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天国と地獄 (1963)監督・黒澤 明


開始より0:59(神奈川県小田原市南鴨宮~小田原市寿町・下り東海道線車中)

「もうすぐ鉄橋です。子供の顔をよく見てください!私は子供の顔は写真でしか知らない。替え玉ということも考えられますからね!」
「俺の命とひきかえるんだ!間違えるもんかっ!」


誘拐犯人は身代金の受け渡しに、東海道線の特急の窓から現金の入った鞄を投げろと指示してきた。酒匂川(さかわがわ)の鉄橋の手前で誘拐した子供を見せるから、川を渡りきったところで鞄を投げろと言う。

撮影には特別ダイヤで実際と同じ12両編成の特急こだま号が借り切られた。1962年10月22日のことである。そして品川操車場を出発したそのこだま号の中では実際の時間の流れの中で撮影がおこなわれた。いや、車中だけではない。酒匂川の両岸で待ち構える共犯者達も連携している。絶対に失敗は許されない。車中では8台のカメラが回されたという。カットごとにこま切れで撮影したのでは絶対に出ない臨場感、緊張感だ。





(撮影・2009・08・02)

酒匂川とカーブする川沿いの道に挟まれた狭い三角地帯。作品ではこの部分に砂利を盛って高くし、その上に子供と共犯者を立たせ、目立つようにしている。
現在でも三角地帯は残っていて、砂利道だった道路は綺麗な歩道付きの舗装路になっている。

巡礼写真ももちろん本編の撮影と同じく下り東海道線車中より撮影。車中で路線図と地図を確認しながら酒匂川を待つ。国府津(こうず)駅を通過したあたりでカメラを準備する。
線路が左にカーブする。もうすぐだぞ!見えたっ!酒匂川だ!カメラを構え、川を渡りきるまで夢中でバシャ、バシャっとシャッターを切り続ける。なかなかのバーチャルリアリティでした。




酒匂川にさしかかる。子供と共犯者の姿が見えてきた。「ボースン」こと田口刑事(石山健二郎) が先頭車両から8ミリカメラを向ける。 向こう岸に見える建物はカネボウ化粧品小田原工場。
(撮影・2009・08・02)
車窓からシャッターを切る荒井刑事(木村功)。 (撮影・2009・08・02)



「あの建物が邪魔だ!壊せ!」と黒澤監督が酒匂川沿いにある二階建て民家の二階部分を壊させ、撮影後には元通りに作り直したという話は伝説になっている。
もしかしたら、これがその一階部分かもしれないと推測している建物がある。
これは酒匂川にさしかかろうとする時に田口刑事が先頭車両の運転室で身を伏せて8ミリを回しているカットだ。もしここにもっと背の高い家が建っていたとしたら、確かに子供と共犯者が見えにくくなる。



開始より1:00(神奈川県小田原市南鴨宮)

「おい、これからは手加減はいらん。まっすぐホシを追え。あの人のためにも、それこそ犬になってホシを追うんだ!」

解放された子供を救出するため、酒匂川の鉄橋のたもとに来た権藤(三船敏郎)と刑事たち。
列車でのシーンの後、鮮やかに切りかわるこのシーンはワンカットだ。





(撮影・2009・08・02)

前述のように当時は舗装路ではなく砂利道だった。デコボコ道に車体をゆらしながら、権藤や戸倉警部(仲代達矢)らを乗せた車が砂ぼこりを巻き上げて走ってくるのが印象的である。そして車がまだ停まりきらないうちにドアが開き、「進一!」と叫びながら権藤が飛び出して行く。
向こうに見えるのは「小田原大橋」。橋げたの形状が当時とは異なっているようだ。





(撮影・2009・08・02)

そしてカメラは権藤の動きにつれ右にパンする。解放された子供のいるところに走る権藤。それを見て決意をあらたにする四人の刑事。
権藤は止まった警察の車から子供のいる所まで全速で走る。50メートルくらいはあるだろうか。何故警察の車は子供のいる場所まで行かなかったのだろう。それは権藤が子供のいる所まで自分の足で走って行き、子供も権藤にかけ寄って来た方が感動的だったからだと思う。それを不自然に見せないために、車に乗っている権藤がはやる気持ちをおさえきれずに、まだ車が動いているのにドアを開けてしまい、運転している刑事は危険と感じそこで車を停車させる。ということで解決している。観客は全く不自然には感じない。意図されていて計算されている。黒澤はよくリアリズムなどと言われるが、くそリアリズムではないのだと思う。
前述のようにこのシーンはたったのワンカットだ。刑事達の背中越しに見える権藤と子供は遠くてよく見えない。もしこれが抱き合う権藤と子供、それを見る刑事達、などとありがちにカット分けされていたとしたら、何と安っぽいシーンになっていたことだろうと思う。

巡礼を予定していた当日、朝起きてみるとあいにくの小雨。天気予報によると神奈川県地方はこれから午後にかけてさらに天気は下り坂という。「今日は中止だなあ」と半分諦めたのだけれども、どうしても諦めきれない。午後になって「どうにかなるだろう」と思い切って東海道線に乗る。小学校の時の遠足でもこんなに楽しみにはしていなかった。
まず東海道線の車中から撮影。小田原,国府津間を2往復する。現場にいちばん近い鴨宮駅で下車し酒匂川へ。酒匂川に着いた時が雨の最高潮。土砂降りだ。風も強い。傘をさしながら資料のプリントが風で飛んでいかないようにするのが精一杯。しばらく屋根のあるところで雨が弱くなるのを待つ。
ようやく少し雨が弱くなってきたので撮影開始。しかしまだ遠くが雨で霞んでしまっている。おまけに鉄橋は塗装工事でネットが被せられていた。
帰りに小田原でお土産に蒲鉾を買う。





より大きな地図で 天国と地獄「それこそ犬になってホシを追うんだ!」 を表示


開始より1:01(神奈川県‎横浜市‎南区宮元町1丁目‎・吉野橋)

「しかしあれだけの奴だ。塒(ねぐら)のそばの電話なんて使うかな」
「さあ、次行こう」


人質の子供は身代金と引き換えに救出できた。いよいよ犯人を割り出す捜査が始まる。
犯人からかかってきた脅迫電話は公衆電話からのようだ。電話で話しながら望遠鏡で権藤邸の内部を見ていたようだ。権藤邸を見通せる公衆電話を一つ一つ調べる中尾(加藤武)、荒井(木村功)の両刑事。電話ボックスのガラス越しに権藤邸が見えている。





(撮影・2014・07・22)

まず説明しておかなければならないことは、「権藤邸」は一つではないということだ。
一つ目はサロンの窓越しに横浜市街が見えるシーンや、庭から横浜市街を見下ろすシーンを撮影する目的で西区浅間町(せんげんちょう)に建てられたセット。
ここには一階サロンの内装、玄関周りの内、外装、芝生の庭などが作られたのだと思う。劇中で権藤邸の場所は「西区浅間町」と言われているので、設定上も権藤邸はこのセットが建てられた場所ということになるだろう。
次に犯人の竹内や捜査する刑事たちが見上げる南区南太田の丘の上に建てられたセット。
このセットは多分、主に外観だけのセットだろう。しかし見上げる権藤邸のサロン内で子供達が走り回っている様子が見えるシーンもあるので、ある程度は室内も出来ていたのではないだろうか。
それと撮影所に作られた邸内のセットも加えると、権藤邸は実に三つ作られたことになる。

さて、この電話ボックスのシーンでは南太田に作られた権藤邸を見上げている。電話ボックスが置かれたのは(電話ボックスはおそらく撮影の為に用意されたものだろう)何処なのだろう。
画面左端に橋の親柱(橋の欄干の両端にある大きな柱)が写っている(矢印①)。横浜には川が多く、ゆえに橋も多い。それぞれの橋にはその橋独自のデザインがされた親柱が立てられている。アールデコ調にデザインがされた洋風のものが多く、異国情緒の横浜らしい。
作品に写っている親柱は見にくい角度だが、県道21号(鎌倉街道)が中村川に架かる吉野橋の親柱のように見える。ここは吉野橋なのか?
この撮影地点を特定されたHさんは言う。
「当時『お三の宮』という電停が『吉野橋』の橋上にあったみたいで、画面上にも『電停標識』らしきものが一瞬写ります。橋と権藤邸の位置関係から判断するとココしかありえないと思えます。『横浜市HPの古地図』を見ると、橋の上に『電停』があるのは吉野橋だけなんです」
なるほど!バスの停留所の標識のような物が写っている(矢印②)。これはバスの停留所ではなく当時走っていた横浜市電の電停標識なのだ。素晴らしい!間違いなし!
「よし!わかった!」
あ、これは同じ加藤武さんでも違う映画のセリフでしたね!


現在の吉野橋。頭上には首都高が通り、周辺にはビルも多く出来たので、とてもではないが権藤邸があった丘を見ることはできない。

(協力:Hさん)



開始より1:02(神奈川横浜市南区日枝町5丁目)

「ホシの言いぐさじゃないが、ここから見上げるとあの屋敷はちょっと腹が立つなあ。まったくお高く構えてやがるって気がするぜ」

と若い荒井刑事はつい本音をはく。
横浜市内を流れる大岡川に沿った道を歩く
この直後、皮肉にも川の向こう側を歩いている犯人の竹内(山崎努)と偶然すれ違う。





(撮影・2009・10・04)

川の側面、川面から1メートルばかり立ち上がったコンクリートにY字型の構造が等間隔に並んでいるのが見える。それは当時も現在も変わらない。現在は転落防止のためか増水に備えてなのか、その上部にさらにコンクリートのフェンスができている。
撮影初日、黒澤は川の汚れ方が足りないと怒って帰ってしまったそうだ。作品に写し出される川は確かにかなりな量のゴミが浮いていて汚い。それはスタッフの苦心の成果なのだ。そのゴミで汚れた川面に映し出される姿が犯人竹内の初登場シーンだ。


現在は高層のマンションなどが建ち並び、この川沿いの道路からは権藤邸のセットがあった丘はほとんど見えなくなってしまっている。
右の写真は京急南太田駅ホームから撮影したものだ。ここからは丘を見ることができる。
(撮影・2009・10・04)


開始より1:10(神奈川県横浜市南区中村町)

「そりゃあ、あなたは立派な事をした。世論はあなたに大変同情的だが・・・」
「同情は一文も出さずにできます。しかし我々は金を、まとまった金を出してるんです。同情なんかしてられませんよ」


権藤宅に押しかけた三人の債権者たち(山茶花究・浜村純・西村晃)は権藤に融資の返済をせまる。
ちょうど捜査の報告で権藤邸を訪れていた戸倉警部と田口刑事は、権藤が窮地に陥っている様子を見て、複雑な気持ちで権藤邸を後にする。
二人の刑事を乗せた車が坂道を下って行く。二人の沈痛な表情を、併走する別の車に乗せたカメラが捉える。

しかしこのシーンの撮影に使われた坂は、前述した二つの権藤邸、浅間町のセットからの下り坂でも、南太田の丘に作られたセットからの下り坂でもない。それとは全く別の場所にある坂なのである。しかしこの長くてゆるい坂、市街を見下ろす豪邸から下る坂にふさわしい見晴らしのよさがある。





(撮影・2009・10・04)

当時は右側に切り立った崖が写っているが、現在は切り崩されたようで存在しない。



現在はビルが林立しているが、よく見るといくつか当時と同じ建物も確認できる。
高架になっている道路は首都高速狩場線。


開始より1:11(神奈川県横浜市南区南太田)

「でもなあ、主犯は声から推定して若い男らしいというだけでねえ、誘拐した子供にも黒メガネとマスクの顔しか見せていない。これじゃあ手のつけようがないぜ」

「捜査会議」において、分担された各方面からの捜査状況が報告される。
報告にあたる刑事が説明すると、その状況画面がカットバックで挿入される。 これは前述した、犯人が使用した公衆電話を特定する捜査の状況だ。 ここは京急南太田駅のガード下である。高台に建つ権藤邸が見えている。





(撮影・2009・10・04)

京急線と平戸桜木道路が交差する南太田駅のガード下。 この位置からは現在でも丘を望むことができる。
この電話ボックスも前述の吉野橋の電話ボックス同様、撮影のために置かれたものではないだろうか。
ガードを支える鉄骨の柱が、塗装も変わらずに残っているのに感動。映画撮影から約半世紀が経ち、画面に写っている物の中で「これがこれ」といえる物がなかなか残っていないのだが、これは貴重な「物的証拠」だ。





現在の地図に書き入れたものです。



開始より1:14(神奈川県藤沢市片瀬海岸)(作品の正確なロケ地ではなく今回の撮影地点)

「この太陽はたぶん夕日でしょう。あの辺からは夕日が沈む時、どこからでもこんなふうに見えます」

誘拐された子供は監禁された場所から富士山と海が見えたと証言している。子供にその時の絵を描いてもらい、その場所を突き止めようとする刑事からの捜査報告場面。
茅ヶ崎沖に浮かぶ烏帽子岩(えぼしいわ)の向こうには伊豆方面の山々がシルエットになって見える。
しかし山の稜線と烏帽子岩の位置が一致しない。作品の撮影地点はもっと茅ヶ崎寄り、多分、鵠沼(くげぬま)か辻堂あたりではないかと思う。これは要再巡礼だ。

「天国と地獄」は真夏の暑い盛りに事件が起き、捜査をするという設定の作品だ。しかし湘南方面のロケは実は11月から12月にかけて行われている。刑事たちは半袖のシャツを着、汗を拭き、セミの鳴き声が聞こえて・・・。まるで夏にしか見えない。
この「富士山と海」のシーンでの富士山はシルエットになっているのでよくわからないが、後に出てくる別荘番をしている共犯者のシーンに写し出される富士山はしっかりと冠雪している。しかしそれ見て「あ、夏じゃない」と不思議には思わない。夏だと信じ込んでるから。
夏なのに冠雪している富士山は黒澤の妥協なのだろうか。しかしよほど富士山をいつも身近に見ている人は不自然に思うだろうが、そうではない多くの観客にとっては富士山には雪があってあたりまえだろう。富士山を富士山らしく見せるには、むしろ冠雪は必要だったのだ、と思うのは黒澤をかいかぶりすぎているだろうか。





(撮影・2009・11・03)

前述したように作品のロケは11月から12月に行われている。烏帽子岩越しに伊豆の山々の稜線が見え、そのある地点に日が沈む。ということは同じ位置に日が沈む写真を撮るには同じ季節を選ばなくてはならない。今がまさにその季節なのだ。

巡礼当日、現地には電車で出かけた。まず腰越の坂のあたりの撮影。それが済むともう日が暮れかけてきた。今の季節は日が短いのが困る。
あわてて「富士山と海」の現場へ。徒歩だ。江ノ島の向こうに行かなければならないのだが江ノ島は遙か遠くに見える。日の入りに間に合うだろうか。急ぎ足で30分ばかり歩く。かなり寒い日なのに汗ばんでくる。
やっと江ノ島。日はもう沈んでしまい、空は薄暗い。富士山が見えそうな快晴だったので今日を選んだのだが、ちょうど富士山のあたりだけ雲が出てきて富士山が見えない。もっと茅ヶ崎寄りに行かなければならないのだが、これ以上行くと真っ暗になってしまう。

あきらめて新江ノ島水族館のあたりから海岸に出る。遠くに烏帽子岩が見える。一応写真を何枚かバシャバシャ。
棒のようになった足をひきずり近くのデニーズへ。もう完全に真っ暗。ほっと一服。ハンバーグとエビフライの盛り合わせ。
この「何やってんだろうな、オレ」感がなんともたまらない。

夕暮れの海岸からシルエットで見える富士山。 冠雪している富士山が見える。汗を拭う刑事。


開始より1:16(神奈川県横浜市神奈川区浦島丘)

「ナンバーを変えていることも考えられますので、捜査三課の方で灰色の59年型のトヨペットをシラミつぶしに調べてます」

犯行に使用した盗難車の捜査を担当している刑事からの報告場面。
白バイが走行中の灰色のトヨペットクラウンを停めさせている。





(撮影・2014・07・09)


より大きな地図で 天国と地獄「白バイが灰色のトヨペットを停めた地点」 を表示

実はこのシーン、以前は全然違う間違った場所を撮影地として紹介していた。そこへ、
「これは「横浜市神奈川区浦島丘」付近の国道1号線だと思います」
とのご指摘をいただいた。
私はこの道路と左側に見える線路とが立体で交差しているとばかり考えていたのだ。それで交差している地点を地図上に見つけ、安易に特定してしまっていた。お恥ずかしい。
実際のロケ地は横浜駅からは北東に位置するJRと京浜急行の線路がひしめく一帯にそった国道一号線だ。国道一号線と線路とは高低差があり平行して通っている。
歩道際のフェンス、鉄道上に設けられた橋などによって、この位置からは線路の様子がほとんど見えなくなってしまっているのが残念だが、線路際に近づいてみると、作品に写っているようにたくさんの線路がカーブを描いている様子を見ることが出来る。こちらから見て国道一号の右側が石垣になっている様子も一致している。

ここへはご指摘いただいた横浜在住のHさんに同行していただくことができた。そしてこれがきっかけで「天国と地獄」の他の多くのロケ地を特定できることになる。まさに協力な助っ人の出現。本当にありがとうございました。

(協力・Hさん)




開始より1:28(神奈川県横浜市戸塚・横浜新道戸塚料金所)

「とにかく、あの子をつかまえなきゃ今日の仕事にならん。青木はおそらく酒匂川に行くよ。東海道を追いかけよう」

運転手の青木は子供を連れ、子供の記憶をたよりに手がかりを探そうと行動しているらしい。田口(石山健二郎),荒井(木村功)の二人の刑事がそれを追う。ここは横浜新道に入る戸塚料金所だ。




(撮影・2009・11・01)

料金所の構造そのものは当時と変わっていないように見える。しかしその後の交通量増加や最近のETC導入などによって、ゲート数はずいぶん増えているようだ。




開始より1:29(神奈川県鎌倉市腰越)

「ボースン、なんだかホシが近いって気がしますね」
「あの丘の上に行こう。いいか、デカみたいなツラするなよ」
「僕は大丈夫ですよ。でもボースンのその顔は整形手術でもしなくちゃね」





(撮影・2009・11・01)(地図番号1)

運転手親子を捜し海岸沿いを走る国道134号線に出た田口,荒井両刑事の車。道路と平行して走行している鉄道は江ノ電(江ノ島電鉄線)だ。
江ノ電は存続が危ぶまれた時期もあったが、現在でも元気に走っている。住民の足としての役割ももちろんだが、観光客や鉄道ファンにも人気だ。巡礼の時にも車両にカメラを向けている人を何人も見かけた。






(撮影・2009・11・01)(地図番号2)

道端に車を寄せ、降りてみる両刑事。眼前に江の島が大きく見える。灯台は作り直されていて、位置が多少ずれている。右手に突き出しているのは小動岬(こゆるぎみさき)。
荒井刑事は「なんだかホシが近いって気がしますね」と言っているが私は「なんだか(ロケの)現場が近いって気がしますね」という緊張、興奮を感じた。






(撮影・2009・11・01)(地図番号3)

「あの丘の上に行こう」と振り向く。すると線路沿いに崖が切り立っている。
両写真とも画面左の方に教会の十字架が見える。建物は建て替えられているようだが。



より大きな地図で 天国と地獄「ホシが近いって気がしますね」 を表示



開始より1:30(神奈川県鎌倉市極楽寺)

「お父ちゃん、お父ちゃん、ぼくこのトンネル見たよ」

独自に捜査の手伝いをしようとする青木親子は、眼下に線路とトンネルの見える場所にさしかかる。子供の記憶だとどうやらこの橋を渡ったらしい。




(撮影・2009・12・23)(地図番号4)

ここは江ノ電「極楽寺」駅付近だ。鎌倉らしい高低差が大きい自然の中にある。


青木親子が江ノ電の線路をまたぐ橋を渡る直前、道沿いに縁側のある古い建物が一瞬見える。現地に行ってみたらそれがまだ存在していた。「導地蔵」と書かれてあった。
(撮影・2009・12・23)


開始より1:30(神奈川県鎌倉市腰越)

「おいっ!無茶しちゃ困るっ!探偵気取りはやめてほしいな!」
「・・・私が今朝、車を玄関にまわすと旦那様がこう仰るじゃありませんか。『青木、今日から閑になるよ。もう毎日工場へ行く必要はないんだ』旦那様は笑ってそう仰ったけど、胸の中が煮えくりかえってるのは私にはよくわかる・・・だから・・・」





(撮影・2009・11・01)(地図番号5)

国道134号線から江ノ電の線路を横切り、丘の上に上がる坂を登る刑事の車。 道幅は狭く勾配は急だ。
実際に車で登ってみると、そうとう急な坂であることが実感できる。一方通行ではないので見通しのきかない前方から車が来るかもしれないと思うと、慣れた人でも怖いだろう。しかもすぐ後は線路だ。荒井刑事が運転する車はおそらくマニュアル車。運転技術が確かでないとできない。






(撮影・2009・11・01)(地図番号6)

道は何度か右、左と曲がる。道を切り開いた両側は崖になっている。この場面では右側の岩肌に当時と変わらない様子が見てとれる。






(撮影・2009・11・03)(地図番号7)

核心の場所に来た予感からか、車はゆっくりと慎重に進む。
当時のままの岩肌、石垣が見える。






(撮影・2009・11・01)(地図番号8)

刑事たちの車が左の路地に入るのと同時に向こうから運転手青木と子供を乗せた車が現れる。 道路の形状などからここで間違いないと思うが、青木の車が現れる角から向こうは当時と様子が違う。現在ではだいぶ宅地として造成が進んだようだ。






(撮影・2009・11・03)(地図番号9)

車から降りてあたりの様子を探る親子を見つけた刑事たち。「無茶しちゃ困るっ!」と青木に注意をする刑事。
このあと子供がこの場所で共犯者のいた別荘を見つける。
背後は大谷石の石垣。当時と変わっていない。





(地図番号10)
殺されていた共犯者の別荘の庭から走行する江ノ電を見下ろす荒井刑事。
国道134号線と江ノ電が合流する地点の高台の上だ。
この別荘のセットは「ボースン、子供がいない!」と言って踏み込む地点(地図番号9)とはやや離れた場所に建てられたようだ。
この江ノ電を見下ろす地点は柵がしてある私有地の中にあり、入ることはできなかった。




現在の地図に書き入れたものです。


より大きな地図で 天国と地獄「共犯者別荘番をしている別荘を探す」 を表示




開始より1:54(神奈川県横浜市中区山下町・神奈川県警察本部分庁舎屋上)

「いいか、ホシに気付かれずに、ホシから絶対に目を離すな」

竹内銀次郎を主犯と断定した捜査本部は、共犯者を殺害した物的証拠を得るため竹内を泳がせ罠にかける。竹内は麻薬を手に入れるため売人と取引をするはずだ。
県警屋上に整列した刑事たちに捜査方針を説明する戸倉警部。




(撮影・2014・07・22)

この警察の屋上はどこで撮影されたのだろう。
戸倉警部が刑事達の中を歩くとき、その動きにつれてカメラは右にパンする。
まず目に入るのが先端がドーム状になった塔。これは「横浜税関」だ。
その右方向から姿を現すのが「シルクセンター」。正式名称を「シルクセンター国際貿易観光会館」といい、横浜開港100周年を記念して1959年にオープンしている。現在も改修されてはいるが存在する。
そして次に見えてくるのが「互楽荘」と書かれた煙突。これはすぐ近くにあるようだ。
「互楽荘」は1932年(昭和7年)に建てられたアパートで、ちょっと洒落たアパートという存在だったようだ。「互楽荘」と書かれた煙突は住人のための共同浴場の煙突ではないだろうか。
以上の事柄が見える様子からHさんは「ここは本当に警察。当時あった神奈川県警察本部分庁舎の屋上だと思います」と推測する。


(1963年6月27日撮影航空写真 国土地理院)


屋上で中尾(加藤武)、荒井(木村功)の両刑事が手にしている拳銃は神奈川県警が貸してくれた本物だという。警察全面協力だ。ということからしてもここは神奈川県警察本部分庁舎屋上で間違いないだろう。
真夏の警察署屋上。撮影は1月22日だった。

(協力:Hさん)


開始より1:55(神奈川県横浜市中区山下町・山下公園)

「ホシはそこで売人と会うつもりかな」
「いや、どうやら時間をつぶしているようですな」


刑事たちに見張られているとも気付かず、竹内は市内をうろつき回る。
どこで麻薬の売人と接触するのだろう。





(撮影・2014・07・22)

外国船が見えるこの港は横浜港。竹内がいるのは山下公園だ。
竹内は海に沿って設けられた手すりの石の支柱に寄りかかり煙草をふかす。
ここは山下公園の中の正確にはどの場所なのだろう。山下公園は横浜港に沿って数百メートルにも及ぶ細長い公園なのだ。
石の支柱は10メートル間隔くらいで並んでいて、全部では何十本とある。手すりの横に這わしてある鉄のパイプは現在は意匠を凝らした物に変わっているが、石の支柱は当時と同じもののようだ。どの支柱なのか特定できないだろうか。私はこれがどの支柱なのか、という単位ではとても分からない。ところが撮影に同行していただいたHさんは、
「大桟橋がこんな角度で見えるんですから多分このあたりでしょう。竹内が立ったのはこの支柱のところじゃないかな」
とおっしゃる。
では、というわけで写真を撮る。何故か同じ場所で同じようなポーズをとっている人が写り込んでいる。

下の拡大写真を見てほしい。
撮影時には気が付かなかったのだけれども、竹内が寄りかかっている石の支柱と、今回これだろうと目星を付けた石の支柱のアップだ。
矢印の所に御影石の模様なのか、ヒビなのか、完全に一致している様子が見える。
さすが地元のHさん、間違いなかった!



この石の支柱は山下公園の北西の端近く、現在は地面がアスファルトの部分と、テーブルが並んだウッドデッキになっている場所とのちょうど境目の位置にある。
山下公園を訪れた際には「竹内銀次郎はここに寄りかかってタバコをふかしたんだ」と感慨にふけりポーズをとってほしい。現在の公園内は禁煙なのでタバコはふかせないが。
Hさん、今回はほんとうにお世話になり、ありがとうございました。

(協力・モデル:原田教隆さん 文中・Hさん)


より大きな地図で 天国と地獄「山下公園で竹内が寄りかかった石の支柱」 を表示




「聖地巡礼・天国と地獄」ごらんいただきありがとうございます。
ここでは映画の一コマが現在ではどのようになっているのか、を基本にコツコツ、ウダウダ、クドクドとやってきたのですが、1ページに収めるには少し長くなりすぎてきました。
そこで、映画の一コマが現在ではどのようにという事とは離れた話題、ロケ地特定とは離れた話題は別ページで始める事にしました。
「聖地巡礼・天国と地獄・別巻」です。
こちらもどうぞ合わせてご覧いただけますようお願いいたします。



黒澤明監督の「天国と地獄」は私にとって特別な作品だ。1963年というと私が中学2年の時だ。私はこの作品をリアルタイムで見ている。何て凄い映画なんだろうと思った。「天国と地獄」を「凄い映画」とはよく評される言葉だが本当にそう思った。 その後、見たくても見られない状況が続く。

そしていよいよ1981年、フジテレビの「ゴールデン洋画劇場」枠によって最初のテレビ放映が実現される。テープソフトやレーザーディスクソフトになる以前のことだ。
その放送方法が素晴らしかった。ノーカット、ノートリミングであることはもちろん、民放であるからCMの挿入は避けられないのだが、そのタイミングが画期的だったのだ。話の途切れ目にCMを入れるというよく使われる方法ではなく、ストーリーの展開とは関係なく、フィルムの巻の変わり目にCMを入れたのである。それもフェードアウト無し。フェードイン無し。番組名のスーパーインポーズも無し。ブツッと切れてパッと始まる。完璧である。まさに余すところなく放送したのだ。ただし腰越の別荘のシーンで、田口部長刑事の「ピストルは持ってるな?」という問いに対して、荒井刑事が「もちろん。あんな○○○○野郎、素手じゃ追えませんよ」と音声が消された以外は。
もちろん録画した。宝物である。「天国と地獄」がやっと自分の手元に置いておけるようになった。

私は以前、プラモデルに夢中になっている時期が長く、夜中などよくその「天国と地獄」を「聞きながら」作業をした。何百回となく。おかげでセリフはすっかり覚えてしまった。最初から言え、といわれても言えないが、見ている(聞いている)と次々セリフが出てくる。
一番好きな映画は?と聞かれれば迷うことなく「天国と地獄」と言うだろう。思い入れが強い。そういう作品を持てたことは幸せだと思う。

この巡礼は「天国と地獄」を一度でもご覧になった方に見ていただくのを前提に作っております。いわゆる「ネタバレ」もそうなのですが、場面の解説を最小限しかしてませんので、ご覧になられた方でないと分かりずらいのでは思われます。
これからもボチボチと巡礼シーンを増やして行きたいと考えておりますので、よろしくお願いいたします。


参考資料

「黒澤明 夢のあしあと」共同通信社
「黒澤明と天国と地獄」朝日ソノラマ
ウェブサイト「東京紅團」


天国と地獄・俳優名鑑
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