はい、幼稚園から高校までインターナショナルスクールに通いました。母は英語を話しましたし、海外の友達もたくさんいたので、子どもも一緒に交流できたらいいなと考えたようです。英語を話せたら英語でコミュニケーションがとれると思ったみたいで、父もそれに賛成してくれて、幼稚園からインターナショナルスクールに行きました。
初めて英語に接して、ショックはなかったですか?幼稚園なので、あまりよく覚えていないのですが、嫌だったという記憶はないですね。むしろ、英語を習うというより、新しい日本語と英語を一緒に覚えるという感覚だったと思います。子どもの頃の言語に対する脳の使い方は大人になってからのものとは違う、と聞いた事があります。今とは違う風に吸収していった気がします。
大学進学の時、日本だと大検なしに受けられる大学が三つくらいしか無かったんです。インターナショナルスクールの卒業時期と日本の大学受験も時期がずれていて、選択肢が限られてしまうので、やはり多くの大学から選びたいと、海外の大学を視野に入れて進学を考えました。そんな中、自分の行きたい大学がアメリカに見つかり、ボストンにあるエマーソンカレッジのマーケティングコミュニケーション学部に進学しました。エマーソンはコミュニケーションの学部がとても充実していて、プログラムも凄くいいと聞いたので。
マーケティングには昔から興味があったのですか?マーケティングもそうですが、コミュニケーション学を勉強したくて。例えば友達同士のコミュニケーションから、大きく言えば国同士のコミュニケーションまで、コミュニケーションについて勉強すれば生活にも役に立つし、すごく大切な事だと思いました。
大学準備はどのように?日本のセンター試験にあたるSATやTOEFLのスコア、課題の論文、先生の推薦書などを提出しました。私は進学の意欲を見せるために、普通の提出日より早く書類を提出する「アーリーアクション」という方法を選択したので、準備期間が通常より短くなってしまって、その点では大変でしたね。インターナショナルスクールにはカウンセラーもいたのですが、大学とのやりとりをはじめ、最終的な細かい作業はほとんど自分でやりました。
学校にはいってすぐオリエンテーションがありました。不安な気持ちで学校に行ったんですが、その時のオリエンテーションリーダーがほんとにいい人で。その人が笑顔で迎えてくれた瞬間、「あ、大丈夫だ、やっていける」と思いました。その人の笑顔のすばらしさに、学校生活の成功を確信しましたね。「わからないことはなんでも聞いて」と言ってくれて、わざわざ土日を割いて、みんなに街案内もしてくれたんです。ほんとに嬉しかったですね。
お友達はすぐできましたか?誰も知らないので、初めはとにかくいろいろな人に声をかけました。相手も一年生の頃は誰も知り合いがいないので、みんな割とオープンでしたね。学校のイベントは、友達作りのきっかけにもなるのでなるべく参加しましたし、友達から「○○がパーティーやるよ」と聞きつけたら、直接その人を知らなくても積極的に出向きました。そうしていくうちに顔見知りの友達も増えていきますし、授業で顔を合わせる友達や寮の友達、図書館でいつも出会う人、とか。いろいろなところで友達が出来ました。
麻里さんならすぐお友達もできたでしょう?最初はあえて自分の中で積極的になるように気をつけたんです。
ちょっと疲れてるとか、面倒くさいから行くのをやめようとは思わないようにしました。行ったら行ったで楽しいし、新しい出会いもありましたし、またそれが次に繋がっていくので。今でも仲のいい友達というのは、考えてみると1年目に会っている友達が多いですね。最初からお互い波長が合うとか、一緒にいてすごく楽しかったんですね。今でもよく連絡をとったり、どうしてるかなと考えたりしています。
最初の2年間は寮で、次の1年はルームシェアをしました。寮はバイキングスタイルのカフェテリアでの食事だったので、食事の心配はなかったんですが、私は和食が大好きなので、やっぱり日本食は恋しくなりましたね。
家からお米を送ってもらったり、近くのチャイナタウンでアジアの食材を調達したり。また電車で日本の食材を売っているスーパーにでかけていって、日本のお菓子を買ったり、なんちゃって日本料理を作ったりしました(笑)。日本のお菓子は外国の友達にかなり人気があったんですよ。日本人の友達とカレーパーティーや水餃子パーティーをやったこともありました。お米もアジア食品を売っているお店で買って、電子レンジを使ってご飯を炊いて。12階建ての寮でカレーを作っていると、「いいにおいがするね~」とみんな集まって来て。「おいでよ、おいでよ」と呼びこんで、みんなでカレーパーティー。日本風のカレーは珍しかったみたいで、みんな「おいしい、おいしい」と食べてくれました。新しく友達ができたり、話をするきっかけにもなりましたね。
親元を離れているわけですから、体調を崩した時は改めて親の大切さを感じました。ただ、寮だったので誰かしら近くにいてくれましたし、ルームシェアの時は、ルームメートがおかゆを作ってくれたりしたんですよ。でも薬や病気に対する処方が日本と違ったのに戸惑いました。そういえば、ある時ものもらいができたんです。日本だと抗菌目薬が市販されているけれど、アメリカのドラッグストアには売ってないんです。処方箋が必要だというので、大学のヘルスセンターと呼ばれる保健室に処方箋を出してもらいに行ったところ、診てくれた保健室の先生が、「あなたベビーシャンプー持ってる?」と。「ベビーシャンプーを薄めて洗いなさい。」え?どこを洗うの?とびっくり。「それで目を洗えば直るから」と言って処方箋を書いてもらえなかったんですよ(笑)。仕方ないので小さいのを買って一応洗ったんですけど。
それで治るんですか?!どうなんでしょうねえ(笑)。まあ赤ちゃん用だからしみないし、洗浄するということなんでしょうが。ものもらいそのものも日がたつと治るわけですから。でもその次日本に帰った時は、ちゃんと抗菌目薬を買いました(笑)。
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