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「特定失踪者」家族38年の願い 兄貴、とにかく生き抜いていてくれ…藤田進さん弟・隆司さん

2014年8月27日6時0分  スポーツ報知

 「兄貴のギターを、もう一度」―。5月に北朝鮮が日本人拉致被害者らの再調査を約束し、「9月第2週」とされる最初の報告期日が迫っている。1976年に埼玉・川口市で失踪した藤田進さん(失踪当時19歳)は、北朝鮮により拉致された可能性を排除できない「特定失踪者」の1人。弟の隆司さん(56)は「とにかく生き抜いていてほしい」と、兄の情報、そして帰国を心待ちにしている。(江畑 康二郎)

 「新宿方面にガードマンのアルバイトに行ってきます」―。76年2月7日、東京学芸大1年の進さんは、父に言って家を出た。隆司さんが覚えている兄の最後の姿だ。

 自慢の兄だった。進さんは小学校の時、水泳全国大会で6位入賞、中学ではバレーボール部主将で相撲の県大会2位、生徒会長も務めた。高校に入るとギターに没頭。高度な演奏技術を要するクラシックギターの名曲「アルハンブラの思い出」を、あっさりマスターして、家族の前で披露したという。隆司さんは「年は一つしか違わないのに、何をしても兄貴を超えられなかった。特にあのギターは忘れられない」と懐かしむ。

 71年に最愛の母を亡くし、男3人の生活だった。失踪後、隆司さんは知りうる兄の友人、知人100人以上に聞き込み、5年間は毎年警察で「行方不明者の遺体」を確認したが、手がかりはなかった。父は「育て方が悪かったからだ」と自分を責めるようになった。

 「(02年に)5人の拉致被害者が帰国した時も兄貴が拉致されたなんて考えもしなかった。すべて日本海側の出来事だと思っていた」と隆司さんは振り返る。

 だが04年夏、ある脱北者が北朝鮮から持ち込んだ写真により、事態は一変した。進さんと、北朝鮮にいるとされる写真の男性が、ほぼ同一人物であるという鑑定結果が出た。突然現れた「北朝鮮」の影。拉致被害者の田口八重子さんも同じ埼玉・川口市出身であることを知り、隆司さんは「確信」した。「兄は生きていた」

 その後、北朝鮮の元工作員・安明進氏が「藤田さんからたばこをもらった」と証言。07年には週刊誌で、拉致実行犯を名乗る男の生々しい「告白」も掲載された。だが、日本政府は、まだ進さんを「拉致被害者」とは認定していない。

 隆司さんの生活も変わった。11年前に「拉致問題を考える川口の会」を立ち上げ、夜勤の介護の仕事に転職。会の活動は多忙で、12年7月にはスイス・ジュネーブの国連欧州本部で行われた強制的失踪作業部会に出席し、「特定失踪者の現状」を訴えた。

 父は今年で90歳。「被害者家族も高齢の方が多く、(今回の再調査は)最後のチャンスかもしれない。でも妥協は許されない」と隆司さんは、今回の報告で、兄の情報がもたらされ、被害者全員が帰国することを願う。

 失踪から38年。兄のギターは大事にしまってある。「私も頑張って演奏に挑戦してみたんですが、ダメでしたね」と照れながら「兄貴が帰ってきたら、みんなの前でもう一度弾いてほしい。感謝を込めてね」と隆司さんはいたずらっぽく笑った。

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