究極のレストア

平成25年4月4日
今回より農業のことをお話したかったのですが、気になること
があって、再度レストアについて前回付録記事のまた付録の
ような形でお話したいと思います。
零戦-11
いきなりの写真で恐縮ですが、零式(れいしき)艦上戦闘機、
通称「ゼロ戦」は日本人にとって知らない人はいないほどの
ビッグネームですよね。皆さんご存知のごとく、ゼロ戦は第二
次世界大戦期における日本海軍の主力艦上戦闘機で、昭和
15年に制式採用、日中戦争の半ばから投入され、太平洋戦争
の終戦まで5年間も第一線で運用されました。
零戦-13
零戦は太平洋戦争初期、2200kmに達する長大な航続距離
及び20mm機関砲2門の重武装や優れた格闘性能によって、
米英の戦闘機に対し圧倒的な勝利を収め太平洋戦線の占領地域
拡大に貢献し、米英パイロットからは「ゼロファイター」の名で
恐れられました。零戦の性能は太平洋戦争初期には米英戦闘機を
凌駕していましたが、大戦中期以降にはアメリカ陸海軍の対零戦
戦法の確立、アメリカ陸海軍の新鋭機の大量投入により反撃され、
逆に多数の熟練した零戦搭乗員の戦死によって零戦は劣勢に追い
込まれました。大戦末期には苦肉の策として特攻機としても使用
されましたが無能な参謀本部のやったこととはいえ、かけがえの
ない若い命が大空へと散って行きました。
零戦-18
ところで零戦は三菱重工業製なのですが、その設計は前作である
九六式艦上戦闘機に続いて堀越二郎技師が担当しました。担当と
いう生易しいものではなかったようで、海軍の要求性能は、堀越
技師らが「ないものねだり」と評するほど高いものであり、当時
ライバルの中島飛行機が途中で辞退した程であり、それこそ全身
全霊、不眠不休の苦心作であったとか。そのかいあって完成した
零戦は当時世界第一級の優秀戦闘機で、アメリカ海軍のグラマン
F6F、陸軍のP51マスタング、ドイツ空軍のメッサーシュミット
BF109、イギリス空軍のスピットファイアなどとともに、第二次
世界大戦期の傑作機として歴史に名を残しました。
零戦は国を挙げての生産体制となり、開発を辞退した中島飛行機も
ライセンス生産に加わり、その半数以上が中島飛行機製という皮肉
な結果となりました。もっともエンジンは栄というコードネームで
中島飛行機が製造したものなのでライセンス生産も容易であった
裏事情があります。
零戦-19
ついでながら零戦の心臓部、その栄エンジンをご紹介しますと
スペックは空冷星型OHV14気筒!レシプロ駆動エンジンで、
排気量は28リットル、キャブレターには遠心式過給機(スーパー
チャージャー)が装着されていました。パワーは950馬力前後で、
HONDAF1の絶頂期にマクラーレンHONDA-MP4/4は
1.6Lターボで1,000馬力近く出ていたようですから、要するに
マクラーレンHONDAに羽根を付けたものと言えば現代の我々
にも理解しやすいかも分かりません。
(関連記事:鈴鹿サーキットのこと vol.4:絶頂期参照願います)
F1マクラーレンホンダMP4・4-1
ちなみに零戦の最高速度は高度4,000m程度の水平方向飛行
で550キロ程度でしたのでダントツに速いことはなかったの
ですが、そのハンドリングといいますか、旋回や上昇下降などの
運動性能が抜群で空中戦(ドッグファイト)に滅法強かったのと
しかも省エネ設計にて2,000km以上という抜群の航続距離
を誇りました。その結果開戦初期には目覚しい活躍をして英米
を震え上がらせることとなったのです。

ついでながら世界史の中で明治時代にはロシアと勇猛果敢に戦い
薄氷ながらも勝利を収め、昭和時代初期には当時世界最強の英米
をビビらせたような国は欧米諸国以外では日本が唯一で、ベトナム
戦争のようなジャングルでのゲリラ戦とは異なり、技術と国力の
真っ向勝負をやったのは日本だけで、その善悪は別としての事実
はアッパレというか怖いもの知らずというか、思いつめたら何を
しでかすか分からないところがあり、日本人というのはある意味
恐ろしい民族ではあります。(関連記事:203高地参照願います)

当時の零戦パイロットは命がけであったことはもちろんですが、
アイルトンセナや中島悟と同じようなハイスピードでの緊張感
に晒され、その中で戦闘行為というものをやった訳ですから、
察するに余りあるというものです。ただし、スピード感という点
では地上に這いつくばって走るF1のほうが緊迫感があるような
気もします。それ以上は不謹慎にて記述を控えます。
FFヘルキャット-2
それに対し、アメリカ海軍はグラマンF4Fで対抗その後はF6Fを
投入し、個別性能よりも物量作戦で次第に零戦を圧倒していきま
した。空中戦の一騎打ちでは零戦が有利でも、大勢で寄ってたか
って攻められたら勝てる道理がありません。
F4Uコルセア-1
また、途中からはノースロップ社のコルセア等の新型機も投入され
明らかに零戦が不利な状況に追い込まれました。このコルセアは
主翼がV字型に折れ曲がっており、かつて中島悟がF1で乗って
いたティレルHONDAのフロントウイングを想像してしまいます。
F1ティレルホンダ
日本人初のF1ドライバー、中島悟は当初ロータスHONDAで
アイルトンセナとともに活躍しましたが、その後はティレルに
移籍し日本人の存在感を世界に示しました。その意味で現代
のゼロファイターパイロットと言えるかも知れません。
紫電改-4
日増しに激しくなるB29による本土爆撃を迎撃阻止する目的で
日本は川西航空機の紫電改その他を投入しましたが基本性能の
良さに反し劣悪なオイル、航空燃料等により十分な性能が発揮
出来ませんでした。
P51マスタング-3
その後、アメリカは陸軍用P51マスタング等の最新鋭機を投入
するに至りましたが、ちなみにマスタングのエンジンはイギリス
のロールスロイス社のマーリンエンジンを流用したもので、その
スペックは水冷OHCV12気筒、排気量27リットル、キャブ
レターには遠心式過給機(スーパーチャージャー)もしくはター
ボチャージャーが装着され、パワーは1,500馬力を優にオー
バーし、最高速度も700キロ以上と群を抜いて速く、もうこう
なると零戦がいかに優秀だったとしてもお手上げ状態で、空で
の戦いは日本軍にとってもはや絶望的となりました。
四式戦闘機疾風-1
終戦間際になって最大手の中島飛行機が開発した高速迎撃戦闘機
「疾風」はP51ムスタングと互角に渡り合える程の高性能もさること
ながら本土空襲による生産設備の破壊、及び劣悪なパーツ、燃料
等によりうまく稼動せず、時すでに遅しの感がありました。
P51マスタング-9
P51マスタングが圧倒的に有利だったのは水冷エンジンを採用
していたことで、劣悪な条件下でのオーバーヒートや燃焼不良を
防ぐのに有利でした。奇しくもHONDAF1の草創期に宗一郎氏
が空冷を主張し水冷を主張するF1監督中村氏やJ・サーティースと
激しく対立し、結局は重大事故によりF1を撤退せざるを得なかった
ことは、示唆に富んだ話ではないでしょうか。宗一郎氏もこのこと
は知っていたと思うのですが、言い出したら聞かないガンコ親父は
厳しい現実により自ら思い知らされるしかなかったのです。
(関連記事:鈴鹿サーキットのこと vol.3:混迷期参照願います)
P51マスタング-14
余談ですが、このアメリカとイギリスのコラボマシンであるP51
マスタングは第二次世界大戦の最優秀戦闘機として評価され、
戦後もジェット戦闘機が主流となるまでは朝鮮戦争頃まで長く
使用されました。ただし海軍用艦載機ではないので空母に積ま
れることはありませんでした。

蛇足ながら、不謹慎のそしりを恐れずにあえて申しますと、P51
マスタングは戦闘機として究極の性能を追求した結果、その
デザインは非常に機能的かつ合理的であり、美しいとさえ感じ
ます。あとで気付いたことですが、他の空冷星型エンジン搭載機
に比べ水冷直列エンジンは縦長で必然的にロングノーズショート
デッキスタイルになっていることです。その点で奇しくも美しい
古典的なスポーツカーの方程式と一致しています。
零戦-15
突然の写真で恐縮ですが、タバコ屋が呉のヤマトミュージアムを
見学時に写した零戦です。非常に丁寧にレストアされ往年の勇姿
を再現していましたが、やや残念なことに機体は動態保存でなく
エンジンを再始動することは出来ない状態でした。
零戦-2
ところが何と言うことでしょう。動く零戦があったのです。
アメリカ軍によって捕獲された零戦が戦後民間に払い下げられ
大切に保管レストアがされていたようで、今度日本に里帰りし
一般公開されたようです。
零戦-6
その零戦の心臓部、栄エンジンです。先ほどご説明した星型空冷
14気筒エンジンの細部が写っています。
当時の日本は一点豪華主義といいますか、自動車技術はお話に
ならないくらいお粗末でしたが、航空機及び航空機エンジン技術
は世界トップクラスでした。終戦後財閥解体により中島飛行機と
三菱はバラバラにされてしまいますが、解体されたカケラが一部
残り、富士重工としてその後の発展に繋がることになります。
また別のカケラはプリンスと一緒になり、その他の元社員も日産、
ホンダ等に多数入社し、結局は三菱や中島飛行機が形を変えて
戦後の自動車産業を支えることになります。
もっとも航空機エンジニアにしてみれば地上を走るオクルマの設計
など空飛ぶヒコーキに比べれば朝飯前だったに違いありません。
(関連記事:荒ぶる心 vol.2:スカイライン2000GT参照願います)
零戦-10
実際にエンジンを稼動させている場面です。70年前に生産された
機械を大切に保存し、実際に動く状態を維持する(動態保存)
ことは大変な努力が必要だと思うのですが、ほとほと脱帽です。
カラーリングが日本零戦オリジナルでないのがやや残念ですが
それとてこの歴史遺産の値打ちを損なうものではありません。
F1マクラーレンホンダMP4・5-4
HONDAも過去の歴史遺産をレストアし当時のまま動く状態で
保存することには大変熱心で、この日は虫干しを兼ねて栄光の
F1マシン、マクラーレンHONDA-MP4/4やMP4/5その他を
引っ張り出したところです。
零戦-12
これは靖国神社の遊就館でレストア保存陳列されている零戦で、
おそらく日本でトップクラスの良好な保存状態だと思います。
もうあのような戦争は二度とやるべきではありませんが、ただ
蓋をしてしまうのではなく、厳正な歴史として見直しその時に
先人がすべての情熱を注ぎ込んだ魂の叫びのような作品を大切
に保存しレストアを施すことは意味のあることだと思います。
ただオクルマと違いヒコーキとなるとそのスケールは桁違いで
ある意味、究極のレストアと言えるのではないでしょうか。

尚、記事中の時代背景説明やメーカーの思惑等については、
あくまでもタバコ屋の個人的見解であることをご了解願います。

(一部の特殊な記述や写真等はウィキペディアその他より引用
させて頂きました。)


コメント

No title

こんばんわ。
レストア-->飛行機 想定外でしたが、外国では熱心なマニアがレストアして極上のコンディションものも多そうです。 航空ショーやアクロバットなんかでも出てませんでしたでしょうか?
零戦が三菱ということだけは知っていましたが、中島飛行機がこんな形で関わっていたとは。 日本の戦闘機で名前が浮かんでくるのは、やはりゼロ戦・疾風・紫電改ですね。 連載漫画か何かで読んでいたからだと思います。
マスタングやスピットファイヤーは車の名前にも使われていますし、メッサーシュミットはメーカー名にもあったような。 
やはり戦闘機メーカーは自動車メーカーと密接に結びついているのがよく分かります。 そういえばBMWもそうでしたね。
戦争末期にはペンシルバニア産の良質なエンジンオイルが手に入らなくて潤滑で駄目になって、そこからエステルが開発されたという記事がありました。(日本かどうかは忘れましたが)
飛行機はやはりプロペラ機が好きです。 あのエンジン音と何といっても振動が心地よいと思うのですが、ゆっくり”ブオーン”といいながら期待も震えながら飛んでいくのがなんともいえません。
ジェット機は電気自動車みたいで味がありません。
YS-11は良い飛行機だったのに、国家公務員や地方公務員がジェット機でないと飛行機でないという考えで大きな飛行場・大きなジェットを誘導した結果、小さい地方空港は閉鎖になり日本の航空網は大都市のみになってしまいました。
小さい空港でYS-11や小型機を誘導して、客が少なくても採算取れるような形になっていたら変わっていたのではないでしょうか。
車でも飛行機でもやはりレストアすれば当然動かさないとということになりますが、飛行機の場合は安全面からも相当な手間と費用がかかることは想像に難くありません。
でもそれだけ魅力があるということなんだと思います。
ゼロ戦、乗ってみたいですー。

Re: 想定外

拝復、さっそくのコメント有難うございました。
究極のレストアという何かその気にさせるような記事タイトルでありながら、中身はゼロ戦だったというゲリラ戦法にて、上山青年にも想定外の意外な記事だったようです。
かつての空のメジャー、中島飛行機の記事も気に入って頂いたようで嬉しいです。私の島の名前だからという訳ではないのですが、判官びいきのタバコ屋にとっては、かつてアメリカGHQによって粉々にされた中島飛行機が宇宙での星の爆発とそのカケラの再結集による新星の誕生のごとく、その後SUBARU、プリンス等を生み出しHONDAやニッサンにもその一部が入り込んだことは逞しいというか誇らしい歴史秘話でしょう。

上山青年はプロペラがお好みのようで、想像ながらズバリそれをモチーフにしたマークで有名なドイツの某オクルマメーカー等は相当お気に入りではないかと推察します。記事には露骨なことは書きませんでしたが、言いたかったのは絶対やってはならない戦争だったけれど、我が日本のヒコーキの技術はヤンキー野郎やドイツ野郎には負けてはいなかったんだということを言いたかったのです。

No title

こんばんわ!
中島飛行機ちょっとnetで見てみると書いている人が一杯いるのには驚きです。ガソリンとオイルはやはり粗悪だったようで、アメリカのオクタン価の高いガソリン入れただけで何割も性能アップしたなんてすごいもんです。日本人は技術改良に優れた才能がある人種なのかもしれません。 その代わりに感性が関わるようなところは苦手なのかもしれませんね。

オイルのことですが、ペンシルバニア産のパラフィン系オイルは性能が良くてジェットエンジンでも十分な潤滑能力があったようですが、ヨーロッパではアメリカが輸出しなくなることなども考えて新しいオイルを開発の必要に迫られてエステルが開発されていったようです。
多分日本でもアメリカ産のこのオイルは当然手に入らなかったでしょうが、当時の戦闘機はどんなオイルを使っていたのでしょう。

Re: アキレスの弱点

拝復、ゼロ戦コメント第二弾ありがとうございます。
タバコ屋も中島飛行機の当時の実体というのは今のSUBARU等から逆算してイメージするしかないですが、戦艦大和を作った呉海軍工廠(現在はIHI)と同様、ハイテク最先端技術集団だったのでしょう。
日本民族、技の匠論をご指摘頂きました。タバコ屋もまったく同感です。このDNAは恐らく古代朝鮮半島の百済あたりから渡ってきた渡来人と日本在来人との混血によって育まれた特質だと思うのです。この混血というのが大切で、混血に美人が多いのもそのためかと思われます。
同時に日本民族、センス悪~い論も頂きました。これもまったく同感なのですが、浮世絵等、面の表現は上手なのに対し、立体の表現がダルくて彫刻が発達しなかったお国柄でもあり一種の立体であるオクルマのデザインにおいてはその辺が顕著に現れるのだと思います。ただし細やかな細工が必要な工芸品などは抜群のセンスを発揮していると思いませんか。

上山青年はオイルのこと随分お詳しいですね。恥ずかしながら初めて知りました。当時アメリカ軍は高性能なオイルを使用していたのに対し、日本軍は劣悪なものしかなく、おまけにそれも尽きてきたので苦し紛れに松根油
(松の根っこから抽出するオイル)を航空燃料に試みかけましたが、まったく非能率ですぐやまってしまいましたよね。(戦闘機が数十分で燃やしてしまうドラム缶1本分の燃料を作るのに何日もかかったそうです)
戦争は一部の優秀な兵器だけでなく総力戦ですから土台勝てるわけがなく、やはり初めからアメリカにごめんなさい、至急中国から撤収しますから仲良くしましょうと言えば良かったのです。
ああいじらしきかな資源劣国、日本よ・・・、強かったアキレスも意外なところに弱点があったようです。

No title

こんにちはタバコ屋様

「ゼロ戦」からの戦闘機特集楽しく読ませてもらいました。
色々な物を型式で呼ぶのが素敵!と思わすきっかけに
なったのは案外「ゼロ戦」からなのかもしれませんね。

タバコ屋さんの令嬢が若者の間ではS30(サンマル)と
呼ばれ、トレノ・レビンはAE86で、ついにはハチロクたる
車にまでなってしまう。
そういえば、アニメ・ガンダムでも百式が登場したり
エヴァンゲリオンでは初号機であったり、日本人の
かっこいいと思わせる根底にあるのは、やはり「ゼロ戦」
だったのかもしれませんね。

そこには「ものづくりの国にっぽん」の職人のプライドであり
こころが日本人全員の血に流れているような気がします。
そんな日本人であって良かったなと改めて思いました。

タバコ屋さんも色々な形の「モノ」をこれからも創っていって
ください。
私も自分の中での「モノ」を創って行きたいと思います。

頑張りましょう!!

では
o(^▽^)o

Re: 短縮民族

拝復、そろばん様、ご返事が遅くなり申し訳ありません。実は千葉三越で催事販売会があり、うちの若い衆から人手がないので行ってくれとのお達しにて1週間島を離れていました。そのことはまた別途ブログ記事にてご報告致します。
ゼロ戦の記事、気に入って頂いたようで嬉しいです。やはりそろばんさんは計数のプロでもありオクルマエンスーでもあるので形式名という言葉が出ました。目の付け所がマニアックですね~。言われてみれば、確かに人気の品やあこがれの品は型式名で呼んでいましたよね。しかもそれをさらに短縮して・・・。
日本人は短縮表現がとても得意な民族だと思います。スカGとかファミマとかパソコンとか数えればきりがないほどです。

もの作りニッポン理論をご披露頂きました。タバコ屋もまったく同感にて、JTが生産したタバコだけ売っていれば良かったものをジュースを自分で作らねば気が済まず、とうとう知る人ぞ知るマクラーレン中島工場まで建てるはめになりました。おかげで会社が傾くほどの大借金を作ってしまい、反省しています。バカですよね。

今後ともご遠慮なさらずにユニークなそろばん理論をご投稿願います。

No title

ご無沙汰しております。私もスバル車に乗っている関係で、前身である中島飛行機を創設した中島 知久平の本を先日読破しました。SUBARUが水平対向エンジンにこだわる訳は、昔零戦に搭載していました栄エンジンである星型14気筒のエンジンを分解したところ、対向していたピストンが全く壊れていないことで、SUBARUは水平対向エンジンにこだわっているのです。
それにしても中島 知久平は、海軍のエリートでいながら、上層部がまだ戦艦にこだわっていたころに、これからは航空機の時代であると見抜き、海軍を辞めて自分で航空機製造会社をつくったことには感心させられました。当時相当な借金をして会社をつくりました。日本の軍幹部はどうしても、日本海海戦の勝利が頭から離れず巨艦建造、戦艦主義からはなれることができませんでした。
資源も富もない日本が、経済力の勝るアメリカに勝つのは、戦艦をつくるお金で航空機数百機をつくり空から魚雷を落として攻撃しることを提案してきた。
なんとかするために国会議員ななりなんとかしようとしたが、思うようにいかなかった。
中島 知久平の生き方は、まさに日本を愛し、日本を戦争に勝たせるため、またアジアの弱小国が、欧米に負けないという信念で純粋に生きたということでしょう。

Re:目くら1,000人、目明き1人

拝復、井村氏よ、あなたの執念にはもう脱帽を通り越して脱毛状態です。SUBARUへの愛惜断ちがたく思い高じて創業者の伝記を読むに至るとは尋常ではありません。そうなんですか、しかし中島知久平さんというのは偉い人だったんですね。タバコ屋のあこがれるタイプだと思います。先見の明というのか、そういうことはいつもメジャーでなくマイナーなことが発端ですよね。目くら1,000人目明き1人とはよく言ったもので、たいがいそういう時は気違い扱いされるものです。今から思えば中島知久平さんの戦略は正しかったし、空襲と財閥解体がなければ、今頃中島飛行機は航空界で世界のトップメーカーに成り得たと思います。間違った戦略であったあの戦争をやってしまったことは悔やまれますが。

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★★お知らせと独り言★★
【8月23日】                                               島の盆踊り、悪天候に振り回されながらも無事終わりました。 実施責任者として正直ホッとしているところです。異常だった夏も終わりを告げようとしていますがここにきて広島が大変なことになりました。中島も7月初めにやられているだけに被害に合われた方々にはお気の毒で言葉もありませんが、中島ともども早期の復旧を目指すしかありません。さて夏の日の思い出を書きつつあるのですがVOL.2ではぎおんさんのこと、VOL.3では島の盆踊りのこと、VOL.4では間もなく開催されるトライアスロンのことなど書いてみたいと思います。どうなりますか・・・。
◆◆たそがれメニュー◆◆
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