隠蔽か黙殺か ~封印された汚染マップ~ (普遍情報)
東日本大震災の直後、アメリカが下したある決断、それは核テロや原発事故に緊急対応する核特殊部隊を日本に派遣すること。核特殊部隊の切り札は空中測定システムAMS、その当時日本はまだ陸上モニタリングに頼っていたが、福島第一原子力発電所周辺の震災直後のモニタリング結果を見ると汚染状況を点でした把握できない。AMSを使うと詳しい汚染マップが完成された。汚染状況を予測するSPEEDIの公表遅れが問題となったが、SPEEDIはあくまで予測値、一方AMSが決定的に違うのは実測値であるということ。しかし情報は公表されずわざわざ放射線量が高い福島県の北西部に避難してしまった人が多い。浪江町から引っ越した石井薫さんは長男から微量のセシウムが検出されたことで、汚染マップを公表してくれれば正しい判断ができたはずと言った。
汚染マップの存在がとりざたされるのは事故から1年以上経ってからのことだった。なぜ汚染マップは封印されてしまったのか?
福島第一原発の事故以来日増しにアメリカは危機を感じていた。日本はその頃情報不足位で混乱が相次ぎ、アメリカは情報収集の為に33人の核特殊部隊が日本に向けて出発した。3月17日に被害状況の測定にとりかかった。ちょうどその頃アメリカは独自の避難勧告が発令された。アメリカが80キロ圏内の避難指示を出したのに対して日本はまだ半径20キロ圏内を避難範囲としていた。
避難指示にあたってアメリカではAMSの実測データが重要な役割を果たした。米原子力規制委員会(NRC)の電話会議録でも汚染マップを有効活用したことが伺える。独自データを元に米軍の撤退も検討されたが、同盟国だからという理由でオバマ大統領から撤退するなという指示がでた。もし同盟国でなかったら全米軍が国外退去していたが日本にとどまることを決めたアメリカは日本への情報提供を続けた。AMSの導入は日米共同の決断だった。
しかしデータ提供後も日本は汚染マップを活用しなかった。なぜ地図は封印されたのか?日本は保安院と文科省で責任を押し付けあった。原子力安全委員会にもデータが届けられたが国会事故調査委員会は縦割り行政の結果、情報が止まったと結論した。では、官邸は本当に知らなかったのか?アメリカ側は報告はされていたはずと主張している。それを完全否定する官邸サイドに対して国会事故調査委員会委員もどう考えても情報は届いていたはずと話している。
実は核特殊部隊のデータは測定をサポートした防衛省にも入っていた。当時の防衛大臣の北澤俊美さんは活用したらどうかというのが防衛省の意見だったと言い、「官邸が汚染マップの存在を知らないことはありえない」と断言した。
隠蔽か黙殺か ~封印された汚染マップ~ (普遍情報)
オバマ大統領と菅総理の電話会議の様子で、核特殊部隊の派遣は直接伝えられていた。公表されなかった背景を関係者たちは「日本政府はパニックを引き起こすことを恐れてアメリカと異なる立場をとったと思う。混乱を起こしその地域に過重な恐怖感を与えてしまうことを恐れたのではないか?」などと話した。それは隠蔽だったのか?黙殺さったのか?当時の官房副長官である福山哲郎氏は汚染マップを見た、官邸でも共有されたいたと話した。アメリカの測定で高濃度汚染が確認された飯舘村に5月末まで留まってしまったある親子、娘の甲状腺に胞嚢が見つかったと言う。なぜ情報が止まったのか?悔しい、と話した。政府は汚染の激しい福島県北西部の一部を計画的避難区域に指定したのは核特殊部隊の測定から1カ月以上がたった4月下旬でほぼ全住民の退去が終わったのは7月だった。時計の針はもう巻き戻せない。
エンディング (その他)
エンディング映像。ご意見・ご感想は「テレメンタリー」まで。