退避した前後の判断などを証言8月24日 19時55分
吉田昌郎元所長は政府の事故調査・検証委員会に対し、福島第一原発2号機が危機的な状況に陥り、社員や作業員が福島第二原発に退避した前後の判断や当時の政府とのやり取りを詳しく証言しています。
政府の事故調査・検証委員会の調べによりますと、2号機が危機的な状況に陥った3月14日の夜、吉田元所長は、必要な人員を残して退避することを本店に相談します。
当時の清水正孝社長は海江田経済産業大臣などにこの方針を伝えましたが、この際に必要な人員を残すことを明言しなかった可能性が指摘されています。
政府は全員が撤退すると受け取り、15日の未明に菅総理大臣が清水社長を呼んで撤退するつもりかどうか確認したところ、清水社長は否定したとされています。
この直後、福島第一原発では大きな衝撃音とともに2号機の格納容器の一部の圧力計がゼロとなり、運転などに必要なおよそ70人を除いて福島第二原発に退避しました。
このいきさつについて、吉田元所長は政府の事故調査・検証委員会に「全員撤退して身を引くということは言っていませんよ。私は残りますし、当然、操作する人間は残すけれども、最悪のことを考えて、これからいろんな政策を練ってくださいということを申し上げたのと、関係ない人間は退避させますからということを言っただけです」と話し、必要な人員を残すことは政府側に伝えたと証言しています。
そのうえで、「本当は私、2F(福島第二原発)に行けと言っていないんですよ。退避をして車を用意してという話をしたら、伝言した人間は運転手に福島第二に行けと指示をしたんです。私は福島第一の近辺で、所内にかかわらず、線量の低いようなところに一回退避して次の指示を待てと言ったつもりなんですが、2Fに行ってしまったと言うんでしょうがないなと」と話しています。
さらに、質問者が退避の意図を確認すると、「確かに考えてみれば、みんな全面マスクしているわけです。それで何時間も退避していて死んでしまうよねとなって、よく考えれば2Fに行ったほうがはるかに正しいと思ったわけです」と述べ、福島第二原発への退避は誤っていなかったという認識を示しています。
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