以久遠氏 Beauty,Business & Favorites    ビジネス講話    VOL-09/ 1999.5.1号

「じんざい」とは? 

 人は「財(たから)」である。である筈なのに、材料の「材」という字を当てて「人材」というのはどうも戴けない。参考までに「××材」という言葉を列記してみると、鉄材、骨材、木材、素材、用材、部材等々様々な言葉が浮かんで来る。皆、何かの材料であり、無味乾燥で無機質な印象を抱かせる。

 物を人に譬(たと)えることを擬人化と言うが、同じ理屈で人間を物に譬えれば「擬物化」ということになる。自分自身が物に譬えられれば誰でもいい気分はしないだろう、むしろ大半の人たちは怒る筈である。そこで、「じんざい」を「人材」という漢字にして見ると、人間が材料の一つにしか見られていないのではないかということがよく分かる。

 そもそも、無限の可能性を秘めた人を表現するに、物に譬えること自体が間違っている。やはり、人は財(たから)なのであるから、表現するなら「人財」でなくてはならない。価値というものは、物自体あるいは人自身が持っている固有の特性が人間あるいは社会にどれだけの利益をもたらし得るか、ということで決まる。我々は、鉄や木から計り知れないほどの利益を享受しているが、人間が持っている情意や感性はどう評価するのだろうか?人間が持っている創造力や洞察力はどう評価したらよいのか?

 この論法でいくと、「企業が求める人材」という言葉は一見綺麗な言葉であるが、企業はパソコンやワープロを選定するのと同じ感覚で社員を評価しているに等しい。言い換えれば、ダイヤモンドや金銀銅と同じ次元で人間の価値を決めていることに等しいのである。人間を金属や木や水と同じ次元で評価するなど、これほど人間を冒涜した言葉はないということになる。

 何故なら、ある階層にいる人間だけが人間で、その下の階層にいる人間は、機械や物品と同等レベルの価値基準で判定されていることになるからである。まさか、このような価値観で新入社員教育を行っている会社はないだろうと思うが、往々にして標準化という名の下に、無意識の内に人間の持っている無限の才能を摘み取るという愚を行っていることはないだろうか?

 確かに、作業の標準化は効率のアップや品質の維持向上には大きな効果を発揮する。しかし同時に、人間からオリジナリティーを奪いかねない危険性もはらんでいる。組織という袋は、その中に多種多様の価値観を混在させ包含することによって、如何なる事態にも活性化するのである。

 世の中には、いろいろな「じんざい」がいる。いろいろな「じんざい」をそれぞれに合った言葉で表現してみよう。

人財

 「財」という字はお金や価値を意味する「貝」と知恵を意味する「才」という字の組み合わせで出来ているように、企業や社会に利をもたらし、発展と正義に導く有能なリーダーである。企業や社会が発展するためには、必ず有能な人財が必要である。彼らは、現在から未来にかけてのあらゆる場面において知恵と価値を生み出して貢献してくれる。経済や社会の状況変化に対し、問題の正邪と本質を的確に捉えて将来を正確に展望し、優れた適応力と応用力と創造力を発揮して自らの行動の上に具体的に展開することが出来る。 問題には常に正対し、邪な力に屈せず、保守保身に自らを委ねず、あらゆる場面において強い正義感と、毅然とした挑戦心を持った虚心坦懐なる行動人である。

人才

 人財をスーパーゼネラリストとするなら、人才はプロフェショナルということになろうか。組織を動かすようなリーダーとしての資質には欠けるが、参謀としては右に出る者がない、というような豊かな才能を持った知恵の人である。第一線で働く営業部門や生産部門の人達のように、売上や利益というような具体的な形では表面に現れないが、優れた戦略的才能や閃き的な開発才能や際立った知恵をもって存在感を示す。マーケッティングや開発や企画や経営分析等のそれぞれの分野で、抜群の能力を発揮する戦略参謀型の人である。いわゆるプロフェショナルであるが、21世紀は彼らの時代となるだろう。

人在

 組織社会には、何をしている人かよく分からないが、存在感だけはやたらと大きい人がいる。人在には「良い人在」と「悪い人在」の二つがある。

『良い人在』

 組織の中にその人がいるだけで雰囲気が明るくなったり、躍動感と適度な緊張感をもたらす。大して指示も命令も出しているようには見えないが、その人がいるだけで自然と業績が改善するという結果が現われる。怒ったり、叱ったり、ハッパをかける訳でもないのに、企業や社員に何となく安心感を与え、組織に緊張感をもたらす不思議な力を持った人である。いる時には中々分からないが、いなくなって始めてその人の目に見えないパワーに気付かされる。 即ち、良い人在であり、消極的な人財ということになる。

『悪い人在』

 早く言えば、いない方がよい人である。居るのか居ないのか判らないくらい目立たないために、害にも益にもならないと思われて日常の忙しさに紛れて忘れ去られている。「只居るだけ」という人で、本当は経費の無駄遣いになっている人である。 消極的な人罪と言える。

人罪

 会社を喰い物にしたり、組織社会に害悪を撒き散らす最悪の人材である。能力のある人を腐らせ、やる気を失わせ、ひいては会社を辞める原因になったりもする。自己の利益と保身のためには全てに省みず、失敗すれば他人の所為にし、上手く行けば自分の手柄にする。自らの保身のためなら、平気で他人を犠牲にもする。物事は全て、利己という俎板(まないた)の上でしか判断をしない。中傷発言を好み、批判や忠告に対しては異常な敵愾心を燃やす。表の顔は善良そうに見えるが、裏にまわると良からぬことばかりを企み行動する。ただ、始末の悪いことに、こういう人間は概ね権謀術策に秀で弁の立つ人が多く、会社のために動いているというポーズを取ることが実に巧い。そのために、多くの経営者が上辺(うわべ)の姿に惑わされて見損いをしがちである。

というように、「財」から「罪」まで「じんざい」は4段階に分類することが出来る。


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