の日本は脆弱な工業力、品質管理の概念もない生産状態、裾野の狭い工業力という諸条件から、熟練職人による少数生産ならばともかく、徴用素人工による品質を保っての大量生産は困難であった。
62: 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 2013/08/03 23:48:41 ID:ekS3SiZ/0
零戦ってモスキートさくっと落とせるか。
思考実験ないかな
思考実験ないかな
63: 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 2013/08/03 23:48:45 ID:ynimfAjyP
燃料が良ければ戦争しなくて済んだ可能性
66: 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 2013/08/03 23:52:36 ID:33shbtPtP
ゴムなんて高級品、とてもとても……
そういや隼なんかは「機体が重くなりそう」って理由でパイロットが防護用の鉄板下ろしてたりしたんだっけか
まあベテランからすれば後ろにつかれたり不意打ちされた時点で負けとわかってるわけだからあながち馬鹿とも言えんが
そういや隼なんかは「機体が重くなりそう」って理由でパイロットが防護用の鉄板下ろしてたりしたんだっけか
まあベテランからすれば後ろにつかれたり不意打ちされた時点で負けとわかってるわけだからあながち馬鹿とも言えんが
68: 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 2013/08/03 23:57:48 ID:XSPnlTDY0
>>66
エンジンさえ良ければ誰も防弾板降ろさないさ・・・
エンジンさえ良ければ誰も防弾板降ろさないさ・・・
67: 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 2013/08/03 23:54:45 ID:I66y3fn4O
第二次大戦は航空技術が飛躍的に発達した時期
大戦初期は紙や木で作ったプロペラ機が軍用機として現役だったのに
後期にはジェットエンジン積んだ金属製の飛行機が飛んでる
そら開発力遅れてる日本じゃおいてかれるわ
大戦初期は紙や木で作ったプロペラ機が軍用機として現役だったのに
後期にはジェットエンジン積んだ金属製の飛行機が飛んでる
そら開発力遅れてる日本じゃおいてかれるわ
70: 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 2013/08/03 23:59:44 ID:nbp6RlL70
B-29って小口径の機銃で落とすのは結構難しかったんじゃね?
ミサイルとまでは言わんが、大口径機銃があればもしくは・・・
あ、載せる戦闘機が開発できないというオチか。
ミサイルとまでは言わんが、大口径機銃があればもしくは・・・
あ、載せる戦闘機が開発できないというオチか。
71: 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 2013/08/04 00:03:39 ID:M2opC5LM0
ゼロ戦や紫電じゃ高高度にいるB29を落としに高高度まで行くとエンジンが高高度に適していないので性能が大幅に低下する
なのにアメリカは高高度に強い直掩戦闘機を連れてるから非常に不利だった
>>70
30mmや37mmを戦闘機に搭載するのはさほど難しくないし実際にそれで戦ってたよ
そもそも20mm機関砲の徹甲榴弾でも十分B29に被害を与えられる
なのにアメリカは高高度に強い直掩戦闘機を連れてるから非常に不利だった
>>70
30mmや37mmを戦闘機に搭載するのはさほど難しくないし実際にそれで戦ってたよ
そもそも20mm機関砲の徹甲榴弾でも十分B29に被害を与えられる
72: 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 2013/08/04 00:03:53 ID:C88FFgin0
>>70
全ての問題はエンジンに行き着くんだよな…
全ての問題はエンジンに行き着くんだよな…
73: 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 2013/08/04 00:05:04 ID:OR5BUkTs0
「いい機銃があれば勝てた」
「いい燃料があれば勝てた」
「いいエンジンがあれば勝てた」
「いい通信機があれば勝てた」
「排気タービンがあれば勝てた」
「いい燃料があれば勝てた」
「いいエンジンがあれば勝てた」
「いい通信機があれば勝てた」
「排気タービンがあれば勝てた」
74: 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 2013/08/04 00:05:32 ID:RlaZIyZP0
震電さえ…震電さえもっと早く開発に成功していれば…
今頃戦闘機博物館で大人気だったろうに!!!!
今頃戦闘機博物館で大人気だったろうに!!!!
77: 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 2013/08/04 00:07:23 ID:M2opC5LM0
>>74
所詮局地戦闘機だから活躍する頃には日本はボロボロだよ…
所詮局地戦闘機だから活躍する頃には日本はボロボロだよ…
78: 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 2013/08/04 00:07:47 ID:OFmP6j4/0
>>74
>戦闘機博物館で大人気
それだけかよ!
・・・まあ、それだけだろうな・・・
>戦闘機博物館で大人気
それだけかよ!
・・・まあ、それだけだろうな・・・
79: 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 2013/08/04 00:08:00 ID:C88FFgin0
>>74
あれ絶対離陸でプロペラ吹っ飛ばして事故るんじゃないかと思う
あとエンジン止まった時が怖い
真っ逆さまじゃないだろうか
あれ絶対離陸でプロペラ吹っ飛ばして事故るんじゃないかと思う
あとエンジン止まった時が怖い
真っ逆さまじゃないだろうか
1945年6月、1号機が完成し蓆田飛行場(現在の福岡空港)へ運搬。翌7月完工式。鶴野自身による滑走試験中、機首を上げ過ぎたために、プロペラ端が地面に接触して先端が曲がってしまう。この後、プロペラを試作2号機用の物と交換、機首上げ時にプロペラが接触しないよう側翼の下に機上作業練習機白菊の車輪が付けられた。
1945年8月3日、試験飛行にて初飛行に成功。続く6日、8日と試験飛行を行ったが、発動機に故障が発生し三菱重工へ連絡をとっている最中に終戦となった。
82: 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 2013/08/04 00:10:07 ID:OFmP6j4/0
>>79
実際ブレードが滑走路を叩いた事故があったよ
実際ブレードが滑走路を叩いた事故があったよ
83: 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 2013/08/04 00:10:13 ID:OR5BUkTs0
>>79
当時は射出座席とかなかったわけで
後ろにプロペラついてるとなると、乗る人は脱出するときのこと考えたら怖かったろうな
当時は射出座席とかなかったわけで
後ろにプロペラついてるとなると、乗る人は脱出するときのこと考えたら怖かったろうな
86: 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 2013/08/04 00:12:53 ID:OFmP6j4/0
>>83
確かプロペラ基部を爆破分離するための火薬が仕込んである
確かプロペラ基部を爆破分離するための火薬が仕込んである
89: 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 2013/08/04 00:13:50 ID:OR5BUkTs0
>>86
漫画で読んだ事あるけど、あれマジだったのか
もしかしてF8Fが翼端を吹っ飛ばすのもマジなのか
漫画で読んだ事あるけど、あれマジだったのか
もしかしてF8Fが翼端を吹っ飛ばすのもマジなのか
94: 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 2013/08/04 00:25:37 ID:OFmP6j4/0
>>89
ああ、軽量化のためにヤワに作っちゃったんで、いざというとき主翼がバラバラになる前に翼端だけ先に壊れるようにしたというやつだな
ああ、軽量化のためにヤワに作っちゃったんで、いざというとき主翼がバラバラになる前に翼端だけ先に壊れるようにしたというやつだな
88: 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 2013/08/04 00:13:33 ID:0KLTEOXXP
>>79
先尾翼マニアのルータン博士によると
失速すると機首下げが起きて加速できるのでスピンしにくいらしい
先尾翼マニアのルータン博士によると
失速すると機首下げが起きて加速できるのでスピンしにくいらしい
91: 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 2013/08/04 00:15:17 ID:PjtW892+0
>>79
ペラ擦らないように側翼に車輪をつけたから
ペラ擦らないように側翼に車輪をつけたから
85: 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 2013/08/04 00:11:04 ID:PjtW892+0
>>74
スミソニアン航空宇宙博物館にあるだろ
スミソニアン航空宇宙博物館にあるだろ
87: 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 2013/08/04 00:13:00 ID:OR5BUkTs0
>>85
展示してないんじゃなかったっけ
今度スミソニアン博物館行ってくる
展示してないんじゃなかったっけ
今度スミソニアン博物館行ってくる
76: 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 2013/08/04 00:07:01 ID:OR5BUkTs0
B-29があの当時の常識からするとかなりトンでもない性能だったわけで
あの米軍機でもそう簡単には落とせなかったように思うな
実際、日本軍以外でB-29を相手にしたらどうなるんだろ
あの米軍機でもそう簡単には落とせなかったように思うな
実際、日本軍以外でB-29を相手にしたらどうなるんだろ
80: 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 2013/08/04 00:09:07 ID:EDlnS2Hh0
>>76
めっさーしゅみっとちゃん
めっさーしゅみっとちゃん
103: 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 2013/08/04 00:40:52 ID:0HHBgtrD0
>>76
仮に米軍は「ドイツもイタリアも日本も大型爆撃機持ってないから12.7mmで良いやwwwwwwww」
ってコンセプトだから、意外と苦戦するだろうな。
大型爆撃機迎撃用の37mm砲4門搭載の3000馬力級迎撃機を試作したけど、
結局「ジェットの方が良いわ」って注文キャンセルしちゃったし。
仮に米軍は「ドイツもイタリアも日本も大型爆撃機持ってないから12.7mmで良いやwwwwwwww」
ってコンセプトだから、意外と苦戦するだろうな。
大型爆撃機迎撃用の37mm砲4門搭載の3000馬力級迎撃機を試作したけど、
結局「ジェットの方が良いわ」って注文キャンセルしちゃったし。
95: 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 2013/08/04 00:28:28 ID:txTgvQAKO
搭載されてる武器が豆鉄砲すぎて
アメリカの航空機の装甲に弾かれてたってマジ?
アメリカの航空機の装甲に弾かれてたってマジ?
96: 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 2013/08/04 00:33:06 ID:OR5BUkTs0
たいてい豆鉄砲か、デカい機銃かの二択
でもデカい方は本来デカくてもっさりした大型爆撃機を狙うためのもの
ということは
でもデカい方は本来デカくてもっさりした大型爆撃機を狙うためのもの
ということは
97: 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 2013/08/04 00:35:26 ID:M2opC5LM0
>>96
でかすぎと小さすぎの例あげてみ
でかすぎと小さすぎの例あげてみ
99: 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 2013/08/04 00:36:57 ID:OR5BUkTs0
>>97
どうしよう7.7mmと20mmのつもりで書いたんだけど
勢いよく突っ込まれる予感がしてならないんだぜ
どうしよう7.7mmと20mmのつもりで書いたんだけど
勢いよく突っ込まれる予感がしてならないんだぜ
104: 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 2013/08/04 00:46:51 ID:M2opC5LM0
>>99
7.7mmは確かに防弾のしっかりしたタイプの米軍機には辛かった
20mmは大き過ぎず小さすぎずだけど問題はその弾道
7.7mmは確かに防弾のしっかりしたタイプの米軍機には辛かった
20mmは大き過ぎず小さすぎずだけど問題はその弾道
98: 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 2013/08/04 00:35:27 ID:oe5t4dbi0
震電はギリギリ完成して欲しかったなあ
100: 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 2013/08/04 00:38:17 ID:08laAXPG0
そこに颯爽とカノーネンフォーゲルが!
すでに旧式化していたJu 87はG型で対戦車攻撃機として新しい役割を担うこととなった。これはJu 87の実用化された中では最終型であり、東部戦線で使用された。1943年以降のドイツの軍備の弱体化に加え、凄まじい数のソ連戦車が出現していた状況下で、ユンカース社はこの脅威に対抗しうる戦力として既存の設計をうまく適用させた。 Hs 129Bは有能な対地攻撃機ではあったが、Hs 129Bの大きな燃料タンクは敵の対空砲火に対して脆弱であり、ドイツ航空省は「できるだけ早期にHs 129Bの代わりとなる兵器が必要である」と述べた。ソ連戦車を主な標的とするJu 87 Dの更なる発展型として、Ju 87 Gの開発は1942年11月に始まった。11月3日に、エアハルト・ミルヒはJu 87の改良型を採用することに異論を唱え、完全に設計し直す必要があると問題提起した。しかし採用された設計は既存の設計を流用つつエンジンをJumo 211 Jに交換し、30 mm機関砲を2門搭載したJu 87だった。また、この設計では1,000kg爆弾を自由落下式で運用する能力も持たせていた。さらに、低空での攻撃の際に地上の対空砲火から乗員を保護するための防御装甲をイリューシンIl-2シュトゥルモヴィークの防御装甲を参考にして装備させた。スツーカのエースであるハンス・ウルリッヒ・ルーデルは37mmFlak 18機関砲を2門搭載することを希望した[要出典]。この案は、翼下に機関砲をガンポッド方式に搭載し、ガンポッド内に砲弾を収めるBordkanone BK 3.7として採用された。この装備は20mm MG 151/20 機関砲に対抗する装甲を備えたソ連戦車でも十分に破壊可能な能力を持っていた。
このガンポッドはJu 87 D-1, W.Nr 2552に搭載され「グスタフのタンクキラー」と呼ばれた。
1943年1月31日に初飛行を行いテストパイロットはハンス=カール・シュテップ大尉が勤めた。同じ対戦車攻撃機として運用されていたBK 7.5 75 mm砲を搭載したJu 88P-1が多くの問題を抱えていたこともJu 87Gの量産に拍車をかけ、1943年4月、最初の量産型Ju 87G-1が前線に送り届けられた。2門の37 mm機関砲は主翼の下のガンポッドに搭載され、1門12発、合計24発のタングステンの徹甲弾を搭載していた。この最初のG-1数機はオットー・ベイス中佐の率いる対戦車攻撃実験隊へ配属され、ブリヤレスク方面の戦闘で初陣を飾った。この初陣にはルーデル大尉も加わった。
本機はこの特徴的な機関砲から「大砲鳥」(カノーネンフォーゲル Kanonenvogel)の愛称で呼ばれ、ルーデルを筆頭とするドイツ空軍スツーカ・エースの手によって大きな成果を挙げたが、反面、無理に搭載した37mm砲による重量過多と安定性の欠如から、ルーデルをして「操縦が恐ろしく難しい機体」と言わしめた。
このガンポッドはJu 87 D-1, W.Nr 2552に搭載され「グスタフのタンクキラー」と呼ばれた。
1943年1月31日に初飛行を行いテストパイロットはハンス=カール・シュテップ大尉が勤めた。同じ対戦車攻撃機として運用されていたBK 7.5 75 mm砲を搭載したJu 88P-1が多くの問題を抱えていたこともJu 87Gの量産に拍車をかけ、1943年4月、最初の量産型Ju 87G-1が前線に送り届けられた。2門の37 mm機関砲は主翼の下のガンポッドに搭載され、1門12発、合計24発のタングステンの徹甲弾を搭載していた。この最初のG-1数機はオットー・ベイス中佐の率いる対戦車攻撃実験隊へ配属され、ブリヤレスク方面の戦闘で初陣を飾った。この初陣にはルーデル大尉も加わった。
本機はこの特徴的な機関砲から「大砲鳥」(カノーネンフォーゲル Kanonenvogel)の愛称で呼ばれ、ルーデルを筆頭とするドイツ空軍スツーカ・エースの手によって大きな成果を挙げたが、反面、無理に搭載した37mm砲による重量過多と安定性の欠如から、ルーデルをして「操縦が恐ろしく難しい機体」と言わしめた。
101: 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 2013/08/04 00:38:31 ID:OVS+CNIY0
やっぱ12.7mmと20mmの組み合わせが最強だな
102: 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 2013/08/04 00:39:32 ID:wfaxf9JvP
用途の都合で小口径と大口径を分けて使うのはまあ普通だと思うけどね
むしろ12.7mm万能論もどうなの
むしろ12.7mm万能論もどうなの
105: 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 2013/08/04 00:51:20 ID:wfaxf9JvP
確かにメッサーのモーターカノンになってるマウザーとかに比べると零戦の九九式はちょっとお粗末かもしれんな
コメント
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稼動するなら、北朝鮮支援の代償に返却要求という手段は?