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________Japan On the Globe(240) 国際派日本人養成講座_______ _/_/ _/ 国柄探訪: 日本語が作る脳 _/_/ _/ _/_/_/ 虫の音や雨音などを日本人は左脳で受けとめ、 _/ _/_/ 西洋人は右脳で聞く!? _______H14.05.12_____36,914 Copies_____448,509 Views________ ■1.虫の音に気がつかない!?■ 東京医科歯科大学の角田忠信教授が、1987年1月にキューバ のハバナで開かれた第一回国際学会「中枢神経系の病態生理学 とその代償」に参加した時の事である。キューバではいまだ戦 時体制が続いており、西側諸国からの参加者は角田教授一人だ った。開会式の前夜に歓迎会が開かれ、東欧圏から大勢の科学 者が参加していた。キューバ人の男性が力強いスペイン語で熱 弁をふるう。 しかし、教授は会場を覆う激しい「虫の音」に気をとられて いた。なるほど暑い国だな、と感心して、周囲の人に何という 虫かと尋ねてみたが、だれも何も聞こえないという。教授には 「蝉しぐれ」のように聞こえるのに! 午前2時頃、ようやくパーティが終わって、キューバ人の若 い男女二人と帰途についたが、静かな夜道には、さきほどより ももっと激しく虫の音が聞こえる。教授が何度も虫の鳴く草む らを指して示しても、二人は立ち止まって真剣に聴き入るのだ が、何も聞こえないようだ。不思議そうに顔を見合わせては、 お疲れでしょうからゆっくりお休みください、というばかりで あった。 教授は毎日、この二人と行動をともにしたが、3日目になっ てようやく男性は虫の音に気づくようになった。しかし、それ 以上の感心は示さなかった。女性の方は、ついに一週間しても 分からないままで終わった。どうも日本人の耳と、外国人の耳 は違いがあるようだ。 ■2.左脳と右脳■ こうした聴覚の違いを切り口に、角田教授は日本人の脳が他 の民族の脳と違う点を生理学的に追求してきた。その結果が驚 くべき発見につながった。人間の脳は右脳と左脳とに分かれ、 それぞれ得意分野がある。右脳は音楽脳とも呼ばれ、音楽や機 械音、雑音を処理する。左脳は言語脳と呼ばれ、人間の話す声 の理解など、論理的知的な処理を受け持つ。ここまでは日本人 も西洋人も一緒である。 ところが、虫の音をどちらの脳で聴くかという点で違いが見 つかった。西洋人は虫の音を機械音や雑音と同様に音楽脳で処 理するのに対し、日本人は言語脳で受けとめる、ということが、 角田教授の実験であきらかになった。日本人は虫の音を「虫の 声」として聞いているということになる。 キューバ人にとっては、会場を覆う激しい虫の音も、いつも の騒々しい雑音だと慣れてしまえば、意識にのぼらなくなって しまう。我々でも線路沿いに長年住んでいれば、騒音に慣れて、 電車が通っても意識しなくなってしまうのと同じ現象なのだろ う。しかし、虫の音は日本人は人の声と同様に言語脳で聞いて いるので、雑音として聞き流すことはできない。スペイン語の 熱弁と激しい虫の音は、教授の左脳でぶつかっていたのだ。 このような特徴は、世界でも日本人とポリネシア人だけに見 られ、中国人や韓国人も西洋型を示すという。さらに興味深い ことは、日本人でも外国語を母語として育てられると西洋型 となり、外国人でも日本語を母語として育つと日本人型にな ってしまう、というのである。脳の物理的構造というハードウ ェアの問題ではなく、幼児期にまず母語としてどの言語を教 わったのか、というソフトウェアの問題らしい。 ■3.左脳か、右脳かの実験■ この違いを考察する前に、こうした結果がどのような実験で 得られたのか、簡単に見ておこう。人間の耳から脳への神経系 の構造は、左耳から入った音の情報は右脳に行き、右耳から入 ると左脳に行く、という交叉状態になっている。 そこで、左右の耳に同時に違ったメロディーを流して、その 後で、どちらのメロディーを聴きとれたかを調べると、常に左 耳から聴いた方がよく認識されている事が分かる。これで音楽 は、左耳、すなわち、右脳の方が得意だと分かる。同様に、違 う言葉を左右から同時に聴かせると、右耳、すなわち左脳の方 がよく認識する。我々がほとんどの場合、右耳に受話器をあて るのは、このためだそうだ。さらに複雑なテスト方法もあるが、 これが最も基本的な実験方法である。 こういう実験で、いろいろな音で、左脳と右脳の違いを調べ ると、音楽、機械音、雑音は右脳、言語音は左脳というのは、 日本人も西洋人も共通であるが、違いが出るのは、母音、泣 き・笑い・嘆き、虫や動物の鳴き声、波、風、雨の音、小川の せせらぎ、邦楽器音などは、日本人は言語と同様の左脳で聴き、 西洋人は楽器や雑音と同じく右脳で聴いていることが分かった。 ■4.アメリカでの虫の音?■ 虫の音と言えば、筆者にもこんな個人的な体験がある。ボス トンから内陸部に車で2時間ほど入った人里離れた山中で、見 晴らしの良い所があったので、車を止めて一休みしていると、 昼間なのに虫がしきりに鳴いている。 それを聞いているうちに、ふと、そう言えばカリフォルニア に4年も住んでいたが、虫の音に聴き入った覚えがないな、と 気がついた。乾燥したカリフォルニアでも沿岸部にはかなり緑 も多い。しかし私の記憶の中の光景では、なぜか常に豊かな緑 がシーンと静まりかえっているのだ。やかましい蝉しぐれだと か、秋の夜長の虫の音だとかは、どうしても思い出せない。 アメリカ人が虫というとまず思い浮かべるのは、モスキート (蚊)、フライ(蠅)、ビー(蜂)など、害虫の類だ。アメリ カでは蜂はまだしも、蚊や蠅はほとんどお目にかからない。だ からたまに蠅を見かけると、とんでもない不衛生な所だという 感じがする。文明生活の敵だとして、とことん退治してしまっ たのだろうか? また昆虫を示す単語には、悪い語感が付随している場合が多 い。"insect"には「虫けらのような人、卑しむべき人」という 使い方があり、"bug"は、「悩ましい、てこずらせる」から、 転じてソフトウェアの「バグ」などと使われる。日本語なら 「虫けら」とか、蚤、シラミのイメージだ。 虫はすべて害虫であり、その鳴く音も雑音と同様に聞くとな れば、蚊や蠅を退治する殺虫剤で、見境なく一緒に全滅させて しまったとしても無理はない。 ■5.虫の音に聴き入る文化■ 日本では対照的に、虫の音に聴き入る文化がある。現代でも コオロギ類の画像と鳴き声を納めたインターネットサイトから、 飼育法を解説した書籍まで無数にある。「虫の声」という以下 の童謡は、虫の音に聴き入る文化が子供の頃から親しまれてい る一例である。 あれ松虫が鳴いている チンチロ チンチロ チンチロリン あれ 鈴虫も鳴き出した リン リン リン リン リーン リン 秋の夜長を鳴きとおす ああ おもしろい 虫の声 この伝統は古代にまで遡る。 夕月夜心もしのに白露の置くこの庭にこおろぎ鳴くも (万葉集、しのに:しっとりと濡れて、しみじみした気分 で) 近世では、明治天皇の御製が心に残る。 ひとりしてしづかにきけば聞くままにしげくなりゆくむし のこゑかな 一人静かに耳を傾けると、虫の声がより一層繁く聞こえてく るという、いかにも精密な心理描写である。また虫の「声」と いう表現が、すでに虫の音も言語脳で聞くという角田教授の発 見と符合している。もう一つ明治天皇の御歌を引いておこう。 虫声 さまざまの虫のこゑにもしられけり生きとし生けるものの 思ひは 松虫や鈴虫など、さまざまな虫がさまざまな声で鳴いている。 それらの声に「生きとし生けるもの」のさまざまな思いが知ら れる、というのである。人も虫もともに「生きとし生けるも の」として、等しく「声」や「思い」を持つという日本人の自 然観がうかがわれる。虫の音も人の声と同様に言語脳で聞く、 という日本人の特性は、この文化に見事に照応している。 ■6.犬は「ワンワン」、猫は「ニャーニャー」■ 角田教授の発見では、虫の音だけでなく、そのほかの動物の 鳴き声、波、風、雨の音、小川のせせらぎまで、日本人は言語 脳で聞いているという。これまた山や川や海まで、ありとあら ゆる自然物に神が宿り、人間はその一員に過ぎないという日本 古来からの自然観に合致している。 幼稚園から小学校の4、5年ぐらいの日本の子供に、犬 はなんといって鳴くかというと、ワンワンというにきまっ ているのです。マツムシはチンチロリンという。外国人に 聞きますと、ひじょうに困るのです。なんというていいか 一生懸命考えて記憶を呼び出して、ウォーウォーといった り、ワーワーと言ったり。[1,p122 対談者の園原太郎・京 都大学名誉教授(心理学)の発言] 日本の子供が「ワンワン」と答えるのは当然である。親が犬 を指して「ワンワン」と教えるのであるから。同様に猫は「ニ ャーニャー」、牛は「モーモー」、豚は「ブウブウ」、小川は 「サラサラ」、波は「ザブーン」、雨は「シトシト」、風は 「ビュウビュウ」。まるで自然物はすべて「声」をもつかのよ うである。 このような擬声語、擬音語が高度に発達しているという点が、 日本語の特徴である。幼児がこれらを最初から学んでくれば、 虫や動物の鳴き声も自然音もすべて言語の一部として、言語脳 で処理するというのも当然かもしれない。あるいは、逆に、言 語脳で処理するから、言語の一部として擬声語、擬音語が豊か に発達したのか? いずれにしろ、自然音を言語脳で受けとめるという日本人の 生理的特徴と、擬声語・擬音語が高度に発達したという日本語 の言語学的特徴と、さらに自然物にはすべて神が宿っていると いう日本的自然観との3点セットが、見事に我々の中に揃って いるのである。 ■7.人種ではなく、母語の違い■ 角田教授の発見で興味深いのは、自然音を言語脳で受けめる という日本型の特徴が、日本人や日系人という「血筋」の問題 ではなく、日本語を母語として最初に覚えたかどうか、という 点で決まるということである。 その端的な例として、南米での日系人10人を調査したデー タがある。これらの日系人は1名を除いて、ポルトガル語やス ペイン語を母語として育った人々で、その脳はすべて西洋型で あった。唯一日本型を示した例外は、お父さんが徹底的な日本 語教育を施して、10歳になるまでポルトガル語をまったく知 らずに過ごした女性であった。その後、ブラジルの小学校に入 り、大学まで出たのだが、この女性だけはいまだに自然音を言 語脳でとらえるという完全な日本型だった。 逆に朝鮮人・韓国人はもともと西洋型なのだが、日本で日本 語を母語として育った在日の人々は、完全な日本型になってい る。 こう考えると、西洋型か日本型かは人種の違いではなく、育 った母語の違いである可能性が高い。「日本人の脳」というよ り、「日本語の脳」と言うべきだろう。角田教授の今までの調 査では、日本語と同じパターンは世界でもポリネシア語でしか 見つかっていない。 ■8.違うがゆえに独創的なものが生まれる■ 日本語による脳の違いとは、我々にとってどのような意味を 持つのだろうか? 理論物理学者の湯川秀樹博士は、角田教授 との対談でこう語る。[1,p114] つまり日本人はいままでなんとなく情緒的であるという ていた。(西欧人が)論理的であるのに対して、より情緒 的であるといっていたのが、構造的、機能的、あるいは文 化といってもいいけれども、そういうところに対応する違 いがあったということが、角田さんのご研究ではっきりし たわけです。 そうするとそこで私が考えますことは、その違うという ことを生かすという方向です。違うということは上とか下 とかいうことではなくて、その違いということを生かす。 (中略)違うがゆえに独創的なものが生まれるのである。 西洋に比べてあかん、劣っているという考え方が根深くあ ったけれども、そういう受け取り方をしたら劣等感を深め る一方です。 「違うがゆえに独創的なものが生まれる」とは、独創的な中間 子理論でノーベル賞を受賞した湯川博士の言葉だけに重みがあ る。日本語の脳の違いは人類の多様性増大に貢献しているわけ で、「虫の音に耳を傾ける文化」などは人類全体の文化をより 豊かにする独創的なものと言える。 こうした「生きとし生けるもの」の「声」に耳を傾けるとい う自然に対する敬虔な姿勢は、今後「宇宙船地球号」の中です べての生命と共生していくために貴重な示唆を与えうる。 我々が受け継いだこの「日本語の脳」の違いを意識的に極め、 その独創性をよりよく発揮していくことは、我々日本人の全世 界に対する責務とも言えるだろう。 (文責:伊勢雅臣) ■リンク■ a. JOG(041) 地球を救う自然観 b. JOG(070) フランスからの日本待望論 c. JOG(134) 共生と循環の縄文文化 ■参考■(お勧め度、★★★★:必読〜★:専門家向け) 1. 角田忠信、「右脳と左脳」★★★、小学館ライブラリー、H4 _/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/ おたより _/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/ ■「日本語が作る脳」について あゆみさんより 同僚に外国人がおりますが、私達日本人が発する擬音語、擬 声語をとても面白く感じるようです。単に東洋と西洋文化の違 いなのかな程度に思っておりましたが、今回の右脳、左脳の受 けとめ方と、東洋、西洋の切り分けではなく「日本語」を母国 語にしているかどうかにより違いが出てくるという発見は少し ばかりうれしくも感じました。 単に音だけではなく、蝉の声に夏を感じ、風鈴の音に涼を求 めると言うような四季、自然と言葉が繋がっている、そしてそ れらが粋や風流などの文化を形成しているのかと思います。こ の美しい「日本語」を今一度見直したいと思いました。 ロイさんより 私は大学で言語学を学びました。その時に世界の言語の中で 唯一日本語にしかない特徴というのがあると教えられました。 それは「被害の受け身」というもので、例えば「雨に降られ る」「親に死なれる」といった表現のことです。 通常、受動態というものは能動態(主語+動詞+目的語)が あってその目的語を主語に移動させた形です。しかし、被害の 受け身の場合にはもともと「雨が降る」のように目的語があり ません。それを受け身にしてしまうのは現在では日本語にしか ない特徴だということです。(厳密には、昔のモンゴルの言葉 にもあったらしいですが。)このような独自性を持った日本語 を是非とも大切にしていきたいものです。 SKさん 日本ほど、マンガが発達している国はないように思います。 そしてマンガ表現としての豊かさを出しているものに「描き文 字」があると思うのです。「描き文字」というのは、せりふと は別に、絵の中に描きこまれている効果音のことです。「ガー ン」とか「ドッカーン」とか「ウオーッ」とかありますよね。 この表現が、日本のマンガは非常に幅が広く豊かです。まず、 ひらがな、カタカナ、アルファベット、漢字と文字の種類自体 が豊富ですし、その”音の感じ”を適切に表す絵文字表現のバ リエーションも豊富です。 マンガとは、一切音のない物語表現です。ですから、物語の なかで出てくる「音」は目で見える形で表現しなくてはなりま せん。しかも一瞬で視覚的に表現しなければならないのでその 効果音を文字にして表さなければなりません。(言語のみで物 語が語られる小説では、「激しい爆発音が鳴り響いた」のよう な文章での表現が可能です) その、「音」を文字にする能力は、今回の日本語の脳によっ て作られていることがわかり、「なるほどー!!」と納得した のでした。音を文字に置き換える能力(そしてそれを一瞬で感 覚的に理解する能力)は、さまざまな音を声として聞く日本語 脳ならでは、なのですね。 ■ 編集長・伊勢雅臣より そういえば、個人の個性尊重とは誰でもが言いますが、民族 の個性尊重とは余り言いませんね。なぜでしょう。 ■「日本語が作る脳」について 匿名希望の方より 民族の個性尊重を言わないという事で思い出した事がありま す。そのころ、韓国語を少し習っていました。習うと使いたく なります。そこで、韓国へ観光旅行致しました。税関の荷物検 査の所で、韓国語をおぼつかなく使いました。税関の吏員が 「韓国語を習ってくれて有り難う」と礼を言ってくれました。 これは私に強烈な印象を与えました。 「民族の個性」とは日本語を美しく話し、書く、即ちそれが、 個性を作り上げる事でしょう。個性尊重はそんなところを蔑ろ にしてきた我々には言えません。 Hirokoさん(カナダ、ビクトリア在住)より With your permission, I have made a few copies to give to the Japanese students studying here in Victoria, Canada. I just want to let them realize how wonderful to be Japanese. These students are here to learn the language and culture, but I do not wish to forget their own heritage. I hate to see all young Japanese copy cats of other cultures. ■ 編集長・伊勢雅臣より 「民族の個性」という点では、本号に紹介したとおり、「白人 国家以外では立憲政治は不可能」という当時の国際常識に果敢 に挑戦し、それを打破したという我が明治の先人たちの行動も その表れでしょう。21世紀になっても、野党の存在自体を非 合法化している超保守的な某近隣諸国とも際だった対照をなし ています。 ============================================================ mag2:25970 pubzine:5798 melma!:1978 kapu:1597 macky!:1571© 平成14年 [伊勢雅臣]. All rights reserved.