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343空 戦闘301飛行隊 宮崎 勇 氏逝く [海軍]

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先刻メールを開くと、加州のD・K氏より 「紫電改」の宮崎さんが今日(10日)午前11時30分 92歳で亡くなったとある。

僕は2年半ほど前の休日、帝國海軍軍人の取材の為に来日中のD・K氏を堺市にある宮崎氏のご自宅に案内したことがあった。指定された時間は、11時。

海軍軍人は、時間に厳しい。5分前の5分前に到着して失礼の無いようにしたのを覚えている。

宮崎氏は、昼食を挟んでD・K氏との3時間に及ぶ取材にも疲れを知らぬほどで、病んでいた肝臓癌を感じさせないものであった。紫電改の模型を手にした様子が浮かんでくる。

その時立ち会って頂いたご子息が、D・K氏に至急報「父逝く」を打電してくださったのだ。

 

  

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宮崎 勇 氏は、大正8年、広島県生まれ。丙2期予科練。昭和17年第252空の隊員としてラバウルに進出。以来、ソロモン、マーシャル、硫黄島、フィリッピンで激烈な戦闘を戦い抜き、精鋭を集めた「紫電改」の343空で本土防空戦で終戦を迎えるまで、一度の教員配置につくこともなく第一線で終始された。

実戦参加回数は、全搭乗員のなかでも、一番多いのではないかと云われている。

昨日まで寝たきりではあったが、叔母さんと相変わらず口喧嘩をして元気だったのだが、いつしか眠りに就くかのように逝ったとのことである。

D・K氏は、ご子息に対して「大変悲しい知らせです。尊敬するお父さんは、大変勇敢な男で、日本のヒーローでした。お会い出来て戦闘体験が聞けて光栄に思います。現在2回目の編集作業中です。お父さんに本を見せられなく残念です。出版できましたら贈呈します。 ご冥福をお祈り申し上げます」と伝えている。

帝國海軍航空隊の歴史がまたひとつ閉じてしまった。  合掌。

写真は、神立尚紀 氏 「零戦 最後の証言」 P153・P158 より、宮崎氏の経歴は、同 P154などから引用させて頂いた。 深謝。


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