『人間らしさとはなにか?』 [☆☆]
・人間の脳の、普遍的でしかもほぼ決定的な特徴は、動物や物を含めた他者の意図や感情、目的についてのモデルを自分の頭の中に反射的に構築することだ。
・熱帯雨林はもともとチンパンジーの住処だったので、彼らは「保守的な種」と呼ばれる。多くの変化に適応する必要がなかったため、進化の面から見ると私たちと共通の祖先から分かれて以来あまり変化していない。
・チンパンジーなどの類人猿は、鼻孔が直接肺につながっている。口から食道までの食物の通り道とは完全に分離している。つまり類人猿は食べ物を詰まらせてむせることはないが、私たちはそうなることがある。
・動物の知性とは、関連のないさまざまな情報を新たな方法で関連づけ、その結果を適応性のあるやり方で応用する能力だ。
・私たち自身の心を卑小化し、鈍化し、口数を少なくしたものが動物の心だと考え、彼らのほんとうの姿を歪める。
・「私は知っている」というのは一次のインテンショナリティ。「あなたが知っているのを私は知っている」は二次のインテンショナリティ。「私が知っているのをあなたが知っているのを私は知っている」は三次のインテンショナリティ。「あなたが私にパリに行ってほしくなくて私もそうしたいのを私が知っているのをあなたが知っているのを私は知っている」は四次のインテンショナリティ。ほとんどの人は四次のインテンショナリティまでしか理解できないが、なかには五次、六次までついてこられる人もいる。
・肉体構造の制約のある発声のシステムでは、相手をこわがらせる情動的な発声の威力を増す唯一の方法は、「もっとこわがれ」とばかりに、その声を大きくするだけだ。
・動物のうち二種だけが、オス主導による激しい縄張り侵犯のシステムを持って、そうした生き方をしていることが知られている。その二種は、近隣の群れを襲い、無防備な敵を見つけ、攻撃して殺すこともある。4000の哺乳動物と1000万以上の他の動物の種の中で、こうした行動をするのは、チンパンジーと人間だけだ。
・これまではこの父系制は文化的産物だとされてきたが、進化的フェミニズムの烙印が押された新しい研究分野では、父系性は生物学的な起源を持つと考えられている。
・ヤノマモ族社会がチンパンジー社会と似ているのは、政治的に独立している点と、それをめぐって争うような物資はほとんど、金や貴重品にいたってはまったく持たず、食料の貯蔵もない点だ。このきわめて簡素な世界では、人間の戦争行為ではお馴染みのパターンの一部が影を潜める。全面対決は見られず、軍事同盟や捕獲物目当ての作戦や貯蔵物資の略奪もない。近隣の村に侵入して攻撃の機会をうかがい、敵を殺してすぐに逃げるだけだ。
・理性だけでは決断できない、理性は選択肢を列挙するが、選択するのは情動なのだ。
・ウサギたちはみな耳が短いが、レックスの耳は他のウサギたちより少し長い。何かの理由で、二匹のメスウサギが長い耳が好きになるように進化した。そこで二匹はレックスを配偶者に選んだ。生まれた子供たちは長い耳を持ち、しかも長い耳を好む。違う形質(長い耳と、長い耳を好む性質)の遺伝子が同じ個体に行き着いたとき、それらの形質は遺伝的に相関関係を持つようになる。正のフィードバック・ループの成立だ。
・食べ物が軟らかくなればなるほど、成長のために使えるカロリーは増える。それは食べたり消化したりするのに使うエネルギーが減るからだ。
・捕食動物を出し抜くには、二つの方法がある。一つは相手より大きくなることであり、もう一つは大きな集団に入ることだ。
・組織階層なしで統制できる人数も150~200人であることがわかっている。軍隊でも、これが個人の忠誠心と一対一の触れ合いで秩序を維持する基本的な人数だ。
・人間のうわさ話は他の霊長類の社会的グルーミングに相当する。
・社会集団が大きくなり、拡散するにつれて、誰が人をだましたりただ乗りしたりするのか把握しておくのは難しくなる。うわさ話は、一つには、不届き者を抑え込む手段として進化したのかもしれない。
・男性と女性のうわさ話しの唯一の違いは、男性は三分の二の時間を自分自身のことを話すのに使う(「それでその魚を釣り上げたら、間違いなく10キロ以上あったよ!」)が、女性は自分のことを話すのには三分の一の時間しか使わず、他人のことにもっと興味を示す(「それでこの前、彼女に会ったら、間違いなく10キロ以上太ってたわよ!」)点だ。
・会話に加わる人数は無制限には増えず、たいてい、約四人止まりになることも発見した。いったん四人を越えると、二つの会話のグループに分かれる傾向が確実に見られる。
・四人で会話する場合、話しているのは一人だけで、他の三人は聞いている。チンパンジー用語で言えば、グルーミングされている。
・唯一、参加者たちがコイン投げをしてごまかしをしなかった(しかも全員)のは、鏡の前に座って決めたときだった。
・公園警備員ら、捜索や救助に従事する人は、英雄的行為に走らず、人命救助のためとはいえ不用意に危険を冒さないよう、わざわざ訓練を受ける必要がある。
・兵士は煽り立てられ、我を忘れなければ人を殺せない。軍隊の飲酒は、心の痛みを和らげるためではなく、そもそもそのような痛みを感じさせないためにある。さもなければ、残忍な行為はできないからだ。
・人間は血縁関係にある者を外見などで反射的には見分けられないため、近親相姦を防ぐ先天的メカニズムを発達させたのだという。このメカニズムのために、人は幼年時代に長い時間を共有した人との性行為に関心がなくなったりそれを嫌悪するようになる。このメカニズムはたいていうまく働く。
・私たちが決断する前、選択肢を思いついた時点で情動が呼び覚まされる。それがネガティブな情動であれば、理性が分析を始める前にその選択肢は考慮の対象から外される。意思決定では情動が主要な役割を果たしており、完全に合理的な脳は完璧な脳ではないというのだ。
・嫌悪感はもともと食べ物の拒絶システムとして機能していたのではないか主張する。これには、吐き気との関連や、汚染の懸念(胸のむかつくような物との接触)、関連する表情(おもに鼻と口を使う)といった裏づけがある。
・アメリカ人は個人の権利と尊厳を冒されると嫌悪感を覚えるのに対し、日本人は社会の中での自分の立場を冒されると嫌悪感を覚える。
・動物研究では、一回で教えられること、何百回も繰り返さないと教えられないこと、絶対に教え込めないことがあるのがわかっている。人間の場合、典型的な例に次のようなものがある。ヘビを恐れるように教え込むのはしごく簡単だが、花を恐れるよう教え込むのは不可能に近い。
・私たちの恐怖モジュールは、祖先がおかれた環境では危険きわまりなかったヘビについては学べるようになっているが、危険でなかった花については学べない。子供に何がこわいか尋ねると、返ってくる答えはライオンやトラや怪物であり、自動車ではない。今では自動車の方が子供にとってよほど危険であるにもかかわらず、だ。
・脳は優秀な弁護人のようなものだ。守るべき権益を与えられると、その道徳的。論理的価値を相手に納得させようとする。実際にその権益にそうした価値があるか否かは関係ない。弁護人と同じく、人間の脳は勝利を追求するのであって、真実を追究するわけではない。弁護人同様、脳はその美徳より技巧のおかげで称賛されることがある。
・近代オーストラリアはもともと犯罪者が流罪になった場所で、そうとう反抗的な遺伝子の溜まり場であると考えられる。
・犯罪学者によれば、犯罪行動は人種や社会・経済的な階級とはかかわりなく、知能と反比例するという。
・1960年代~79年代にかけて、アフリカではほとんどの国が土地を国有化したため、野生動物は大打撃を受けた。野生動物は政府の所有物となった。動物たちは相変わらず作物へ害を及ぼし、餌の生草をめぐって争う一方で、密猟者を別にすると、もう食糧源や収入源ではなくなった。野生動物をそうした目的で利用する道は断たれた。動物を守る動機は失せ、なんとしても駆除しようという動機ばかりになった。
・あなたは噛みしだかれたグッチの靴を目にして顔をしかめ、そっけない言葉を吐くだろう。あなたの犬はそれに反応しているのだ。あなたは犬が神妙にかしこまっているのを見て羞恥心だと思う。しかし、羞恥心は犬が感じている情動より複雑だ。犬が感じているのは、打ち据えられたり、ソファから引きずり下ろされたりするかもしれないという恐怖であり、罪悪感でも羞恥心でもない。
・一歳半~二歳半の子供たちは社会的交換の場で模倣を使い、かわるがわる模倣したりされたりして話題を共有する。ようするに、コミュニケーションの手段として模倣を使う。
・他者の視点に立つには、自分の視点を抑制できなくてはならない。他者の視点を評価する際の誤りは、自分の視点の抑制に失敗したためだ。だから、あなたの夫はあなたの誕生日に、宝石の代わりに新しいバーベキュー用具をくれたのだ。
・シベリアでキツネの飼い慣らしを始めた。キツネを撰ぶ基準はただ一つ。人間は恐れず、非攻撃的に振る舞うかどうかだ。言い換えれば、彼は恐れや攻撃の抑制を選択基準にした。この選択のプロセスの副産物として、飼犬に見えられる形態学的な特徴が多く得られた。たとえば、ボーダーコリーのような、垂れ耳、ピンと立ったしっぽ、まだら色の配色がそうだ。
・手を使って働く者は労働者。手と頭を使って働く者は職人。だが、手と頭と心を使って働く者は芸術家だ。
・ファッション、建築、音楽などはいったん庶民に受け入れられると、至高の座を失い、エリート芸術とは見なされなくなるようだ。
・美学は芸術の金銭的な価値とはほとんど関係がない。しかし、エリート芸術の世界では、美しくても複製では価値がない。
・なぜ私たちは雨の降る午後に、自動車の修理説明書よりミステリー小説を読みたいと思うのだろうか。説明書を読む方がよほど役に立つというのに。
・子供の頃、オオカミが来たぞと叫んだ少年の物語を読んだ私たちは、物語の中で少年の身に何が起きたか覚えているので、このつらい教訓をわざわざ身をもって学ぶ必要はない。私たちは架空の物語を聞けば聞くほど多くの状況を、実際に経験しなくても知ることができる。もし実生活で同じような状況に出くわしても、豊富な背景知識に頼れる。
・犬が人間並みの審美眼を持っていないことに感謝すべきだろう。もし犬が美しさに影響されていたら、あの無条件の愛情は存在しないかもしれない。私たちは犬にしっぽを振ってもらうために、ペンキの染みだらけのジーンズをはき替えたり、散髪したり、化粧したりする羽目になるかもしれない。
・音楽はもともとコミュニケーションの一形態、つまり後に言葉がとって代わった言語プロトタイプという、適応の形態だったと考えた。もしそれが真実なら、今の音楽はかつての適応の「化石」ということになる。
・研究によると、音楽の訓練は特定の神経構造を増大させるという。IQが高くなるとともに、言葉の記憶力や、運動能力や、視覚・空間的能力や、幾何学図形を模写する能力、ことによると数学の能力も、高まる。
・「彼女は、愛していると言ってくれます」。私たちは愛を感情とか、心の内面の現象とか定義しておきながら、外面の、目に見える現象として説明する。実際には、他者の感情を感じることは不可能だ。したがって知覚を通じて、すなわち、他者の行動や表情を観察することによって推測するのだ。
・生存する上で、量子力学や、地球は誕生してから何十億年もたっているという事実の理解に役立つような直感的システムなど必要とされなかった。こうした概念を把握するのは簡単ではないし、永久に把握できない人もいる。
・たしかに、リンゴが木から落ちることがわかっている動物もいるが、人間は、見えない力(重力)とその働きについて推理できる唯一の動物なのだ。すべての人間ができるわけではないが。
・大人も子供も、「肺は呼吸をするためにある」といったように、生物学的プロセスに目的論的説明を使うが、子供は大人よりもっと多様な状況で目的論的思考に頼る。彼らには、あらゆる類いの物体や行動は意図された目的のために存在しているように捉えるバイアスがある。彼らはこうした推論を自然物にも拡大して適用し、たとえば、「雲は雨を降らすためにある」「山はハイキングに行かれるようにある」「トラは動物園のためにいる」などと説明する。
・自閉症児のその他の特徴、たとえば、何かを指差すことがない、両親の方を見て指示を求めることなどがないといった症状にも説明がつく。他者に心があることを理解していないなら、誰かに何かを見せたり、助言を求めたりする理由もない。あなたが箒に向かって埃を指し示したり、辞書に助言を求めたりしないのと同じだ。
・自閉症児はよく他者を物体として扱う。他者が自閉症児にとって恐ろしい存在となりうるのは、他者が物体のように振る舞わないからだ。物体はどのように振る舞うかという、非内省的・直感的な信念を当てはめている以上、他者の動きや振る舞いは、予測がつくはずがない。
・人にある言葉を言って、それが自分に当てはまるかどうかを尋ねると、それについてもっと一般的な質問をした場合より、後でその言葉を思い出しやすいというのだ。たとえば「親切」という言葉なら、「親切とはどういう意味ですか」と訊くより「あなたは親切ですか」と訊いた方が思い出しやすい。
・私はファイボーグ(fyborg)であり、あなたもそうだ。ファイボーグ、すなわち機能的サイボーグとは、テクノロジーによる付加物によって機能を補足された生物を意味する。たとえば靴も「テクノロジーによる付加物」だ。
・正常な聴力を持つ人は人口内耳をエンハンスメント(能力や魅力の増強)だとは思わない。彼らはそれを、治療行為と捉える。
・楽器演奏の習得など、手続き記憶は海馬が損傷しても影響が見られないため、海馬の司る機能には含まれないと考えられる。
・現在、自動車の組み立てから外科手術まで、繰り返しか正確さ、あるいはその両方が求められる仕事の多くをロボットがこなしている。今、ロボットは三つの「D」の分野で活躍している。「単調(ダル)」「危険(デインジャラス)」「汚い(ダーティー)」だ。
・脳は問題への答えを「計算」しない。脳は記憶から答えを引き出す。じつのところ、答えはとうの昔に記憶に蓄えられていたのだ。記憶から何かを引き出すのは、ほんの数ステップ済む。遅いニューロンでも十分間に合うし、そればかりか、ニューロン自体が記憶を構成している。皮質全体が記憶システムだ。脳はコンピュータとは似ても似つかない。
・結婚して最初の二週間は、どの家事をするのか慎重にならなければだめよ。その先ずっと、その家事をしなければならなくなるのだから。
・現代医学によって感染症や糖尿病、喘息などの治療法がわかり、人間は長生きできるようになったが、普通なら生殖年齢まで生きられなかった人が子供を作り、遺伝子を伝えるようにもなった。はからずも、これが進化に影響を及ぼし、このような疾患をコードする遺伝子が広まっている。
・もしひどく頭が悪いのなら、それはひとつの病気と言えるだろう。下位10パーセントの人たちは小学校の勉強さえ大変な苦労をする。その原因は何か。多くの人は、まあ、貧困とかそういうことでしょうと言うが、おそらくそうではない。

・熱帯雨林はもともとチンパンジーの住処だったので、彼らは「保守的な種」と呼ばれる。多くの変化に適応する必要がなかったため、進化の面から見ると私たちと共通の祖先から分かれて以来あまり変化していない。
・チンパンジーなどの類人猿は、鼻孔が直接肺につながっている。口から食道までの食物の通り道とは完全に分離している。つまり類人猿は食べ物を詰まらせてむせることはないが、私たちはそうなることがある。
・動物の知性とは、関連のないさまざまな情報を新たな方法で関連づけ、その結果を適応性のあるやり方で応用する能力だ。
・私たち自身の心を卑小化し、鈍化し、口数を少なくしたものが動物の心だと考え、彼らのほんとうの姿を歪める。
・「私は知っている」というのは一次のインテンショナリティ。「あなたが知っているのを私は知っている」は二次のインテンショナリティ。「私が知っているのをあなたが知っているのを私は知っている」は三次のインテンショナリティ。「あなたが私にパリに行ってほしくなくて私もそうしたいのを私が知っているのをあなたが知っているのを私は知っている」は四次のインテンショナリティ。ほとんどの人は四次のインテンショナリティまでしか理解できないが、なかには五次、六次までついてこられる人もいる。
・肉体構造の制約のある発声のシステムでは、相手をこわがらせる情動的な発声の威力を増す唯一の方法は、「もっとこわがれ」とばかりに、その声を大きくするだけだ。
・動物のうち二種だけが、オス主導による激しい縄張り侵犯のシステムを持って、そうした生き方をしていることが知られている。その二種は、近隣の群れを襲い、無防備な敵を見つけ、攻撃して殺すこともある。4000の哺乳動物と1000万以上の他の動物の種の中で、こうした行動をするのは、チンパンジーと人間だけだ。
・これまではこの父系制は文化的産物だとされてきたが、進化的フェミニズムの烙印が押された新しい研究分野では、父系性は生物学的な起源を持つと考えられている。
・ヤノマモ族社会がチンパンジー社会と似ているのは、政治的に独立している点と、それをめぐって争うような物資はほとんど、金や貴重品にいたってはまったく持たず、食料の貯蔵もない点だ。このきわめて簡素な世界では、人間の戦争行為ではお馴染みのパターンの一部が影を潜める。全面対決は見られず、軍事同盟や捕獲物目当ての作戦や貯蔵物資の略奪もない。近隣の村に侵入して攻撃の機会をうかがい、敵を殺してすぐに逃げるだけだ。
・理性だけでは決断できない、理性は選択肢を列挙するが、選択するのは情動なのだ。
・ウサギたちはみな耳が短いが、レックスの耳は他のウサギたちより少し長い。何かの理由で、二匹のメスウサギが長い耳が好きになるように進化した。そこで二匹はレックスを配偶者に選んだ。生まれた子供たちは長い耳を持ち、しかも長い耳を好む。違う形質(長い耳と、長い耳を好む性質)の遺伝子が同じ個体に行き着いたとき、それらの形質は遺伝的に相関関係を持つようになる。正のフィードバック・ループの成立だ。
・食べ物が軟らかくなればなるほど、成長のために使えるカロリーは増える。それは食べたり消化したりするのに使うエネルギーが減るからだ。
・捕食動物を出し抜くには、二つの方法がある。一つは相手より大きくなることであり、もう一つは大きな集団に入ることだ。
・組織階層なしで統制できる人数も150~200人であることがわかっている。軍隊でも、これが個人の忠誠心と一対一の触れ合いで秩序を維持する基本的な人数だ。
・人間のうわさ話は他の霊長類の社会的グルーミングに相当する。
・社会集団が大きくなり、拡散するにつれて、誰が人をだましたりただ乗りしたりするのか把握しておくのは難しくなる。うわさ話は、一つには、不届き者を抑え込む手段として進化したのかもしれない。
・男性と女性のうわさ話しの唯一の違いは、男性は三分の二の時間を自分自身のことを話すのに使う(「それでその魚を釣り上げたら、間違いなく10キロ以上あったよ!」)が、女性は自分のことを話すのには三分の一の時間しか使わず、他人のことにもっと興味を示す(「それでこの前、彼女に会ったら、間違いなく10キロ以上太ってたわよ!」)点だ。
・会話に加わる人数は無制限には増えず、たいてい、約四人止まりになることも発見した。いったん四人を越えると、二つの会話のグループに分かれる傾向が確実に見られる。
・四人で会話する場合、話しているのは一人だけで、他の三人は聞いている。チンパンジー用語で言えば、グルーミングされている。
・唯一、参加者たちがコイン投げをしてごまかしをしなかった(しかも全員)のは、鏡の前に座って決めたときだった。
・公園警備員ら、捜索や救助に従事する人は、英雄的行為に走らず、人命救助のためとはいえ不用意に危険を冒さないよう、わざわざ訓練を受ける必要がある。
・兵士は煽り立てられ、我を忘れなければ人を殺せない。軍隊の飲酒は、心の痛みを和らげるためではなく、そもそもそのような痛みを感じさせないためにある。さもなければ、残忍な行為はできないからだ。
・人間は血縁関係にある者を外見などで反射的には見分けられないため、近親相姦を防ぐ先天的メカニズムを発達させたのだという。このメカニズムのために、人は幼年時代に長い時間を共有した人との性行為に関心がなくなったりそれを嫌悪するようになる。このメカニズムはたいていうまく働く。
・私たちが決断する前、選択肢を思いついた時点で情動が呼び覚まされる。それがネガティブな情動であれば、理性が分析を始める前にその選択肢は考慮の対象から外される。意思決定では情動が主要な役割を果たしており、完全に合理的な脳は完璧な脳ではないというのだ。
・嫌悪感はもともと食べ物の拒絶システムとして機能していたのではないか主張する。これには、吐き気との関連や、汚染の懸念(胸のむかつくような物との接触)、関連する表情(おもに鼻と口を使う)といった裏づけがある。
・アメリカ人は個人の権利と尊厳を冒されると嫌悪感を覚えるのに対し、日本人は社会の中での自分の立場を冒されると嫌悪感を覚える。
・動物研究では、一回で教えられること、何百回も繰り返さないと教えられないこと、絶対に教え込めないことがあるのがわかっている。人間の場合、典型的な例に次のようなものがある。ヘビを恐れるように教え込むのはしごく簡単だが、花を恐れるよう教え込むのは不可能に近い。
・私たちの恐怖モジュールは、祖先がおかれた環境では危険きわまりなかったヘビについては学べるようになっているが、危険でなかった花については学べない。子供に何がこわいか尋ねると、返ってくる答えはライオンやトラや怪物であり、自動車ではない。今では自動車の方が子供にとってよほど危険であるにもかかわらず、だ。
・脳は優秀な弁護人のようなものだ。守るべき権益を与えられると、その道徳的。論理的価値を相手に納得させようとする。実際にその権益にそうした価値があるか否かは関係ない。弁護人と同じく、人間の脳は勝利を追求するのであって、真実を追究するわけではない。弁護人同様、脳はその美徳より技巧のおかげで称賛されることがある。
・近代オーストラリアはもともと犯罪者が流罪になった場所で、そうとう反抗的な遺伝子の溜まり場であると考えられる。
・犯罪学者によれば、犯罪行動は人種や社会・経済的な階級とはかかわりなく、知能と反比例するという。
・1960年代~79年代にかけて、アフリカではほとんどの国が土地を国有化したため、野生動物は大打撃を受けた。野生動物は政府の所有物となった。動物たちは相変わらず作物へ害を及ぼし、餌の生草をめぐって争う一方で、密猟者を別にすると、もう食糧源や収入源ではなくなった。野生動物をそうした目的で利用する道は断たれた。動物を守る動機は失せ、なんとしても駆除しようという動機ばかりになった。
・あなたは噛みしだかれたグッチの靴を目にして顔をしかめ、そっけない言葉を吐くだろう。あなたの犬はそれに反応しているのだ。あなたは犬が神妙にかしこまっているのを見て羞恥心だと思う。しかし、羞恥心は犬が感じている情動より複雑だ。犬が感じているのは、打ち据えられたり、ソファから引きずり下ろされたりするかもしれないという恐怖であり、罪悪感でも羞恥心でもない。
・一歳半~二歳半の子供たちは社会的交換の場で模倣を使い、かわるがわる模倣したりされたりして話題を共有する。ようするに、コミュニケーションの手段として模倣を使う。
・他者の視点に立つには、自分の視点を抑制できなくてはならない。他者の視点を評価する際の誤りは、自分の視点の抑制に失敗したためだ。だから、あなたの夫はあなたの誕生日に、宝石の代わりに新しいバーベキュー用具をくれたのだ。
・シベリアでキツネの飼い慣らしを始めた。キツネを撰ぶ基準はただ一つ。人間は恐れず、非攻撃的に振る舞うかどうかだ。言い換えれば、彼は恐れや攻撃の抑制を選択基準にした。この選択のプロセスの副産物として、飼犬に見えられる形態学的な特徴が多く得られた。たとえば、ボーダーコリーのような、垂れ耳、ピンと立ったしっぽ、まだら色の配色がそうだ。
・手を使って働く者は労働者。手と頭を使って働く者は職人。だが、手と頭と心を使って働く者は芸術家だ。
・ファッション、建築、音楽などはいったん庶民に受け入れられると、至高の座を失い、エリート芸術とは見なされなくなるようだ。
・美学は芸術の金銭的な価値とはほとんど関係がない。しかし、エリート芸術の世界では、美しくても複製では価値がない。
・なぜ私たちは雨の降る午後に、自動車の修理説明書よりミステリー小説を読みたいと思うのだろうか。説明書を読む方がよほど役に立つというのに。
・子供の頃、オオカミが来たぞと叫んだ少年の物語を読んだ私たちは、物語の中で少年の身に何が起きたか覚えているので、このつらい教訓をわざわざ身をもって学ぶ必要はない。私たちは架空の物語を聞けば聞くほど多くの状況を、実際に経験しなくても知ることができる。もし実生活で同じような状況に出くわしても、豊富な背景知識に頼れる。
・犬が人間並みの審美眼を持っていないことに感謝すべきだろう。もし犬が美しさに影響されていたら、あの無条件の愛情は存在しないかもしれない。私たちは犬にしっぽを振ってもらうために、ペンキの染みだらけのジーンズをはき替えたり、散髪したり、化粧したりする羽目になるかもしれない。
・音楽はもともとコミュニケーションの一形態、つまり後に言葉がとって代わった言語プロトタイプという、適応の形態だったと考えた。もしそれが真実なら、今の音楽はかつての適応の「化石」ということになる。
・研究によると、音楽の訓練は特定の神経構造を増大させるという。IQが高くなるとともに、言葉の記憶力や、運動能力や、視覚・空間的能力や、幾何学図形を模写する能力、ことによると数学の能力も、高まる。
・「彼女は、愛していると言ってくれます」。私たちは愛を感情とか、心の内面の現象とか定義しておきながら、外面の、目に見える現象として説明する。実際には、他者の感情を感じることは不可能だ。したがって知覚を通じて、すなわち、他者の行動や表情を観察することによって推測するのだ。
・生存する上で、量子力学や、地球は誕生してから何十億年もたっているという事実の理解に役立つような直感的システムなど必要とされなかった。こうした概念を把握するのは簡単ではないし、永久に把握できない人もいる。
・たしかに、リンゴが木から落ちることがわかっている動物もいるが、人間は、見えない力(重力)とその働きについて推理できる唯一の動物なのだ。すべての人間ができるわけではないが。
・大人も子供も、「肺は呼吸をするためにある」といったように、生物学的プロセスに目的論的説明を使うが、子供は大人よりもっと多様な状況で目的論的思考に頼る。彼らには、あらゆる類いの物体や行動は意図された目的のために存在しているように捉えるバイアスがある。彼らはこうした推論を自然物にも拡大して適用し、たとえば、「雲は雨を降らすためにある」「山はハイキングに行かれるようにある」「トラは動物園のためにいる」などと説明する。
・自閉症児のその他の特徴、たとえば、何かを指差すことがない、両親の方を見て指示を求めることなどがないといった症状にも説明がつく。他者に心があることを理解していないなら、誰かに何かを見せたり、助言を求めたりする理由もない。あなたが箒に向かって埃を指し示したり、辞書に助言を求めたりしないのと同じだ。
・自閉症児はよく他者を物体として扱う。他者が自閉症児にとって恐ろしい存在となりうるのは、他者が物体のように振る舞わないからだ。物体はどのように振る舞うかという、非内省的・直感的な信念を当てはめている以上、他者の動きや振る舞いは、予測がつくはずがない。
・人にある言葉を言って、それが自分に当てはまるかどうかを尋ねると、それについてもっと一般的な質問をした場合より、後でその言葉を思い出しやすいというのだ。たとえば「親切」という言葉なら、「親切とはどういう意味ですか」と訊くより「あなたは親切ですか」と訊いた方が思い出しやすい。
・私はファイボーグ(fyborg)であり、あなたもそうだ。ファイボーグ、すなわち機能的サイボーグとは、テクノロジーによる付加物によって機能を補足された生物を意味する。たとえば靴も「テクノロジーによる付加物」だ。
・正常な聴力を持つ人は人口内耳をエンハンスメント(能力や魅力の増強)だとは思わない。彼らはそれを、治療行為と捉える。
・楽器演奏の習得など、手続き記憶は海馬が損傷しても影響が見られないため、海馬の司る機能には含まれないと考えられる。
・現在、自動車の組み立てから外科手術まで、繰り返しか正確さ、あるいはその両方が求められる仕事の多くをロボットがこなしている。今、ロボットは三つの「D」の分野で活躍している。「単調(ダル)」「危険(デインジャラス)」「汚い(ダーティー)」だ。
・脳は問題への答えを「計算」しない。脳は記憶から答えを引き出す。じつのところ、答えはとうの昔に記憶に蓄えられていたのだ。記憶から何かを引き出すのは、ほんの数ステップ済む。遅いニューロンでも十分間に合うし、そればかりか、ニューロン自体が記憶を構成している。皮質全体が記憶システムだ。脳はコンピュータとは似ても似つかない。
・結婚して最初の二週間は、どの家事をするのか慎重にならなければだめよ。その先ずっと、その家事をしなければならなくなるのだから。
・現代医学によって感染症や糖尿病、喘息などの治療法がわかり、人間は長生きできるようになったが、普通なら生殖年齢まで生きられなかった人が子供を作り、遺伝子を伝えるようにもなった。はからずも、これが進化に影響を及ぼし、このような疾患をコードする遺伝子が広まっている。
・もしひどく頭が悪いのなら、それはひとつの病気と言えるだろう。下位10パーセントの人たちは小学校の勉強さえ大変な苦労をする。その原因は何か。多くの人は、まあ、貧困とかそういうことでしょうと言うが、おそらくそうではない。
人間らしさとはなにか?―人間のユニークさを明かす科学の最前線
- 作者: マイケル・S. ガザニガ
- 出版社/メーカー: インターシフト
- 発売日: 2010/02
- メディア: 単行本
タグ:マイケル・ガザニガ