自身をとことんまで追いつめろ! 藤岡弘、の不屈の武士道のルーツが明らかに…。
── 下積み時代はとある大女優の家に居候して内弟子のような生活もされていたそうですね。
藤岡:「よくもまぁそんなことをご存知ですね! まぁ、苦労はしていますよ。田舎者で、何にもないし、親の七光りもコネクションもない男でしたからね。なので、その居候時代も少しでも自分のためになればといろんなことをしてましたね、掃除はもちろん、犬小屋の掃除からもうなんでもね……。朝の5時くらいから深夜まで働いてましたね」
── 途中で心が折れて「やめよう」と思ったことは?
藤岡:「それはなかったですね。途中で何度か人間関係に嫌気が差した場面があったことはあったんですけど、考えたことはないですね。ただ、芸能界というのは想像と違ってこんなところだったんだっていう無念さ、まあそのようなことが何度かあって、こんなところにはいたくない、日本での活動はやめて海外にでも行こうかなと考えたことはありました。けど、やっぱりお金がないといけませんし、そんなこと言っても目の前には現実があるわけで。現実はバイトバイトってね(苦笑)」
── どうしようもないときはどのようにモチベーションを維持していたんですか?
藤岡:「普通の人だったら耐えられないことだらけですよ、私の下積み時代は(苦笑)でも、私は武道をやってきましたから、耐えることや我慢することがへっちゃらなんですよ。人から罵られたりぶたれたり非難されたりしても打たれ強いんですよね。だからですね、武道ってのは非常にいいですよ。ちょっとやそっとの逆境なんてたいしたことではなく、いざとなったら覚悟を決めて戦うって感覚も養えます」
── 下積み時代を超えることができた要因は武道?
藤岡:「そこは断言できますね。だってね、ちょっとやそっと殴られようがぶたれようが蹴られようが効かないですよ。痛くないもの。普通の人はダメージを受けても、私は殴られても何しても、ちょっと間合いを外すという訓練を受けているからまったく効いてないんですよ」
── ホセ・メンドーサみたいですね。では、肉体的な攻撃だけでなく、精神的な攻撃にもその間合いを外せる?
藤岡:「むしろ逆に相手のすべてがよく見えてますからね。だからね、とことん耐えられますし我慢ができる。まぁ、でもやられっぱなしだと死んじゃいますから、ある程度で頭にきちゃって、そうなったらやっちゃいますけどね」
── やっちゃいますか(笑)
藤岡:「まぁ昔の話ですけど、高校のときにね、私はスゴく目立っていたものですから愚連隊みたいなのがちょっかい出してきてね、相手の攻撃は全部当たらないんですけど、あまりに止まらないもんですから、たしか5人以上いましたし」
── 5人以上を1発KOですか!
藤岡:「逃げた人もいましたし」
── 役者の下積み時代とかにもそういうことってありました? 例えば先輩俳優からとか?
藤岡:「ありましたね、少しは。私は普段おとなしいからナメられるんでしょうね、しかも田舎者だし、弱そうで。誰も私が武道をやってきてるなんて思わない。だからナメちゃって、ナメきって、私もやられているうちに、私も堪忍袋の緒が切れましてね、自分を守らざるを得ないから(笑)」
── 堪忍袋の緒は長い方なんですよね?
藤岡:「長いですよぉ、ものスゴく我慢強いですよ(ニッコリ)」
── なら、そんな長い堪忍袋の緒を切っちゃった先輩俳優ってエゲつないことを藤岡さんにしてきたんでしょうね。
藤岡:「そんなことはないんですが、集団でいるとそうなるのかな。ひとりだとやらないのに、集団だと。もうそろそろ諦めて許してくれよっていうところで止めないから、仕方ないですよね」
── じゃあ。やっちゃった後はそりゃもう絵に描いたように人間関係的なものが変わっちゃうんでしょうね。
藤岡:「そういうこともありましたね。その瞬間から態度が変わってかわいがってもらえるというね。まぁ、今思うと懐かしい思い出話って感じですね。私はね、そういったしんどいことや辛かったりする場面に遭遇すると、落ち込むんじゃなくて逆にワクワクしちゃうんですよ、修行してる感じがしてね」
── 日常のあらゆる出来事も修行に置き換えてらっしゃったんですね。じゃあちなみに、ホントに修行っぽいこともされてたりしたんですか?
藤岡:「多摩川行って、ランニングして、柔軟やって、そして木刀を何百回も振る。そういった肉体訓練はしてましたけどね。それから武道訓練もして、真冬だったら滝行とか」
── 滝行ですか!
藤岡:「これは厳しいですよ。寒い中で滝に打たれていると、身体の感覚がなくなっちゃうんですよ。寒いとか痛いとかもう全然感じなくなってきて、ひっぱたいても全然体が感じないんですよ(ニッコリ)」
── それって死の一歩手前じゃないですか。
藤岡:「やっぱりDNAがね、私の遺伝子というかね、自分の中でそういうことを経験してみたいってのが止められないんですよ。別にあんまり苦と思わないんですね。むしろ試してみたくなる。挑戦してみたくなる。今でもありますよ、試さなくちゃいけないとか、この歳でどれだけ耐えられるかとかね。私の遺伝子には挑戦していくとか、なんでもこう確認していくという遺伝子が擦り込まれているのかな」
── 当時、周りにそういう方っていらっしゃいました?
藤岡:「意外にそのころは多かったですね。今の時代はみんなごまかして、自分を甘やかすでしょ。他人が見ていなかったら何もしない。そういうことをやることによって自分を試そうというか、自分の可能性、自分の限界、自分がどれだけ耐えられるかという限界まで追い詰める。それが楽しいというかね。どこまでやれるかというね」
── はぁ……。これは耐えられないなって少しでも思ったこととかは?
藤岡:「そんなもの、ほとんどが耐えられないですよ」
── アハハハハ!
藤岡:「そこから一歩踏み込めるかですよ、耐えられないのを耐えようとする気持ち。どんなに痛くても苦しくてもやり通す精神力ですね。藤岡弘、探検シリーズの頃はね、昔の古傷が急に悪化してもう腰の痛みが酷くて、錐を刺してグルグルとねじったような、毎日ずっと24時間、錐で刺したような痛みの中でも我慢して耐えました。痛いとか言ったことなんてないです、自分の中で全部消化して。まあそういうことは武道的に、自分としては当たり前だと思ってやってますね」
── 凄まじいまでの精神力ですね。そんな下積み時代を経て、藤岡弘、の歴史の重要部分「仮面ライダー」の主役というチャンスが回ってくるんですか?
藤岡:「そうですね。当時の松竹っていうのは女優王国でしてね、男優のハードなアクションというのは少なかったんですね。でも、私はどうしても男として身体をとことん酷使して動けるようなアクションをやってみたいなと思っていたところに、仮面ライダーのオーディションがあって『あ、これはやってみたいな!』と思って挑戦してみたんですよ」
── で、見事主役の座を勝ち取られるわけですけど、大変だったと聞いています。
藤岡:「大変でしたねぇ(苦笑)」
── 当時は五社協定(各社専属の監督、俳優の引き抜きを禁止する協定)があった時代で、藤岡さんは松竹で、仮面ライダーは東映ですよね。
藤岡:「これはねぇ、当時はマスコミを賑わせて大変な大騒動になったことがありました。あんまり言いたくないんだけどねぇ(苦笑)」
「前代未聞の掟破り、業界から抹殺勧告、まさかの再起不能、サムライの明日はどっちだ!?」ヘ続く
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