恋愛論(橋本治)後編

AV監督・二村ヒトシさんに提案を受けた橋本治『恋愛論』評は後編です。自分が常に持っている「暗黒」の存在を知った時、人は恋愛をするしか生きられなくなると本書は訴えます。では、恋愛を生きるとはどういうことなのか。橋本治は本書を通してなにを伝えようとしたのでしょうか。改めて「恋愛」とはなにかを考えさせられる評論です。

「陶酔能力」と「内面に持ちこたえる能力」


恋愛論 完全版(文庫ぎんが堂)

 「恋愛を生きる」とは、どういうことなのか。そこでは「感性的な成熟」がもたらす二つの能力が問われる。一つは「陶酔能力」である。もう一つはそれを「内面に持ちこたえる能力」である。

 「陶酔能力」はドラマを描く能力だとも橋本は説明する。恋愛という物語を生み出し、そこに陶酔し、最大限の快楽(生きる意味)を引き出す能力である。また、他者に対して自己を閉ざし守ってきた「ガード」をはずす能力でもある。

 読者はここで問われる。あなたに陶酔能力があるのか。あなたは他者に対して自分のガードを解けるか。恋愛において重要な問いかけである。人は恋愛していると思っているときですら、自分のガードはなかなか解かない。恋愛のもつその深みまで潜って堪能できる人間は多くない。

 もう一つの「内面に持ちこたえる能力」とは何か。

前に「恋愛するっていうことは、実は感性的な成熟ってものが必要なんだ」ってことは言ったけど、感性が成熟したればこそ、感動とか陶酔とかっていう、言ってみれば社会的には自分をあやうくしちゃうものを自分の内部で持ちこたえることが出来るんだよね。そういうことが分かんない人間ていうのは恋愛なんてものをしない方がいいし、破局の数だけをコレクションしていればいいんだと思うの。

 恋愛を実現するには、陶酔能力と「自分をあやうくしちゃうものを自分の内部で持ちこたえる」能力、その二つの能力が必要になる。後者がなければ、自分では恋愛だと思い込みながらも、相手と共依存(自分と相手の関係性に過剰に依存する)の状態になり、さらには社会的な事件さえ起こしたりする。

 橋本治はこの「内面に持ちこたえる能力」を「自分というもの」として変奏して議論を進める。

 関係というのは絶対に、持てる人とじゃないと持てない。だから、他人と関係を持ちたかったら、その他人と同じレベルまで上がってくってことは必要なんだけどね。恋愛が成立するとしたらまずそこからっていうこともあるんだけどサ、でも、普通世間にある”恋愛”ってそういうもんじゃないじゃないしね。「関係持ちたい!」っていう願望がいわゆる"恋愛”なんだからね。俺ってひょっとしたら、トコトン自分っていうものを見失わないように出来てる人間なのかもしんないね。まァ、どうでもいいけど、話がそこまで行くとまだちょっと飛びすぎだから……。

 橋本治の口調に慣れない読者には曖昧に聞こえるかもしれない。だが曖昧なのではない。この意味合いが難しいだけだ。

恋愛の真相を知ること、恋愛する主体を再生すること
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