Twitter、Facebook、LINE、mixiなどのSNSは結構な割合で使っている方はいると思います。
ワタシも上述したSNSは全てやっております。
ただ日々使っているとどうも「SNS疲れ」というのが起きたり、Facebookに代表されるようにひたすら「飯の写真」」を見て「いいね!」とボタンを押すことに虚無感を感じてしまうことがあります。
そんななか、こんな記事を見ました。
「ソーシャル新人類」の不夜城〜10代は何を考えているのか - ゲーム気分で「友達削除」、SNSでデジタル処理される人間関係:ITpro
最近、ブロックが子ども達の間でカジュアル化している。「ブロック大会」という言葉をご存じだろうか。リアルタイム検索で「ブロック大会」と検索すると、該当するツイートが大量に見つかる
実際にTwitterで「ブロック大会」と検索したところ、スポーツ系の「ブロック大会予選突破!」みたいなTweetもあるが、たしかに「めんどくさいからブロック大会してやった」といったTweetも本当にあった。
これはまだ子どもたちの中で起きている現象なのだろうが、いずれ彼らも大人になる。
もしそのときにも彼らが「ブロック大会」なるものをやっていたらと思うと、なんだかSNS自体に対してのめり込んではいけないと思えてくる。
SNSの人間関係というのは信用できるのか
SNS上における人間関係というものに期待をしないというのが、ワタシの持論です。
だって例え誠実な人であってもSNS自体に飽きてしまって、ログインをしなくなりいつの間にか行方不明(SNS上での)になってしまうこともありましょう。
決して相手に悪意がなくても、こっちが勝手に悪意があると思い込んでしまう現象だって十分に予測できます。
ちょっとした文面の受け取り方の違いで、こちらが勝手に怒る。
または相手が怒り出すということもありましょう。
そしてSNSでいきなり関係を切られたら、もちろんショックでしょう。
実際に現在でもそれが原因で事件になったりすることがあるくらいですから。
だからこそゆるいSNS関係、濃い対面関係を
現実での交流に関しては、大事な人であるならばしっかりとした交流関係を作るべきでしょう。
まさに親友(盟友)という人を得ることができたなら、それは本当に大切な仲間です。
いざというときにも駆けつけてくれるでしょう。
一方でSNSでの交流関係というのは、せいぜい自分が存在しているということを表現する程度でいいのかもしれません。
あまりにも目立ち過ぎると「この人、ちょっとウザいな」と思われたりしてしまいます。
また自慢ばかりしていても、決して全ての人が心の底から「いいね!」と思っているかはわからないわけです。
でもSNSをやめる必要というのは無いと思います。
定期的に「ちゃんと頑張ってるよ!生きてるよ!」くらいの程度のゆるいSNS関係が自分にとっても楽だと思います。
あまりにも「のめり込む」というのは、人間関係においては高確率でろくなことが起きないのでしょう。
無理をしないSNS関係で気楽に「ツール」として活用していくことこそがベストだと思うわけであります。