右脳左脳論を考える(1)
聴覚における右半球と左半球の役割の研究から
大阪大学 基礎工学部システム科学科
生物工学コース 4年
井上 滋智
2010/12/17初出
0. はじめに
1. 両耳聴研究―Kimuraの研究(1964)
2. 聴覚情報が大脳にたどりつくまで
3. 聴覚情報処理の新しい解釈
4-1. Zattoreの実験―実験方法
4-2. Zattoreの実験―実験結果
5. 耳の機能が左右で異なる?
6. 最後に

大脳の左半球と右半球が脳機能の種類によって
一方が他方よりも深く関わっている(優位に働いている)ことを示す証拠には様々なものがあります。
脳損傷患者や分離脳患者(治療のため左右半球を結ぶ脳梁を切断した患者)の心理学的研究、
脳の機能イメージング、神経連絡や構造の非対称性を示した解剖学的研究などです。
一風変わった研究アプローチとして、二つの耳に異なった聴覚刺激を与えて、
被験者の聴覚知覚を調べるという両耳聴実験があります。

カナダの心理学者Doreen Kimura(1933-)は健常者の被験者に対して、
次のような二つの実験(Kimura, 1964)を行いました。
一つ目の実験では、異なる数字の音声を被検者の左右の耳に同時に流します。
3組の数字を与えた後、被検者には聞いた数字を報告してもらいます。
この時、数字の順序は問題にしません。
例えば、「左耳、右耳」にそれぞれ「3、5」、「2、7」、「1、6」という数字を流した後に、
「3、6、7、4、5、2」と答えたとすると、左耳の正答率は67%、右耳の正答率は100%となります。
二つ目の実験では、異なるメロディーの組をそれぞれ両耳に同時に流します。
そして、選択肢として4つのメロディーを流し、どの2つを聞いたかを報告してもらい、
同様に左右の耳の正答率を割り出します。
二つの実験結果から、「右耳の方が数字のテストの正答率がよく、
左耳の方が音楽のテストの正答率が良い」ということが分かりました。
内耳から出発した聴覚神経路の投射は両側の脳へ行くものの、
特に対側半球への投射が大きい、つまり「大部分の」右耳の情報は左半球に、
「大部分の」左耳の情報は右半球に運ばれるという前提に基づき、
Kimuraは、左半球は言語(数字)の処理に、右半球は音楽の処理に優れていると考えました。
聴覚伝導路の構成が完全な反対側投射ではなく、
左右の耳の情報が大脳に入る前の段階で融合していることはKimuraのこの研究以前から分かっていることでした
(Barnes et al., 1943)。
上オリーブ複合体や下丘から内側膝状体への投射で左右の耳からの情報が融合しています(図1)。
聴覚においては、左右の耳の情報が完全に分離して大脳に運ばれないのです。
ですから、両耳聴実験によって左右脳の機能分担を探る実験の解釈は慎重に行わなくてはなりません。
しかしながら、「左耳の情報が『全て』右脳に、右耳の情報が『全て』左脳に行く」
という正しくない単純化のもとでなされた研究も多く、その一部は社会に大きく発信され、
左脳・右脳に関する様々な迷信を生み出しました(例:角田、1981)。

図1:聴覚系の神経伝達路(カールソン(第3版)参照)

左右の耳に入れた聴覚情報の認識正答率が異なる実験結果を、
Kimuraは左右の大脳半球の機能の違いと解釈したわけですが、
彼女はその機能差は「言語か非言語か」であると解釈しました。
しかし、別の考え方も提唱されています。
音響学において、周波数分解能を上昇させればそれだけ時間分解能が下がり、
逆もしかりという原理(Joos,1948)が存在します。
すなわち、音の検出器で周波数の異なる(人が聞けば高さの異なる)
2つの音を分析するとき、周波数の差が大きいほど短い時間で特定でき、
差が小さいほど長い時間がかかります。
ZatorreとBelin(2001)は、「
大脳の右半球は周波数の分解能が高く、一方、時間分解能は大脳左半球が高い。
両者が役割分担することで周波数分解能と時間分解能を両立させている」と考えました。


図2:論文(Zatorre et al., 2001) で用いられた刺激(同論文を参照しました)
この役割分担が本当に存在するかを検証するために、周波数と時間の変数を持つ聴覚刺激(図2)を耳から入れ、
その際の脳の活動を脳機能イメージングによって観測する実験を行いました(Zattore
et al.,2001)。
左側では二つの周波数で固定しており、最短の変化時間が変数として用いられています。
一方、右側では、最短の変化時間が固定されていますが、移行する周波数間隔を細かく設定しており、
左側の刺激よりも用いられている周波数は多くなっています。
簡単のため、図の左側の刺激をTグループ、右側をFグループとします。
このような刺激を与えた時の被験者の脳内血流量を陽電子撮像法(PET)を用いて調べました。
血流量が増えたところほど、その部分の神経細胞の活動が上昇していることを示しています。


図3:ZatorreとBelin (2001) の結果(Zatorre
et al, 2002を参照しました)
図3は被験者の脳の賦活パターンを表したものです。緑は両半球ともヘッシェル回(一次聴覚野の一部)にあたり、
Tグループによく反応する部分を示しています。
一方、赤は、Fグループの刺激によく反応した部分です。
赤は解剖学的に前上側頭皮質、右上側側頭溝(STS)という部分に相当します。
まず、同一領域において、TグループとFグループの刺激を与えたときの反応を比較しました。
すると、右半球上側聴覚野は時間変化よりも周波数変化に、
左半球上側聴覚野は周波数変化よりも時間変化に大きい反応を示しました。
次にTグループの刺激を与えたときとFグループの刺激を与えたときの反応をある領域において左右の半球間で比較しました。
すると、左半球のヘッシェル回でよりTグループに対する反応の増加が大きく、
右半球の前上側頭皮質でよりFグループに対する反応がみられました。
このことからZatorreとBelinは、左半球皮質の活動がより時間分解能に関して優位で、
他方右半球の皮質活動が周波数分解能に関して優位であると解釈しました。

しかし、まったく別の解釈ができる可能性が提案されています(Sininger
and Cone-Wesson.,2004)。
その解釈を紹介する前に、まず、耳音響放射(OAE)という現象について説明したいと思います。
耳音響放射とは、耳から自発的、または音刺激を与えたときに、
耳の奥の方から音が返ってくるような現象です(Kemp,1978)。
耳は音を聞く器官ですが、音を出すこともできるのです。この現象には神経による制御はありません。
蝸牛の増幅作用を表す指標として研究の対象となっています。Siningerと
Cone-Wesson (2004) は、
クリック音(速い時間変化を示す音)と2つの異なる周波数の音のペアを与えた時の耳音響放射を左右の耳で調べました。
その結果、左耳ではクリック音を与えた時の方が異なる周波数の音を与えた時よりも強い耳音響放射が起き、
一方、右耳では異なる周波数の音を与えた時の方がクリック音を与えた時よりも強い耳音響放射が起きることが判明しました。つまり、右の内耳と左の内耳は異なった音響性能を持っていたのです。しかも、この非対称性は、Zatorreらの研究結果をも説明することができます。つまり、左耳の内耳は右半球で優位に処理される周波数変化の小さい刺激をより増幅し、右耳の内耳は左半球で優位に処理される時間変化の細かい刺激をより増幅するのです。
聴覚刺激の検出という比較的単純で、実験的に制御できる現象ですら、本稿で紹介してきたように、
科学的に多くの問題を抱えています。
ましてや、世間でよく言われている
「右脳人間と左脳人間のように人間は大きく2種類に分けられる。(左脳人間と右脳人間)」
「現代人が左脳ばかり使い右脳機能が弱っていることが様々な社会問題の原因になっている(左脳が病をつくる)」
「右脳を鍛えることが大事(ウノーくんのウノーかいはつ)」
「左手を使って右脳を答えよう(日常生活でできる右脳のトレーニング)」
というような風説のほとんどすべては科学的検証がほとんどなされておらず、信用に足る証拠は皆無に近いのです。

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Barnes WT, Magoun HW, Ranson SW (1943) The ascending auditory pathway in the brainstem of the monkey. The Journal of Comparative Neurology 79:129-152.
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Joos M (1948) Acoustic phonetics. Language 23:1-137.
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Kemp DT (1978) Stimulated acoustic emissions from within the human auditory system. Journal of the Acoustical Society of America 64:1386-1391.
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Kimura D (1964) Left-right difference in the perception of melodies. Quarterly Journal of Experimental Psychology 16:355-358.
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Sininger YS, Cone-Wesson B (2004) Asymmetric Cochlear Processing Mimics Hemispheric Specialization. Science 305:1581.
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Zatorre RJ, Belin P (2001) Spectral and temporal processing in human auditory cortex. Cerebral Cortex 11: 946-953.
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Zatorre RJ, Belin P, Penhune VB (2002) Structure and function of auditory cortex: music and speech. Trends in Cognitive Science 6 :37.
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カールソン 神経科学テキスト〜脳と行動 (第3版)、泰羅 雅登・中村 克樹 翻訳、丸善株式会社、2010
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右脳と左脳―その機能と文化の異質性 (小学館創造選書 44)、角田 忠信主著、小学館、1981
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左脳人間と右脳人間:http://www.right-brain.biz/type/human.html
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左脳が病をつくる:http://www.nrt.ne.jp/column_j04-6.htm
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ウノーくんのウノーかいはつ:http://www2.odn.ne.jp/a-migopark/uno.html
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日常生活でできる右脳のトレーニング:http://www.right-brain.biz/training/life.html
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