第986回武藤記念講座要旨
2014年2月11日(火・建国記念の日)
  漫画家 小林よしのり氏
 「尊皇心とは何か」
     大阪「武藤記念ホール」
はじめに 本日の「建国記念の日」に際して
第1節「反対があった紀元節の復活」
 建国記念日ではなく建国記念の日になっているのは、
多くの人の了解を取り付けるために、「建国された事象
そのものを記念する日」とも解釈できるようにしたから
である。
 即ちその制定には当時の国民の70%から80%が賛成していたが、左翼の学者達が猛反対を唱えて行き詰り、何年もの時間が過ぎて行ったのである。特に、昭和天皇の戦争責任を追及され、右翼の人達からは赤い殿下と言われた三笠宮崇仁親王殿下が、神武天皇は存在しなかったと主張される恐るべき事態となり、史学会(日本を代表する歴史学の学術会議)でも反対決議をするべきとの声もあがったのであった。
第2節「田中博士の学説に依拠した記念日の制定」  そのような状況下にあって記念日の制定におおいに力を発揮されたのが田中卓先生と里見岸雄先生である。特に血が熱い里見先生は三笠宮殿下に皇籍離脱まで諫言されたが、田中先生は冷静に神武天皇がそもそも歴史上実在され、天皇に即位されたいわれをリアルな学術資料に基づき立証され、書物にまとめて殿下に献呈されたので、殿下は発言を控えるようになられたのであった。以上のような経緯で、現在では安倍首相が本年の建国記念の日を迎えるに当たり、歴代首相で始めて国民向けメッセージを出されたのは、まさに田中先生のお陰によるところが大きいのである。
第3節「若い人達にこそ知ってもらいたい建国の歴史」  本日のテーマの「尊皇心」が誰よりも篤く、「日本の建国」について、若い世代の人達に伝えてもらいたいとの田中先生の情熱は凄まじいものである。私も初対面の時に先生から戦争論、天皇論に続き、次は建国論を書きなさいと催促をされたのであるが、そのためには大変な勉強をしなくてはならず、先生とはあまりにレベルが違いすぎるので、おおいに困惑した次第であった。
第一章「真の尊皇心とは何か?」第1節「わしの天皇陛下に対する思い」
 わしは一介の権力者や、政治家が何と言おうと絶対聞く耳を持たない反権力的精神の持ち主であるが、陛下の仰せられることには絶対頭を下げねばならないと考える。そのわしが天皇陛下在位20周年の宮中でのお茶会に招かれ、陛下に拝謁する機会をいただいた。そのときには先ず侍従次長、次に侍従長にお目通りしていわば首実験されたあと「お話下さい」と言われて、陛下の前に進み出た。
 ところが、わしはものすごくびびってしまって、「ちょっとそれは困る」と何も言えなかった。何故ならば、わし如きがなぜ天皇陛下の前に出て行ってよいのかとの感覚があったからである。さらにこれから男系絶対と言う人と女系でも構わないわしとの対決が始まると思っていたので、政治的問題に陛下をかかわらせることはよろしくない、又陛下の錦の御旗を立てて論じている様相にされては困ると思い、「困ります、困ります、絶対いやです」と逃げてしまい、陛下とは何もお話できなかったのである。
第2節「わしの尊皇心」
 
わしは、天皇陛下個人の徳を尊崇することが尊皇心と考える。然し男系論者、いわゆるY染色体論者は、天皇個人は「器」に過ぎないと考え、神武天皇以来綿々と続いてきた「男系の血脈それ自体」を尊敬するものであり、女系になればもう尊敬出来ないと言うのである。一方わしは、天皇は公の体現者であり、我々国民ごときが天皇の歴史性や伝統を重んじる感覚に叶う訳がないと考えるものである。
 わしは、国民主権、即ち主権が国民にあり国民から選ばれた国会で国家の意思が決められるという共和制は嫌いである。特に本来皇位継承は皇家の家法により天皇が決めるべきものであるのに、一介の国民が決めてよいとする感覚は、男系論者も現憲法の国民主権を教条的に理解している左翼系の人達と同じであると思わざるをえないのである。
第3節「皇統をどう続けるかは天皇陛下のお考えに従うべきだ」
 わしは、歴代天皇の半分が側室から生まれているので側室がない状態では天皇制は続かないと考えているが、今や天皇陛下ご自身が、実は男系だろうと女系だろうと皇統ならば構わないと思われていることは、皇室ジャーナリストの皆が知っており、各週刊誌にも書かれ、常識になってきているのである。
 だからこそ平成17年羽毛田長官の時の皇室典範に関する「有識者会議」では、皇位継承を愛子さま迄つないでいいと決まっていた。然し直前に悠仁親王殿下がお生まれになってつぶされ、野田政権のときには女性皇族が当主となる「女性宮家創設」の案が宮内庁から出されて検討されたが、一代限りの条件付の不完全な案では愛子さま迄結びつかず、安倍首相になって女性宮家案は完全につぶされてしまったのである。然し宮内庁長官があれ程に情熱をもって動かれ、又10年間陛下にお仕えした渡邉允前侍従長が女性宮家創設だけでもと訴えておられたことを考えると、陛下のお傍にお仕えする人達は、代が変わっても、上記の陛下の意向を汲んでおられることは確かである。
第1節「ネット右翼からのあからさまなバッシング」  田中先生の近著「愛子さまが天皇陛下ではいけませんか」に対して、同著を読んでいない人達を含む、男系絶対の「ネット右翼」からの罵詈雑言とバッシングは凄まじいまでである。わしの本についても「墜ちたゴーマニズム」等とバッシングの嵐であり、村八分の状態だが、わしの場合、わしの読者がネットで応戦してくれている。然し田中先生の読者は、ネットを使う世代でないので、バッシングされるままになっているのは悔しい限りである。
第2節「リベラル派女性が意図するところ」
 わしは、愛子さまが天皇になられることは、女性の地位が向上してそのシンボルになると思い、わしの主催している「ゴー宣道場」に性差別を廃止しようとするフェミニズム派、リベラル派の女性論客に参加してもらおうと声をかけたが、彼女たちは全員断ってきた。何故ならば、このまま男系のままならば皇位継承の範囲が確実に二分の一になり、だまっていても天皇制は潰れるからである。それどころか、私が男子を産んでやろうと言う女性は現れないだろう(男子を産まない雅子さまへのバッシングを見よ)
 未婚の女性皇族の方が結婚して臣籍降嫁していけば、皇族は最後には悠仁さまただお一人になってしまうのである。又万一このまま今上陛下が崩御されると、現行皇室典範では、愛子さまは皇太子になれず、秋篠宮殿下も悠仁さまもその資格がないので、皇太子が空位の事態となる。まさに天皇制は左翼ではなく、男系論者の保守が倒すことになるのである。尚ネット右翼の中には極左も混じっていると考えざるをえない。
第3節「旧宮家系男系男子の皇族復帰への画策」  そこで保守が代案として出して来たのが、旧宮家系の男系男子を皇族に復帰させる案である。然し親子、親戚、働いている社会との縁をすべて切って、皇族に復帰されようとする方が果たしているのか、そのような方がいるのならばお連れして欲しい。何故ならばそのような方を皇族に復帰させるには、具体的な該当者がいないと、法律は通らないからである。然し安倍政権になってもまだそのような方は出されていない。某明治天皇の玄孫の方は、自ら男系男子と主張されているが、先祖の天皇には600年前まで遡らねばならず、その家系は大正9年の皇室典範改正の準則により確実に一般国民となっている。又明治天皇の玄孫であるが女系である。その他の該当者も一旦一般国民となった以上は、皇室の聖域で育った人でないので俗世にまみれており、どんな一般国民が出て来るか判らない。よって憲法改正よりも女性・女系天皇を認めるための皇室典範の改正が先であると考える所以である。
第三章「天照大御神と女性天皇達」第1節「皇統の始まりは女神の天照大御神」  又そもそも皇室の戸籍の歴史を綴っている「皇統譜」において、血統、世系(せいけい)の第一位は女神の天照大御神であるとされている。神武天皇は、皇統の第一位であるが世系の第六位である。従ってそもそもの皇統の始まりは女性である。男系論者はそれに対して「歴史と神話は違う」と反論するのである。
第2節「天照大御神の神勅と三種の神器は日本の歴史の中に生きている」  その反論に対しては、先に述べたが、そもそも女系論者の田中先生が、神武天皇は歴史上の実在人物であると立証されたのである。さらに、三種の神器は天孫降臨の時に、天壌無窮の神勅とともに、瓊瓊杵尊が天照大神から授けられたもので、神武天皇以降その三種の神器が天皇存在の正統性の証になっており、日本の歴史は神話を抜きにして語れないのである。皇位継承は歴史の中のことであり、神武天皇以来のY染色体のつながりが天皇であるとの男系論者の考えでは、神話は要らないことになってしまう。
第3節「立派にその役割を果たされた女性天皇達」  ましてや女性天皇は中継ぎに過ぎないと軽んじるほど、無知な話はないのである。そもそも初めて「天皇」と号したのは、日本初めての女帝、推古天皇である。彼女は中国の大国、隋の冊封(さくほう)体制に取り込まれず、同格の独立国として「大和の天皇、唐土(もろこし)の皇帝に申す」と小野妹子を派遣したのである。  従って天皇とは何かを子供にわかり易く教えるには「外国の子分だった、日本が天皇という号で自主独立を果たしたのであり、どこの国の属国にもならず自主独立を果たしたのが天皇である」と説明するべきである。  歴史上女系継承も行われている。例えば女帝斉明天皇から息子の天智天皇へ、女帝元明天皇から娘の元正天皇へ(元正天皇の父草壁皇子は天皇になっていない)継承されたのである。応神天皇の五世子孫の継体天皇は、傍系に属し、先代武烈天皇とのあいだの血縁が非常に遠いので、先帝の同母姉である手白香皇女(たしらかのひめみこ)を皇后にすることにより、一種の入り婿という形で正統性を保持したが、これは実質女系継承である。又「日本」という言葉を成文化し、大嘗祭(天皇が即位の礼の後、初めて行う新嘗祭)を初めて行ったのも女帝である持統天皇であった。
「質疑応答」 「質問1」
  安倍首相が靖国神社へ参拝するのをなぜ反対するのか?
「回 答」  靖国神社は英霊(特段秀でた英雄達の霊)を顕彰する場所である。それは心ならずも犠牲者となった人々を追悼する沖縄の平和の礎(いしじ)や、広島の平和記念公園とは違う場所である。従って「いざとなれば国のために私も後を追います」との覚悟で参拝しなければならないのに、あそこで不戦の誓をしてもらってはたまらない。それではなぜ国のために死んだのか、靖国神社の意義が壊されて換骨奪胎されてしまうからである。ただ一般の人は慰霊の意味をこめて参拝してもよいが、完全なる公人である首相には英霊を顕彰してもらわねばならない。
「質問2」
 えせ保守と本当(真)の保守はどう違うか?
「回 答」  (1)安倍首相が女性宮家を創設し、愛子さまに「天皇陛下になっていただくことによって皇統をつなぐ」とはっきり明言するならば、彼を評価する。然し「我々のこの国土や国民が、なんとかかんとか続いていけばよいとする、どうしようもない」日本人の感覚によってならば、意味がない。皇統が絶えたならば、この国は滅びるのである。よって皇統を絶えさせる政治家は「えせ」であり、皇統を絶えさせない政治家が真の保守である。
 (2)西郷隆盛は「このままいったら、藩閥政治のもとで、日本は欧化して白人の物まねばかりして、政府は商売の話ばかりする単なる商業支配所になっていく」と憂え、三島由紀夫は「このままでは、アジアの一角に金もうけのうまい民族が残るだけ」と言い切った。まさに日本は今そのようになって来ているのではないか。大切なことは、今日明日の銭金のことばかり言わず、皇統を絶えさせぬことである。何を保守するのか、それは皇統である。即ち日本のオリジナリティーの最後は皇統である。皇統が途絶え共和制になれば、この国はもう日本ではない。幕末の攘夷の志士達は尊皇攘夷を唱え、吉田松陰も先ず尊皇を唱えた。日本は天地が無窮に続く限り皇孫が「知らす(統治する)」国であるとの「天壌無窮の神勅」を途絶えさせてはならない。
 (3) 本物の尊皇心とは、天皇陛下がどのように考えておられるかを一番に考えねばならないことである。高森明勅(あきのり)氏は天皇陛下と皇族の言葉に秘められた国家と国民への重いメッセージが大切であると喝破されている。天皇陛下のお立場は孤独で何の自由もない。何故ならば固定した慣習を打ち破った場合の言いたい放題の批評に対して(その批判はいつも保守・右翼からなされるが)陛下は何の反論も出来ないからである。天皇陛下には「勿体なくも有難いことに、天皇をやっていただいている」との認識で敬意を表して、そのお言葉を真摯に聞かねばならないのである。記者会見で「このままでは皇位継承の安定継続が難しくなるのでは」との質問に対して、陛下は「皇室の現状は質問の通りであるが、ただこの問題は、国会の論議に委ねるしかない」と仰せられたのであるが、まさに陛下のこのお言葉をよく聞かねばならないのである。
「質問3」
 現政治家で先生の言う真の尊皇政治家、本当の保守政治家は誰か
「回 答」  一番難しい質問である。以前某自民党政治家と対談して、私が女系天皇でなければと論破したが、彼がその旨をネットに公表したところ、男系の人達から総攻撃を受けてあっさり撤回してしまった。情けない政治家だ。わしは集団に頼らず、どんなに一人になっても、天皇陛下だけを見て戦わねばならないと思っている。
文責
公益社団法人國民會館
 追記 この講演の冒頭に、小林よしのり先生著、新ゴーマニズム宣言『戦争論』からの抜粋文を、田中卓先生のご要請により当會館松田理事が朗読し、会場出席者の強い感動を呼びましたので、別添文書にて是非御覧下さい。