7.森の中での出会い
「プギィィ!」
耳障りな鳴き声をあげて、ゴールデンボアが地を駆ける。
背丈はともかく、身体の幅だけなら俺を優に越える巨体だ。地面を踏み締める脚も太く、蹴り足が力強く土を舞い上げている。そこから生み出された推進力は、巨体の加速に遺憾なく発揮され、弾丸のような突進を可能としていた。
弾丸というより、もはや砲弾と言った方が良いかもしれないな。
そんなことを考えながら、俺はゴールデンボアの進行方向に仁王立ちをしていた。
すでに【思考加速】は起動している。それでもゴールデンボアの速度はかなり速い。それなりに離れていた距離が、あっという間に無くなっていく。
俺の視界には、燦然と輝く大きな攻撃予測軌道が見えていた。
速度と質量を生かした突進攻撃は確かに脅威だ。俺のような防御主体の流派にとっては特に相性が悪い。しかし真っ直ぐにしか突っ込んでこないので、【思考加速】でしっかりタイミングを取ることができれば、俺でも回避は可能かもしれない。
何度か戦ってみたところ、急に止まったりはできないようだった。方向転換も少々進路をずらす程度しかできない。回避主体の流派ならば、簡単に翻弄できるだろう。
そんなゴールデンボアだが、俺はあえて突進攻撃に真っ向から立ち向かおうとしている。こいつと力比べをしてみるつもりなのだ。
迫る黄金の砲弾に対し、俺は腰を落として身構える。ゴールデンボアは俺の様子などお構いなしに、猛烈な勢いを維持したまま真っ直ぐに飛び込んできた。
「ぐっ!」
ガツンッと鈍い音が響き渡る。予想以上の重い衝撃を受けて、俺の口から呻き声が溢れた。踏ん張った足元が地面に沈む。
しかし、それで突進は止まった。
ゴールデンボアは更に押し込もうと地面を必死に蹴っているが、俺が押し返しているので全く動かない。
先ほどのように勢いが乗って十分に速度が出ていたならばともかく、今の状態でゴールデンボアが俺の力に打ち勝つのは無理のようだ。つまり、こいつの筋力ステータスよりも俺の筋力ステータスの方が高い。
ゴールデンボアの身体を完全に抑え込むことに成功すると、俺は反撃に移るため身体に力を込め始めた。
受け止めてみてわかったが、突進力だけならばシシルク大森林のボス、サベージクレセントをも上回るかもしれない。あいつの突撃を受け止めたときは、これほどの衝撃は感じなかった。
もっとも、総合力ではサベージクレセントが圧倒するのは当然だろう。
ゴールデンボアで脅威といえるのは、せいぜいこの突進だけだ。サベージクレセントの多彩な攻撃とは比べ物にならない。
だが、油断して突進攻撃の直撃をくらうとかなり痛い目に遭うのも確かだ。たとえ高ランクプレイヤーでもしっかりとした防御ができなくては、大きなダメージを受ける可能性は高い。軽装の後衛プレイヤーなどは特に危険だろう。
俺が抑えつけたゴールデンボアは、未だに足掻いている。その胴体をしっかりと掴むと、俺は全身の力を込めて持ち上げた。
「ふんっ!」
俺の掛け声とともに、黄金の巨体が宙に浮く。逃げ出そうとしているのか、激しく身体を揺すり暴れ始めた。
だが俺の拘束を脱するには、力が足りない。
身体に指が食い込むほどの力でゴールデンボアを保持したまま、ゆっくりと俺の頭上に向けて持ち上げる。
ゴールデンボアの暴れ方が一段と酷くなった。胴体を掴む俺の手に更なる力を込める。
ミシミシと骨が軋むような音が聞こえた。もしかしたらこのまま絞め殺せるような気もするが、とりあえず力は込めたまま拘束するに留める。
そして十分な高さになったところで、地面に向かって思い切り叩きつけた。
「プギィアァァ!?」
ズドンッという轟音とともに僅かに地面が揺れる。同時に土と草葉がパッと舞う。
落とすときに頭部を下にしたせいか、ゴールデンボアは一瞬悲鳴をあげたが、その後は沈黙した。身体は弛緩して地面に伸びている。
よく見ると、呼吸は止まっていないようで胸のあたりが上下していた。気絶でもしているらしい。
頭部へのダメージは与えたが、一撃死判定には至らなかったようだ。巨体だけあってかなりタフなのかもしれない。分厚い肉も上手くダメージを軽減してくれそうだ。
それでも結局は俺に倒されることに変わりはない。敵の目の前でこんな無防備な状態では、倒してくれと言っているようなものだ。
腰の鞘に収めていた『迅剣テュルウィンド』を抜き放つ。
抜身の刃を携えて目の前に立つも、まだゴールデンボアが動き出す様子はない。さすがにすぐ回復するようなダメージではなかったのだろう。
俺は剣を振り上げると、真っ直ぐに急所へと突き入れてあっさりと止めを刺した。
死骸の処分を行って、地面に残ったアイテムカードを拾い上げる。
今回もドロップアイテムは『ゴールデンボアの肉』だ。ただし、毛皮は出なかった。
これまで【気配察知】の簡易レーダーに反応したモンスターを片っ端から片付けてきたのだが、かなりの確率でゴールデンボアと遭遇している。
その他のモンスターとしては、シシルクボアの出現率が高い。一応、ブラックハウンドなどのこれまで戦ってきたモンスターも出現はするようだ。しかし、その出現率は極端に低い。ごく稀にしか遭遇できなかった。
このエリアに踏み入れてからの傾向を考えると、どうもここはイノシシ型のモンスターばかりが出現するエリアのようだ。
ゴールデンボアが目的の俺にとっては、願ってもないエリアである。
正に乱獲といった様子の狩りを続けたおかげで、『ゴールデンボアの肉』のアイテムカードはかなりの枚数が俺の懐で眠っている。『ゴールデンボアの毛皮』も同様に手に入れているのだが、肉に比べると毛皮は多少ドロップ率が落ちるようだ。肉よりも毛皮の方がレアリティが高いのかもしれない。
他に装備品等のレアドロップが出ないかと期待していたが、全く出なかった。
残念といえば残念だが、ここの入口を見つけたことでかなりの幸運だったと言えるので、全く気にはしていない。
むしろ、『ゴールデンボアの毛皮』を使えば自慢できるような逸品を作ってもらえそうな気がする。
まあ、あまり金ピカなのは趣味ではないのだけど、記念だと考えれば良いか。
その後も、俺は手当たり次第にモンスターを狩り続けた。【気配察知】で周囲を探り、モンスター反応を感知すると真っ直ぐにそこへ向かって敵を倒す。
場所によっては、稀に他のプレイヤーを目にすることもあった。
このエリアにいるのが俺だけ、ということはさすがになかったようだ。俺もブラートからの情報を元にここへ訪れているわけだし、知っている者は知っているはずなのだ。
しかし、それでもプレイヤーの数はかなり少ない。このエリアに入る前に比べると、プレイヤーとの遭遇率が格段に低いのだ。
これまでに見かけたプレイヤーたちはパーティを組んでいる者ばかりで、見事な連携をもってゴールデンボアを狩っていた。
遠くからしか確認できなかったが、装備のほとんどが中ランクプレイヤーでは手に入らない高級品のようだった。それにパーティ戦の連携練度の高さを考えると、おそらく彼らは高ランクプレイヤーなのだろう。
シシルク大森林の入口付近では大勢いた中ランクプレイヤーの姿は、ここでは全く目にしない。
入口を守るあのモンスターの隠形を見破るには、強力な索敵スキルが必要だ。索敵に長けた高ランクの弓術士がいないと見つけられないと思われる。加えてあのモンスター自体の強さも、他のモンスターよりも厄介で強いと感じた。
そう考えると、このエリアは適正ランクが高ランクに分類されるエリアなのかもしれない。
しかし、その割に強力なモンスターと言えば、ゴールデンボアくらいしかまだ遭遇していないのだ。まだエリアの全てを踏破したわけではないが、他に何か高ランクに相応しい難敵がいるのだろうか。
とりあえず、このエリアの探索を進めるべく森の中を進む。
ここは、当初のシシルク大森林内のような木々の壁で区切られた道が存在しない。フィールド上にある普通の森のようだった。なので茂みを掻き分け、道無き道を行くことになる。
ゴールデンボアの乱獲中も結構歩いていたので、エリアの入口となる通路からはもうかなり離れていた。しかし、相変わらず森の風景は変わらない。なんとか入口のある方角だけは把握しているので、帰ろうと思えば帰れるのだが下手をすると迷いそうだ。
そうしてしばらく進むと、突如目の前が開けた。森の切れ目に到達したらしい。
「川?」
思わず独り言を口にする。
なんと森の中に川まであった。川幅はそれほど広くはない。助走を付けて飛べば、飛び越えられそうな程度である。小川と呼んだ方が良いかもしれない。
水棲のモンスターもいるので、一応警戒しながら川へと近付く。【気配察知】にモンスターの反応は今のところ無い。
日の光を反射して水面が輝いていた。穏やかに流れる川の水音が、柔らかく耳を撫でて張り詰めた神経を解きほぐしてくれる。
水質は非常に清らかで、川底までよく見えた。深さはあまり深くないようだ。せいぜい膝上程度だろうか。
見渡してみると、川の中には魚の姿も見受けられる。こんな場所にいる魚だ。もしかしたらこれもレアな食材アイテムになるかもしれない。後で捕まえてみよう。
と、そこであるものに気付いた。
川下の方の岸に、ダンジョン内ではまず見ない光景が目に入ったのだ。
ここから見るに、テントの張られた露店らしきものが見える。一瞬、他パーティの仮設拠点かと思ったのだが、それにしては物が多いのだ。テーブルや椅子、奥には調理設備らしきものも見える。
街やダンジョン入口ならいざ知らず、なぜこんなダンジョンの奥深くに位置する場所に露店があるのだろうか。しかも、極一部のプレイヤーにしか知られていないような辺鄙な場所にだ。
不思議に思った俺は、とりあえずその露店に向かって歩き出した。
露店には見る限り、二人のプレイヤーがいる。さすがの俺も好奇心に押されて話しかけてみようという気になっていた。
近付くにつれ、今度は別のことに気付く。なんとも食欲のそそる香りがするのだ。香りの出所はおそらくあの露店だろう。
まるで調理士の露店のようだなと思っていたので、予想は当たっていたようだ。
「おや、いらっしゃい」
俺が露店のそばまで来ると、中にいたプレイヤーの一人が声を掛けてきた。
背が高く細身の男性プレイヤーで、俺よりも年齢はかなり上のように見える。年配ながらも整った顔立ちには柔和な表情が浮かんでいて、初対面ながら相手をホッとさせるような雰囲気の持ち主だった。
彼の服は、ブラートたち調理士がよく着ている白い調理服なのだが、ここがダンジョンの中だということを考えるとかなりの違和感を感じる。
手には調理器具を持ったままで、どうやら調理の途中だったようだ。
「お客さんですかね? お一人ですか?」
彼は穏やかに微笑みながら尋ねてきた。その笑みにつられて、俺の困惑と警戒心は鳴りを潜める。
「ええ。俺一人なんですが……これは露店ですか?」
「そうですよ。一応私は調理士でして、こんな場所ですが食事の提供をしてるんです。今はお客さんが彼女一人しかいませんので、よかったらどうですか?」
彼が視線を向けた先を見ると、カウンターテーブルに座ってこちらに背を向けていたプレイヤーが目に入った。装備がとんがり帽子にローブという組み合わせで、傍らには大きな杖も立て掛けてある。その様子を見る限りでは、魔術士なのだろう。
顔は見えなかったので性別はわからなかったが、調理士の彼が彼女と呼んだので女性プレイヤーだと思われる。かなり小柄なプレイヤーだったので、女性だと言われれば納得できた。改めて近くで見ると、帽子から零れている髪も長い。
俺の視線に気付いたのか、彼女は一瞬こちらへと振り向いた。
俺と彼女の目が合う。
幼さが強く残る美しい少女だった。だが、一番目を引いたのはその表情だ。
俺と目が合ったというのに、顔には何の表情も浮かんでいない。全くの無表情である。
やがて、彼女は再びテーブルへと向き直った。どうやら俺には全く興味がないらしい。
他に客がいないということは、彼女はソロプレイヤーなのだろうか。
俺が疑問を浮かべる間も、彼女は黙々と料理を食べている。
こんなダンジョンの奥地で露店を開く調理士と、一人で客として来る魔術士。なんとも奇妙な組み合わせだ。
そもそもこの露店自体がかなり異質な存在だろう。まさかこんな場所で露店、しかも料理系の露店に遭遇するとは思ってもいなかった。彼は一体何者なのだろうか。
「じゃあ、少しお邪魔します」
興味を引かれた俺は、彼の勧めに従ってテーブルに着く。
先客である魔術士の横に座ったのだが、彼女はチラリとも視線を向けなかった。
その視線は、彼女の目の前の料理へと真っ直ぐに注がれている。横に来て気付いたが、丼に山盛りで肉と野菜、そして米が盛られていた。びっくりするほど量が多い。本当に彼女がこれを食べるのだろうか。
色々な意味で気になるプレイヤーだ。
彼女を横目にそんなことを俺が考えていると、調理士の彼は困ったような笑顔を見せて話しかけてきた。
「その子はとても人見知りなんですよ。どうか気を悪くしないでください」
どうやら彼女の無愛想に俺が気にしていると思ったようだ。
彼の口振りからすると、二人は知り合いなのだろう。俺のような偶然見つけた一見客というわけではないらしい。
「常連さん、というわけですか?」
「はは、常連といえば常連ですね。長い付き合いですから」
そう言うと、彼はグラスを一つ取り出して水を注ぎ、俺の前に置いた。
「彼女とはパーティを組ませてもらっているんですよ。パーティと言っても私と彼女の二人だけなので、コンビと言った方が良いかもしれません。相棒ってやつですかね」
「相棒……」
随分歳の差がありそうな相棒だな、などと思いながらふと横を見てみる。
彼女は相変わらず無表情で食事を続けていたが、心無しか誇らしげな表情をしているようになんとなく思えた。
無関心に見えて、しっかりこちらの話は聞いているようだ。
「ええ。こうしてこんな場所で露店が開けるのも彼女のおかげなんですよ」
彼が指差す方向を見ると、地面の上で僅かに輝く小さな文字のようなものが見えた。周りを見れば、他にもいくつか同じようなものが目に入る。
「なるほど、結界魔術というわけですか」
「はい。彼女は優秀な紋章式魔術士ですから。今はモンスター除けに効果を絞った強力なのを使ってもらってます。彼女は……っと、すいません、まずは自己紹介をした方が良いですね」
「どうも彼女のことになると話が長引いちゃうんです」と笑う彼に対して、俺も微笑み返す。
この二人がどういう事情でコンビを組んでいるのかはわからない。歳の差があるように見えるが、関係は良好そうだ。
「こほん。では改めまして、私がミスト。見ての通り調理士ですね。そして、彼女は魔術士のアリス」
調理士の彼、ミストが紹介してくれると、魔術士のアリスはチラリと目線だけをこちらに寄越した。だが、すぐに料理へと向き直る。
それを見て俺もミストも苦笑いを浮かべてしまうが、まだ多少なりとも反応がある分マシなのかもしれない。
「えっと、俺は……」
「師範代」
「え?」
俺が自己紹介をしようとすると、突如横から声が割り込んだ。
ここでは初めて聞く女性の声。思わずアリスを見るが、彼女の視線は前を向いたままだ。
「おそらく『バルド流剣術』の使い手として残る最後の一人。良くも悪くもダラスで有名なプレイヤー」
しかし、彼女はそのままで淡々と俺の説明を語る。俺は呆然とそれを聞いた。
「……でも、師範代は初期ダンジョンを根城にしてるはず。彼がこの高ランク相当の隠しエリアに来るのはほぼ不可能。それに装備がかなりの高級品。……何かあった?」
そこでようやく彼女の視線が俺に向いた。無表情で透明な瞳が俺を射抜く。
ある程度、自分のことが周りに知られているのは自覚していたが、こう改めて説明されるとなんとも奇妙な感じだ。
しかし、彼女は最近俺が巻き込まれていた事態を知らないのだろうか。
若干たじろぎながらも、俺は答えた。
「あ、ああ。最近いろいろと状況が変わってね」
「……そう」
と、アリスは一言だけ呟くと視線を戻してしまう。そのまま料理を頬張り始めた。
どうやら会話は終わりらしい。なんだか調子が狂いそうだ。
「おお! 君があの『師範代』君だったのですか!」
アリスとは打って変わって、ミストはテンションが高い。何が彼の琴線に触れたのだろう。
「え、ええ。一応周りからは『師範代』と呼ばれてはいます」
俺の返答を聞いて、ミストは再び感嘆の声をあげた。
「……こんな世界になってもやり込みプレイを続ける猛者がいると聞いていましたが、あなたでしたか」
「も、猛者……?」
「ええ。やはりやり込みはゲームの基本ですからねぇ」
なにやら自分で納得したようにミストはうんうんと頷く。
見た目が結構年上であったので騙されたが、意外とこの人はコアなプレイヤーらしい。
「ここで会ったのも何かの縁でしょう。お代はサービスしますので、ぜひ私の腕を披露させてください」
「え、そんなサービスだなんて……良いのですか?」
俺の困惑の声を聞いて、ミストが微笑みを浮かべる。
「もちろんです」と笑みを浮かべたまま俺に告げ、彼は一冊の冊子を取り出した。
「はい、こちらがメニューになります」
突然の好意に恐縮しながらも、出されたメニューに目を通す。
意外にも品目の数が多い。サービスするとは言われたが、書かれた値段にも視線を向ける。どれもそう割高なわけでもない。
ますます謎が深まる。本気でこんな場所で露店をしているということなのだろうか。
俺は困惑と驚きを深めながらも、軽く吟味し始めた。
……よし。これにするか。
しばらくメニューを眺めた後、俺は簡単な肉料理を注文することに決めた。
「これをください」
「はい。では、少々お待ちください」
俺がメニュー上のその品目を指差しながらミストに告げる。
彼は軽く会釈をすると、背後の調理場へと足を向けた。
料理が出てくるまでの間、なんとも手持ち無沙汰になる。
なんとなしに俺は、アリスと調理を続けるミストの後ろ姿を交互に眺めた。
「師範代さんもここに来た狙いは、ゴールデンボアですか?」
調理を続けたまま、ミストが話しかけてくる。
「ええ。知り合いに、今だとゴールデンボアが乱獲できると聞きまして」
「やはりそうでしたか。ここは知る人ぞ知る秘境というやつでして……普段はシシルクボアばかりが出現するのですが、今の時期だけはゴールデンボアが大量に現れるんです。まだまだ知っているプレイヤーも少ないのですが、そのお知り合いはかなり情報通のようですね」
「でも中途半端な情報だったので、詳しい場所もわからず苦労しましたよ」
ここに至るまでの苦労を思い出して俺が苦い顔をすると、ミストは意外そうな表情を見せた。
「そういえば、お一人だったはず……弓術士も連れずに、よく入口がわかりましたね」
「偶然、他パーティの流れ弾のおかげで入口を守るモンスターの存在に気付けたんです。あれが無ければ俺のスキルだけでは発見できなかったでしょうね」
俺の言葉に、彼は大きく頷く。
「それは幸運でしたね。本来ならば、かなり熟練度の高い索敵スキルを持った弓術士がいないと発見できないようですよ。入口の場所も頻繁に変わるので、地図も役に立たないそうです。私たちの場合は、彼女が普通の木と例のモンスターとを何故か見分けられるので苦労せずにここまで来られるのですが」
俺とミストの視線が、アリスへと向く。視線が集まったことに気付いて、彼女はチラリと一瞬こちらを見返した。
「……形が違う。見比べればすぐわかる」
「とまあ、彼女はこう言うのですが、私からするとさっぱりわかりません」
淡々と語るアリスと、苦笑するミスト。
俺もまだ一度しかあのモンスターとは遭遇していないが、周囲との違いは全くわからなかった。
アリスの言う通り、多少の違いはあるはずなのだろうが、俺たちには見分けられない。口振りからすると、おそらくスキルではなく彼女自身の能力なのだろう。彼女の目では、微細な違いがはっきりと認識できるのかもしれない。
「しかし、なんだってこんな場所で露店を?」
俺が一番疑問に感じていたことを口にすると、ミストは困ったように薄く笑みを浮かべた。
「露店はついでなんですよ。実は私、美味いものに目がないものでして……それが高じて調理士の道を選んだんです。ほら、食材アイテムにも耐久度があるでしょう? 本当に微妙な差ですが、やっぱり耐久度があまり減っていない……新鮮な食材を使う方が美味しい料理ができあがるんです。おかげで、新鮮な食材を求めてこんな場所まで出張している次第なんですよ」
「食材のため、ですか。でもダンジョンの中でというのはさすがに危険では?」
「もちろん危険は承知してます。ですが……」
と、その時横合いからアリスの声が割り込んできた。
「ミストは私が守る。だから心配いらない」
彼女を見ると、今度はしっかりと俺を見ている。真正面から見ると、相変わらずの無表情が際立つ。
妙な威圧感を感じて、思わず俺はたじろいだ。
やがて彼女は俺から視線を外し、ミストへと顔を向ける。そして、空となった丼を差し出した。
「おかわり」
「なんだと!?」
驚きで反射的に突っ込んでしまう。
いつの間にか山となっていたはずの丼が空になっていた。小柄な少女が食べるには不釣り合いな料理だったのだが、おかわりまでするという。
「はい、どうぞ」
俺が唖然としている横で、ミストは何でもないかのように先ほどと同じものを手渡した。
丼を手にしたアリスは、再び黙々と食べ続ける作業に戻る。
「アリスは昔、お腹を空かせて行き倒れていたところを助けてあげたことがあるんです。それ以来私の料理が気に入ったようで、こうして私の出張露店にも付き合ってくれているんですよ」
「……ミストの料理は天下一品。絶対に死なせない」
「……」
「……何?」
「何でもない」
完全に餌付けされてるじゃないか。なんて言葉が口から出そうになったが、何とか堪える。
ミステリアスな少女だったはずなのに、何だか色々と台無しだった。
「お待たせしました、師範代さん」
ようやく俺の元にも料理が届く。
程良く焼けた肉に、付け合わせの野菜類。漂う香りが凶悪なほど空腹へと響いた。
「旬の『ゴールデンボアの肉』を使ってますから、素材は文句なしですよ」
「!?」
これが『ゴールデンボアの肉』を使った料理……。
期待感から一瞬、ゴクリと喉を鳴らす。
ダラスではブラートが俺の持ち帰る『ゴールデンボアの肉』を待っているが、一足先に味わわせてもらおう。
急かされるように肉を切り分けると、その絶妙な柔らかさに驚いた。恐ろしく滑らかにナイフの刃が通る。
そして、肉片を口へと運んだ。
「……!?」
口内に広がる何とも言えない旨み。俺は思わず動きを止めてしまう。
食感、味ともに素晴らしく美味としか言いようがない。
ブラートに作ってもらった『巨龍の肉』を使用してのステーキも美味だったが、これはそれ以上だ。
『ゴールデンボアの肉』もアイテムランクとしては高いものの、さすがに『巨龍の肉』には敵わない。食材アイテムのランク差を考えると、ブラートには申し訳ないが両者の腕の差は歴然としている。
やがて一瞬の硬直から再起動すると、俺は一心不乱に食べ始めた。
「ごちそうさまです」
結局完食するまであっという間だった。
これほど食事に没頭するだなんて初めてかもしれない。アリスが黙々と食べ続ける理由がわかった気がする。
「お粗末様です。お口に合いましたか?」
「この上なく美味でした」
「それは良かった。腕を奮った甲斐があるというものです」
俺が未だ先ほどまでの美味への陶酔に浸りながら答えると、ミストはニコニコと笑顔になった。
アリスは相変わらずモグモグと口を動かしている。本当にいつまで食べるつもりなのだろうか。
「しかし、これほどの腕ならばダラスなんかで店を出せば相当な稼ぎになりますよ?」
娯楽の少ない『エデン』の世界では、食事はプレイヤーにとって大きな楽しみの一つだ。
こんな料理を提供できる店ができれば、たちまち大行列のできる人気店になることだろう。
「いえ、別に稼ぎを求めているわけではありませんからね。先ほどの続きになりますが、私の目的は美味を味わうことなのです。もちろんこんな場所で調理する危険は十分承知していますが、それも覚悟の上です」
皿を片づけながら語るミストだったが、その立ち姿にはある種の信念のようなものが見て取れた。
「グランドクエスト攻略に必死になっておられる方々を考えると、くだらない目的で申し訳ないですけどね」
しかし、真剣な表情を浮かべていたのは僅かな間だけで、彼がこちらに顔を向けると照れたように微笑む。
それに対して俺は頭を振った。
「グランドクエスト攻略が必ずしも現状の打破になるとは限りません。元々自由なプレイスタイルが謳い文句だったゲームです。あなたのようなプレイヤーがいても良いと俺は思います」
「……そう言っていただけるとありがたいです」
一瞬言い淀んだ彼だったが、薄く微笑むとそう口にした。
「それに……あなたとは気が合いそうな気がします」
他人にとってはくだらない目的でも、己の道を貫き通す。
俺の境遇に似ている気がして、素直に共感できた。
俺がニヤリと笑みを浮かべると、連れられるようにミストも同じような表情を返してくる。
「奇遇ですね。私も『師範代』の噂を聞いた時から同じことを考えていたんですよ」
お互いに通じるものがあった俺たちは、どちらからともなく握手を交わした。
「ふと思うんです。今感じている”美味しい”は、かつての現実世界で感じていた”美味しい”と同じなのかとね」
「え……どういうことですか?」
握手を交わした後、ミストが独白のように呟いた言葉に俺は思わず聞き返していた。
「この世界が始まってもう三年ですかね。師範代さんは現実世界でのことを今でも鮮明に思い出せますか?」
彼の意図が読めず、困惑しながらも俺は答える。
「まあ、鮮明にというと自信がないですが、忘れてはいないですよ」
俺の返答に対して、彼は微笑みながら頭を振った。
「残念ながら、私は現実世界での記憶や感覚が少しずつ薄れてきているのを実感しています。電化製品に囲まれていた生活の記憶に少し違和感を感じるほどですよ……だからこそ現実との繋がりを求めて、様々な味を追い求めているのかもしれません」
「……」
三年もの間、便利な現代社会からかけ離れた生活をしていればそんな状態になるのは無理のない話だろう。
俺も普段はその日の生活に追われ、『エデン』内での出来事にしか意識が向かない。現実世界でのことを思い出さない日も多かったりする。
既にこの世界に相当馴染んでしまっているのだ。
「そして……ここは人の手によって作られた虚像の世界。現在のシステム異常の原因は判明していませんが、もし仮に人為的なものであるとしたならば、未だこの世界は誰かに支配されている可能性があるとは思いませんか?」
「そういう説があるのは知っています。ただ、何のリアクションもないので推測の一つに過ぎませんが」
初期で散々議論された説の一つで、今でも大きく支持されているものでもある。といっても、結局はどの説も明確な根拠が見つからないので確証に至っていないのが現状であるが。
「ええ、私も可能性の一つとしか思っていません。しかし、万が一そうであったとするならば、『エデン』に参加している私たちもまた同じく支配されている……もしかしたら、その誰かによってとんでもない味を美味しいと感じさせられているのかもしれない。そう考えると、私の”美味しい”が途端に信じられなくなるのですよ」
そう語ると、彼は自嘲するかのような笑みを浮かべた。
『エデン』の異常状態とその原因。様々な憶測が流れているものの、正確な状況把握など誰もできてはいないはずだ。
システムを管理する外部との連絡が取れない現在、ミストの懸念が有り得ないとは言い切れない。
そもそもこれほど長い期間、システムは稼働しているのに外部からは音沙汰無しというのもおかしいのだ。一体現実世界ではどういう状況になっているのか。
現実世界と見紛う『エデン』の世界。
俺の主観ではそういうことになっている。しかし、もしその感覚すらも狂わされていたのなら……。
一瞬、俺の背筋に冷たいものが走った。
思わず周りを見渡す。当然視界に広がるのは、穏やかな自然の一幕だ。
だが、自分の見るその風景が、そして自分の立つ大地が、途端に酷く頼りない物に思えてしまった。
「はは、所詮私の拙い妄想ですから気にしないでください」
俺の慌てる様子が面白かったらしい。ミストはおろか、アリスまで笑っている。
俺は一瞬呆気に取られたものの、すぐに自分の醜態に気付いて恥ずかしくなった。
どんなに美しく見えても、この世界が作り物なのは事実なのだ。今更取り乱してもどうしようもない。
俺はそう開き直ると、未だ笑みを消さない二人をジト目で睨むのだった。

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最終掲載日:2014/08/24 22:42
Knight's & Magic
メカヲタ社会人が異世界に転生。
その世界に存在する巨大な魔導兵器の乗り手となるべく、彼は情熱と怨念と執念で全力疾走を開始する……。
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最終掲載日:2014/08/05 00:55
デスマーチからはじまる異世界狂想曲
アラサープログラマー鈴木一郎は、普段着のままレベル1で、突然異世界にいる自分に気付く。3回だけ使える使い捨て大魔法「流星雨」によって棚ボタで高いレベルと財宝を//
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最終掲載日:2014/08/24 18:00
ネクストライフ
山田隆司は雪山で命を落とした──と思ったら、見知らぬ場所にいた。
どうも、ゲームの中の世界らしい。
その割には知らない事が多いけど……困惑しつつも、最強クラスだ//
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最終掲載日:2014/08/24 22:28
イモータル×ソード
愚直に「最強」を目指す傭兵オルタ・バッカス。しかし20年以上も傭兵として戦場に身を置いていた彼は中々芽を出さなかった。自らの才能の無さを嘆き、鍛練の傍ら才能と//
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最終掲載日:2014/08/12 07:32
盾の勇者の成り上がり
盾の勇者として異世界に召還された岩谷尚文。冒険三日目にして仲間に裏切られ、信頼と金銭を一度に失ってしまう。他者を信じられなくなった尚文が取った行動は……。サブタ//
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最終掲載日:2014/08/25 10:00
理想のヒモ生活
月平均残業時間150時間オーバーの半ブラック企業に勤める山井善治郎は、気がつくと異世界に召喚されていた。善治郎を召喚したのは、善治郎の好みストライクど真ん中な、//
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最終掲載日:2014/08/23 17:08
異世界迷宮で奴隷ハーレムを
ゲームだと思っていたら異世界に飛び込んでしまった男の物語。迷宮のあるゲーム的な世界でチートな設定を使ってがんばります。そこは、身分差があり、奴隷もいる社会。とな//
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最終掲載日:2014/07/31 20:00
《Blade Online》
世界初のVRMMO《Blade Online》のサービスが開始された。しかしプレイヤーを待ち受けていたのはログアウト不能のデスゲームだった――。ゲームに囚われた//
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最終掲載日:2014/08/05 00:00
異世界食堂
洋食のねこや。
オフィス街に程近いちんけな商店街の一角にある、雑居ビルの地下1階。
午前11時から15時までのランチタイムと、午後18時から21時までのディナー//
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最終掲載日:2014/08/23 00:00
月が導く異世界道中
月読尊とある女神の手によって癖のある異世界に送られた高校生、深澄真。
真は商売をしながら少しずつ世界を見聞していく。
彼の他に召喚された二人の勇者、竜や亜//
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最終掲載日:2014/07/04 22:00
ワールドオーダー
なんの特徴もない天外孤独な三十路のおじさんが異世界にいって色々とするどこにでもあるようなお話。最強になれる能力、だが無敵ではない。そんなおじさんが頑張っていきま//
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最終掲載日:2014/06/21 00:00
こちら討伐クエスト斡旋窓口
自分では全く戦う気の無い転生主人公が、ギルド職員の窓口係りになって、淡々と冒険者を死地に送り出していたが、利用者の生存率が異様に高くて、獣人達から尊敬されたり、//
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最終掲載日:2014/07/09 08:00
ありふれた職業で世界最強
クラスごと異世界に召喚され、他のクラスメイトがチートなスペックと“天職”を有する中、一人平凡を地で行く主人公南雲ハジメ。彼の“天職”は“錬成師”、言い換えれば唯//
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最終掲載日:2014/08/23 18:00
THE NEW GATE
ダンジョン【異界の門】。その最深部でシンは戦っていた。デスゲームと化したVRMMO【THE NEW GATE】の最後の敵と。激しい戦いに勝利し、囚われていたプ//
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最終掲載日:2014/07/24 01:31
勇者様のお師匠様
両親を失いながらも騎士に憧れ、自らを鍛錬する貧しい少年ウィン・バード。しかし、騎士になるには絶望的なまでに魔力が少ない彼は、騎士試験を突破できず『万年騎士候補//
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最終掲載日:2014/08/08 00:00