木村司
2014年8月25日01時44分
■対馬丸撃沈70年〈4〉
日用品を買い求める人たちが行き交っていた。沖縄に引き揚げて数年後の1948年ごろ。中学校に勤め始めていた糸数裕子さん(89)は、運動会で使うはちまきを買いに那覇市中心部の市場を歩いていた。
「先生!」。突然呼び止められた。対馬丸に乗る4カ月前、初めて受け持ったクラスで、乗船しなかった教え子だった。
女子生徒が抱きついてきて。○○さんも、○○くんも亡くなった。先生、助かってよかったね、と言うんです。
糸数さんは身の毛がよだつのを感じた。
きょうは法要できているからとウソをついて。ごめんね、またいつか話そうね、ごめんね、とすぐに別れたんです。
引き揚げ直後、父に告げられた言葉が体に染みこんでいた。「子どもをかえせと保護者から責められた」「人前で、生き残ったと言ってはいけない」
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