松山市にある 私立 済美高等女学校の学生により、38枚の紫色のマフラーに刺繍が施され、
日本軍松山航空隊の隊員に贈られた。
マフラーの生地は、松山市内にあった、飛行隊隊員の皆様の愛用した食堂の女将
今井琴子さん が、婚礼に持参した白無垢を、紫電改にちなみ、紫色に染めぬいた。
戦果は日本に味方せず、38枚のうち現存するは僅かに3枚。
ここでは、そのうちの1枚が、展示されています。
激戦を搔い潜って生還した、笠井智一上飛曹の愛用したものである。
刺繍のフレーズ 「 ニッコリ笑へば 必ず墜(おと)す 」 は、
笠井氏の所属した編隊4機の、1番機を受け持った 杉田上飛曹の座右の銘を、編隊全員が着用した。
他の編隊も、思い思いの文言を刺繍に採用した。
ニッコリ笑へば 必ず墜(おと)す
愛南町にある 紫電改展示館
ここに展示してある紫電改1機は、
その優秀性を大いに発揮した大空中戦の犠牲になった未帰還6機のうちの1機といわれています。
この時の、対戦は、土佐湾から発進し、広島県呉軍港を空襲した総勢一千数百機の米軍機の大編隊のうち、
最後尾の200機に対し、僅か16機の紫電改で襲い掛かり、散々に懲らしめた歴史的な成果であった。
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