鹿児島市西千石町の「フレッセ厚生市場」にある靴修理・鞄修理・合鍵作製のお店です。
店 名 リペアショップ鹿児島店
住 所 鹿児島県鹿児島市西千石町13-11
電 話 099-223-1766
店舗URL http://locoplace.jp/t000061839
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あっぱれ! 鹿児島県人
テーマ:ブログ
2012/03/17 09:08
リペアショップ鹿児島店の坂元です。
今回は”あっぱれ鹿児島県人!!”です。
名古屋市長・河村氏の”南京大虐殺は無かった”発言が問題になっていますが、
この問題に20年近く取り組んで、ついには「日本軍の虐殺・強姦・略奪の証拠写真として通用する写真は1枚もない」という結論を下した鹿児島県人を紹介します。

その方は、亜細亜大学 教授の東中野 修道氏です。

彼は、3万枚以上の写真から南京大虐殺の証拠写真として出回っている143点を選び出し、下記のような検証を重ねました。
①写真の初出をわり出す
②写真が掲載されている様々な書物を集めて比較してみる
③写真の場所の特定に努める
④撮影当時の状況を物語る本をできるだけ読む
このように様々な角度から検証していくと、
全くの合成写真や日本軍の軍服ではない服を着用している人や、同じ人物が一つの写真では「中国人の被害者」として写っていながら別の写真では「日本兵」として写っているなど虚偽と思われる事実が多数出てきました。
下記写真はその一部を掲載しましたので、ご確認ください。

上記写真は、左右別々の写真を合成した写真

襟が日本軍の詰め襟ではない。左腰に刀の鞘がない。
右腰のベルトに固定されているはずの水筒がベルトの上に位置している

上記写真の登場人物が下記写真では違う役割で登場してます


ただ1点、最後まで解析できなかったのが撮影時期や季節でしたが、写真に写っている影の長さに注目して、そこからこの写真の季節は冬ではないと断定できました。

上記写真は、踵の影の角度から南京の冬にはあり得ない角度である
この靴も日本軍のものではないようである

上記写真は服装から夏頃の写真、しかも撮られた場所も上海のようです
そして、”日本軍の虐殺・強姦・略奪の証拠写真として通用する写真は1枚もない”という結論を下しました。
そのような事実を解き明かしたに”東中野 修道氏の執念にあっぱれ!!
あっぱれ鹿児島県人” 彼は鹿児島の誇りです。
詳しくは、「南京事件 ”証拠写真”を検証する」(草思社)をお読みください。

また、南京大虐殺の情報源を整理すると、
南京陥落から50日後「南京で大虐殺」という情報を匿名でアメリカ人宣教師マイナー・ベイツ師とジョージ・フィッチ師が流し、その情報を上海のハロルド・ティンパーリ記者が英文の一冊の本にまとめ 「戦争とは何か 中国における日本軍の恐怖」と題して世界に発信したのです。
しかしながら、
3氏の人物を深く探ってみるとベイツとフィッチは国民党政府の顧問、ティンパーリ記者は国民党中央宣伝部の顧問であることが分かりました。
つまり、南京大虐殺を世界中に発信した3人は中立の立場でなく中国政府の顧問だったのです。
河村市長がお父様から
「南京市民は日本軍を好意的に向かい入れてくれた」と聞いたことは本当だろうと確信しています。
もし、そうであれば河村氏の言う通り、南京大虐殺はなかったのではないかとも思います。
常識的に推測しても、万一そのような大虐殺が行われていたとしたら、3氏からの情報源だけではでなく世界各国の記者が競って報道しているだろうと思われますが、その事実は全くありません。
我々は、戦後教育の中で”日本軍は南京で30万もの中国人を殺した”と習いましたが、一方でなぜ河村氏のお父様の話のような事が教えられてないのか?
なぜ村山談話・河野談話等のような発言が、現在の政府見解となっているのか?
不思議でなりません。
このようなことの積み重ねが、戦後世代の日本人が”日本及び日本人に誇りが持てなくなっている”一端になっているのではないかと危惧してます。
我々は、もっと近代日本史(我々の曽祖父・祖父の生きた時代)の事実を正確に学び、日本及び日本人としての誇りを取り戻す必要があると痛切に感じます。
今回は”あっぱれ鹿児島県人!!”です。
名古屋市長・河村氏の”南京大虐殺は無かった”発言が問題になっていますが、
この問題に20年近く取り組んで、ついには「日本軍の虐殺・強姦・略奪の証拠写真として通用する写真は1枚もない」という結論を下した鹿児島県人を紹介します。
その方は、亜細亜大学 教授の東中野 修道氏です。
彼は、3万枚以上の写真から南京大虐殺の証拠写真として出回っている143点を選び出し、下記のような検証を重ねました。
①写真の初出をわり出す
②写真が掲載されている様々な書物を集めて比較してみる
③写真の場所の特定に努める
④撮影当時の状況を物語る本をできるだけ読む
このように様々な角度から検証していくと、
全くの合成写真や日本軍の軍服ではない服を着用している人や、同じ人物が一つの写真では「中国人の被害者」として写っていながら別の写真では「日本兵」として写っているなど虚偽と思われる事実が多数出てきました。
下記写真はその一部を掲載しましたので、ご確認ください。
上記写真は、左右別々の写真を合成した写真
襟が日本軍の詰め襟ではない。左腰に刀の鞘がない。
右腰のベルトに固定されているはずの水筒がベルトの上に位置している
上記写真の登場人物が下記写真では違う役割で登場してます
ただ1点、最後まで解析できなかったのが撮影時期や季節でしたが、写真に写っている影の長さに注目して、そこからこの写真の季節は冬ではないと断定できました。
上記写真は、踵の影の角度から南京の冬にはあり得ない角度である
この靴も日本軍のものではないようである
上記写真は服装から夏頃の写真、しかも撮られた場所も上海のようです
そして、”日本軍の虐殺・強姦・略奪の証拠写真として通用する写真は1枚もない”という結論を下しました。
そのような事実を解き明かしたに”東中野 修道氏の執念にあっぱれ!!
あっぱれ鹿児島県人” 彼は鹿児島の誇りです。
詳しくは、「南京事件 ”証拠写真”を検証する」(草思社)をお読みください。
また、南京大虐殺の情報源を整理すると、
南京陥落から50日後「南京で大虐殺」という情報を匿名でアメリカ人宣教師マイナー・ベイツ師とジョージ・フィッチ師が流し、その情報を上海のハロルド・ティンパーリ記者が英文の一冊の本にまとめ 「戦争とは何か 中国における日本軍の恐怖」と題して世界に発信したのです。
しかしながら、
3氏の人物を深く探ってみるとベイツとフィッチは国民党政府の顧問、ティンパーリ記者は国民党中央宣伝部の顧問であることが分かりました。
つまり、南京大虐殺を世界中に発信した3人は中立の立場でなく中国政府の顧問だったのです。
河村市長がお父様から
「南京市民は日本軍を好意的に向かい入れてくれた」と聞いたことは本当だろうと確信しています。
もし、そうであれば河村氏の言う通り、南京大虐殺はなかったのではないかとも思います。
常識的に推測しても、万一そのような大虐殺が行われていたとしたら、3氏からの情報源だけではでなく世界各国の記者が競って報道しているだろうと思われますが、その事実は全くありません。
我々は、戦後教育の中で”日本軍は南京で30万もの中国人を殺した”と習いましたが、一方でなぜ河村氏のお父様の話のような事が教えられてないのか?
なぜ村山談話・河野談話等のような発言が、現在の政府見解となっているのか?
不思議でなりません。
このようなことの積み重ねが、戦後世代の日本人が”日本及び日本人に誇りが持てなくなっている”一端になっているのではないかと危惧してます。
我々は、もっと近代日本史(我々の曽祖父・祖父の生きた時代)の事実を正確に学び、日本及び日本人としての誇りを取り戻す必要があると痛切に感じます。
コメント
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2012/03/18 21:01記事拝見しました。
東中野教授が発表した内容は今までも幾度となく他の研究者も主張してきましたしね。今回真新しいことが公表されたわけではないですから、「あっぱれ」とは思いません。私は個人的に(研究者のお名前わすれましたが)当時の南京の人口は30万人以下だった!説のほうに関心があります。 -
2012/03/19 11:55コメント有難うございます。
東中野教授が発表した内容は、今までも幾度となく他の研究者も主張してきた事とあまり変わりないとは知りませんでした。私の勉強不足です。
東中野氏が「あっぱれ!」云々はともかく、今回は彼の研究内容を知って、我々が受けてきた歴史教育に疑問?・危機感!を抱いたので、記事を紹介させてもらいました。
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