蹴球探訪
英に逸材16歳「夢は日本のフル代表」
サイ・ゴダード(3月18日)
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【スポーツ】<首都スポ>ラトゥがデビューへ 大東大ラグビー復活のキーマン2014年8月23日 紙面から
モスグリーン旋風復活のキーマンはこの男だ! 17日、大学ラグビーのオープン戦(長野・菅平)で、大東大が54−33で早大を撃破した。練習試合とはいえ14年ぶりとなるワセダ撃破で、大学日本一3度の名門が復活を印象づけた。注目は、1986年度の大学選手権初優勝時に1年生で大活躍した元日本代表のラトゥ・ウィリアム・志南利(しなり)さん(49)の長男、クルーガー・ラトゥ(1年・ティマルボーイズ校)だ。日本で生まれ育ち、ニュージーランド(NZ)で武者修行。将来の五輪代表入りを目指す若武者が、大学ラグビー界にいよいよデビューする! (大友信彦) 「ワセダに勝てたのは結構デカいよね」 ご機嫌で話したのは大東大の1年生CTBクルーガー・ラトゥ、愛称ルカだ。早大戦ではCTBで80分フル出場。183センチ、88キロの体格で再三パワフルな突進をみせ、後半開始早々には、試合の流れを決定付けるノーホイッスルトライも決めた。 「菅平に来てから、みんな、みんな、ワセダに勝つという気持ちをずっと持ってたんだ」 流ちょうな日本語も当然だ。「シナリ・ラトゥ」で知られた父は、15人制の日本代表だった。ルカは、父が所属していた三洋電機(現パナソニック)の本拠地、群馬県太田市で生まれ育った。中学からNZへ留学して本格的にラグビーを始め、サウスカンタベリー高校代表に選ばれたが、U−18のNZ代表には落選。日本へ戻ることを選び、大東大に入学した。 「選ばれたらNZに残ったと思うけど、お父さんのように日本代表でやりたい気持ちもあったから」 大東大グラウンド(埼玉県東松山市)は古巣だ。父が大東大の監督に就いたのは小1のとき。体も大きく、やんちゃだったルカは、父に連れられ、グラウンドに来ては、大学生たちを相手に遊んだ。何しろ父が怖い監督だ。いたずらでも何でもやりたい放題。 「本当に生意気、悪ガキでした(笑)。でもNZで人が変わったと思います」 留学先は元トンガ代表の叔父、ペニエリさんが住むNZ南島のティマルだった。人口3万人に満たない小さな町で、いとこたちもラグビーやネットボール=注=で、年代別のNZ代表になるなど有名な存在だった。そんな環境で、ルカは尊敬の念、礼節と責任感を身に付けた。日本に戻ってから、昔を知るOBたちに会うと、「変わったな」と言われたそうだ。もちろん、ピッチに出れば遠慮なく暴れ回る。父はFWのナンバー8、フランカーが本職だった。ルカも「いずれ(フランカーの背番号)7番を背負うことになるかな。この名前だし」と苦笑する。 フルネームは「クロンフェルド・ウィリアム・クルーガー・ラトゥ」。ルカが生まれた95年、父は日本代表で3度目のワールドカップ(W杯)に出場した。クルーガーはその大会で優勝した南アフリカで、クロンフェルドは準優勝のNZで、それぞれ背番号「7」を背負った名選手。ウィリアムは、日本代表の「7」だった父のミドルネームをもらった。フランカーになるのは運命か。ただし、ルカは「体をもっと大きくしないと。今はBKで頑張ります」と謙虚だ。 7月末に日本国籍を取得し、名実ともに日本人となった。「セブンズもやってみたい。オリンピックの日本代表入りが目標です」と夢は広がるばかり。モスグリーン軍団の19年ぶりのリーグ戦優勝、20年ぶりの大学日本一、そして五輪へ。怪物ルカが、未来へ船出する! 【注】 19世紀末、米国で誕生したバスケットボールが英国に伝わり、誕生したとされる女性向けスポーツ。接触プレー、ドリブルは禁止。ボールを、ボードなしのリングに入れれば得点。英国のほか、NZ、オーストラリアなど英連邦で人気がある。 ◇ 首都圏のアスリートを全力で応援する「首都スポ」面がトーチュウに誕生。連日、最終面で展開中 PR情報
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