2006年01月30日

誕生日という「年輪」が刻まれる瞬間に、耳を澄ます

週末はわが子が8才の誕生日を迎えたので、その家庭内関連行事でおおわらわになっているが、そういえば「ヒロさん日記」も1年を迎えた。いわゆる誕生日おめでとう、ということだが、誕生日をどの程度おめでたいと思うのか、そしてそもそもなぜにおめでたいのか、というこだわりは人それぞれである。

小さい頃は、多くの人が家族や友人に誕生日をお祝いしてもらっていることだろう。しかしある程度大きくなると、誕生パーティを開くにも、誰を呼ぶのか呼ばないのか、という人間関係の「しがらみ」が表出する儀式になっていたりする。

もっと年がいってくると、そもそも誕生日がわずらわしい。必ず聞かれる「何歳になったの?」という質問もうるさい。プレゼントをどうするかで、あー、めんどくさい、という人もいる。

ある神道系の新宗教では、誕生日は祝ってもらう日ではない、自分が生まれたことを両親に(あるいは神様に)感謝する日だ、と教えていた。素直に感謝できる人にとっては、その感謝を表す「Thanks-giving day」にすればよいだろう。

心の底で正直なところ、親にありがとうという気持ちになれない、あるいはお祝いをする気になれない、という人は、この世で自分が存在する意義、意味は何なのか、静かに考える日にしてみるのもよい。クリスマス(イエスの生誕を考える日)と同じで、1人でいることを淋しがる必要はないのである。

誕生日の「日」にこだわると、たとえば私の配偶者などは23日生まれなので、毎月23日にはおいしいものを食べる、といった勝手なことを言っている。誕生日を「年月日」ととらえると、同じ年月日は2度と訪れないので、誕生日は一生涯祝う必要はない。

「月日」としての誕生日は、四季や雨季・乾季のサイクルの中で、身体の奥深くにまで染みついている「特異日」であるが、天文学的にみると、地球と太陽と星座群の位置関係ということになる。

自分の誕生日の星座(さそり座、射手座など)は、血液型(A、B、O、AB)と同じぐらい知っている人が多いと思うが、なぜか、自分の星座を見たことがないという人が圧倒的である。血液型の違いのほうは、薬品を使って目視確認するのは、医学部や生化学の人たちに限られているかもしれないが、星座のほうは、晴れた日の夜に星空を見上げれば確認できる。

ただ、誕生日を迎えた日に、自分の星座は確認できない。天球上を動く太陽の位置が「自分の星座」なので、ちょうど太陽の裏側の方向にあるからである。ということで、誕生日のちょうど半年後あたりに夜空を眺めてみればいいことになる。かという私も、埼玉の田舎で実際の「自分の星座」(双子座)を見つけたのは、つい4年前である。

天体の位置にもう少しこだわると、シュタイナー思想(人智学)では「Moon Node」の話もよく出てくる。星座のほうは無視して、「地球+太陽+月」の位置関係に着目したもので、自分が生まれた日と同じ「3天体の位置関係」は18.7年に1度めぐってくる。占星術にこだわる人は、さらに太陽系の各惑星の位置関係に特別な意味を見出しているはずである。

親の目からすると、子供の誕生日をきっかけに「急に○○○になった」という変化を(気のせいと思いつつも)感じてしまうのだが、誕生日はぐるぐる回るラセン階段の1段であって、毎年めぐってくる誕生日という「特異日」は、文化的な意味づけこそあっても、生体的・医学的な変化はあろうはずがない、と私も思っていた。

ところが、『日本人の脳』で有名な角田忠信氏の研究によると、誕生日の午前中に、脳内に「年輪」が刻まれているのだという。以下、角田忠信著『右脳と左脳:脳センサーでさぐる意識下の世界』(小学館ライブラリー)の内容をごく簡単にまとめてみたい。

この先生は、瞬間的に両耳に入る音が、右脳と左脳のどちらに振り分けられるか、という研究を長年続けている人である。「純音とホワイトノイズ」、「母音と子音+母音」、「自分の声と他人の声」、「楽器音と音声」、「自然界のさまざまな音」などが、右と左のどちらに流れるか詳細に比較検証している。

『日本人と脳』では、日本人とポリネシア人に限り、この左右振り分けのパターンが、他の全人類と異なるという説を発表して、話題になった。これは民族やDNAの問題ではなく、9才頃までに母国語として日本語かポリネシア語を使っている場合に、脳内の音処理回路が変化するという説明である。

この左右振り分けスイッチは、とても微妙なセンサーで、さまざまな条件のもとで、通常の左右の振り分けとは逆になる「逆転現象」が起こるとされている。たとえば、純音を聞かせた場合、すべての言語圏の人が「右優位」(非言語を扱う右脳優位)としてこの音を振り分けるが、40の倍数の周波数(40、80、120Hz・・・)と、60の倍数の周波数(60、120、180Hz・・・)の場合は、「逆転現象」が起こる。

また聞かせる音源の「組み合わせ数」でも同様の現象がおこり、しかもこの「組み合わせ数」は年齢と関係しているという。たとえば、23才の場合、この年齢の3倍と5倍の数(=69、115)の純音から「合成音」をつくると、左右反転が起こるというのだ。

40才の人は、40×3=120種類または40×5=200種類の音を組み合わせた「合成音」を聞くと、その音を処理する脳内スイッチに異変が起こる、ということになる。「合成音の要素数」が大脳生理学で何を意味するのか、本を読む限りでは皆目見当がつかないが、注目すべきは、40才の人が41才になった瞬間に、「120と200」には反転反応を起こさなくなり、「123と205」に反応するようになる、という点である。

メカニズムはさっぱりわからない。が、誕生日をきっかけとして、脳のセンサーが変化するという話なのである。状況によって多少の誤差があるようで、著者の角田氏の場合は、58才と59才のときは「誕生日の4日前」の「朝6時から7時の間」に、60才のときは「誕生日当日」の同じ時間帯に切り替えが起こったという。海外出張が多かったため、リズムが崩れたのではないか、と疑っている。

この変化は「天体の位置関係」からの影響というよりも、体内に1年を測る正確な「体内時計」があるのではないか、と推理できる。オリンピック年の閏年の場合はどうなるのかも、気になるところである。

いささか神秘主義的にはなるが、誕生日の日は飲み食いやパーティで浮かれ騒ぐよりも、静かに内面の変化に耳を澄ますほうがよいのかもしれない。年輪が刻まれる瞬間の微細な音が、かすかに聞こえてくるかもしれませんので・・・。

■追加:シュタイナー学校では、「誕生日」を重視していて、クラスの休み時間に必ずお祝いが行なわれる。土日や長期休暇中に誕生日がある場合は、日程を繰り上げたり、先延ばしにすることもある。いずれにせよ、誕生日には親がケーキを焼いて、教室に持参しなければならない。「お祝い」では、歌をうたい、ケーキにソウソクをともし、先生がその子供にあった「誕生の詩」をプレゼントする。贈られた子供のほうは、その後1年間、週1回、この詩を朗読する。わが子の7才の誕生日(1年前)には、こんな詩が贈られた。

Baby buds abound in plenty,
Bringing promise of rich bounty,
Bending buds begin to open,
Sun's warm beams and power absorbing.
Bulging buds appear with colour,
Bearing beauty, bloom unfolding.
Bursting buds, parade all proudly,
Pretty trumpets shining brightly.
posted by ヒロさん at 08:05 | Comment(10) | TrackBack(0) | シュタイナー
この記事へのコメント
TITLE: 365日の体内時計・・・
初めて聞きましたが、面白いですね。似たような研究は他にはないのかしら・・・

以前、(日本の)シュタイナー幼稚園のセミナーで「お誕生日の祝い方」を聞いてきました。赤ちゃんは宇宙を旅して、自分の選んだ親の元に生まれてくるというようなことを、誕生日の子に語って聞かせるという話に、「そんなふうに祝ってもらえたら子どもは嬉しいだろうな」と暖かい雰囲気にほのぼのしました。でもシュタイナー校では何年生までこういうお話をするものなのかな?と不思議でもありました。
Posted by ビアンカ at 2006年01月30日 10:46
TITLE: 生まれ変わりのストーリー
>赤ちゃんは宇宙を旅して、自分の選んだ親の元に生まれてくるというようなことを、
>誕生日の子に語って聞かせるという話
これはたぶん幼稚園で終わりです。幼稚園では、親が園児の前でこのお話をしないといけないのですよ!小学校では「同じ手」は使えないので、本文の最後で紹介したような詩を先生がプレゼントします。
Posted by Hiro-san★ブログ主 at 2006年01月30日 10:55
TITLE: 早いものですね…
お子さまのお誕生日と「ヒロさん日記」一周年おめでとうございます。
思えば、拙ブログがマイぷれすにあったころで、鋭いテーマをもたれたブログさんと片思い、
その後思わぬ事件から追っかけエントリーでお付き合いをさせていただいて、
いろいろ勉強させてもらっています。その追っかけですが、赤い芋づるを辿ればすごくて、
また次から次へと反日系呼びかけと賛同人が集うので大変です。

今後ともどうぞよろしくお願いしますm(_ _"m)ペコリ

真宗と解同とコリアン関係はお任せしました。ここまで今手が回りません。
こちらはまた追っかけていろいろ出てきたらレポートします。
Posted by 枇杷 at 2006年01月30日 16:40
TITLE: Bon Anniversaire!
零細秘密結社から参りました。
いつも楽しい我がツル脳に皺を与えてくださる話をありがとうございます。
そしてお誕生日おめでとうございます。

かつて英米音声学や言語学を聞きかじったハシタメのわたくしには、やはり
「9歳までが母言語習得説」に反応してしまいました。9歳までに学んだ言語は
何言語であれ母言語につながるそうです。
言語習得についてはチョムスキー理論とハリデー理論の両説から比較検討すると
面白いですよ。
ヒロさん日記の新たなる年の始まり、更なる発展になりますように。
好運と幸運がふりそそぎますように。
Posted by Ma_cocotte at 2006年01月30日 17:56
TITLE: Merci beaucoup !
枇杷さんの「園丁日記」に自然薯(じねんじょ)という言葉を教わりました。タニス・リーや『ゲド戦記』(ル・グウィン)、塩漬け料理、そしてフランスの癒し系の零細秘密結社(「ま・ここっと」さんのブログ)など、たくさん教えていただきました。ありがたき幸せです。

>言語習得についてはチョムスキー理論とハリデー理論の両説から比較検討すると
>面白いですよ。
ま・ここっとさんに倣って、私もツルツルのオツムに一層磨きをかけるべく精進いたします。
Posted by Hiro-san★ブログ主 at 2006年01月30日 19:37
TITLE: 1周年おめでとうございます
もうとっくに1年以上経っていると思ったらまだだったんですね。
最近は高尚すぎてなかなかコメント出来ませんが、これからも勉強になる記事をよろしくお願い致します。
Posted by haruhico at 2006年01月30日 23:45
TITLE: ブログ千日行、千本記事
密教の千日行、野球の千本ノック、haruhico@「社怪人日記」の1000本エントリーに近づけるのは、いつの日のことでしょうか。
Posted by Hiro-san★ブログ主 at 2006年01月31日 08:28
TITLE: 一周年おめでとうございます
一周年おめでとうございます。陰暦では何処も新年ですね。
私のココロのハゲみ(支えではありません)ブログますますサカエますよう。
はい。わたし、もちろんハゲてますけど。
これからもヨロシクお願いします。あっ、今年の新年にも言ったか。
「これから」もです。
Posted by chosei at 2006年01月31日 18:00
TITLE: 1周年おめでとうございます
え、まだ1周年だったんですね。 毎回内容が濃いので、もう何年もたったような気分。
千ブログ行、がんばって下さい( ̄ー ̄)←実はオリもまだ (ツルツル&ニワトリ頭のザキ)
Posted by ザキ at 2006年01月31日 22:51
TITLE: わがツルツル頭への「おハゲまし」
「ツルツルのオツム」の話で、choseiさんにご登場いただき、身に余る光栄です。お「ハゲまし」ありがとうございます。
「ヒロさん日記」を始める動機となった、ザキさん@「浮遊雲日記」(http://www.mypress.jp/v2_writers/zaki/)は、3歩下がってその影を踏まず、の心がけで今年も千日行を続けたいと思います。
Posted by Hiro-san★ブログ主 at 2006年02月01日 08:31
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