所沢にある「ぎょうざの満州」
ここの餃子、個性的です。
表現するなら「コロッコロ」としている餃子です。
歯ごたえ十分の餃子、「3割うまい」というのも納得です。

さて、所沢の飛ぶ飛行機、零戦を見たあと、

P5221299









ここへ。

やっと寄ることが出来ました。

P5221300









靖国神社。

今までに行ったお寺や神社の厳かな空気とはまた違う、雰囲気というか空気というか、現地に行ってみるとお分かりいただけると思います。

P5221303









そこにある遊就館。

中に入ると

P5221311









泰緬鉄道で働いていたSL。

と、

P5221313











零戦52型、三菱製。

所沢の里帰り零戦は中島製(今のスバルです)
外見の見分け方は、緑色の塗り分け方だそうです。
三菱は、主翼から尾翼にかけての塗り分けは直線。
中島は、その直線が尾翼へかけてカーブを描いています。

P5221310










何か銘板があるのですが・・・。
分かりませんね。


P5221312









零戦最大の武器20ミリ機関砲のベルト給弾は本家でも不可能と言われていたものを、当時の日本が実用化したそうです。

強い工業力を持って、完成した強力で頑丈な機体に似合うエンジンを作ることが出来るアメリカ。日本は手持ちの中で、世界最高水準の飛行機を作るためにアイデアを出して開発した零戦。
その結果、防御力がほとんど無いに等しくなったのも事実です。

P5221272









優秀なパイロットの載った零戦と格闘戦をするというのは愚かなこと。と現代のパイロットがテレビ番組(アメリカ制作番組)で語っていました。
格闘戦を重視した日本。かたや格闘戦では相手にならないのなら、一撃離脱という戦法を採ったアメリカ。
武士道の国とガンマンの国の発想の違いでしょうか。

P5221307








優秀なパイロットと共に格闘戦に持ち込み、間合いに入れてしまえば敵なしの零戦。
そう考えると、零戦は侍の心を持った飛行機。
それともパイロット達が侍であるなら、侍が持つ日本刀のような飛行機。

日本の心を持った飛行機だから、今でも惹かれるのかも知れませんね。

P5221304








劣勢になってくると、緑の色が濃くなっていき、日の丸は小さくなっていったといいます。

開戦から終戦までを戦い抜いた零戦。
あまりにも零戦に頼りすぎたために後継機開発が遅れたという話を読んだことがありますが、前例のないものや実績のないものは使いたがらないというお役所的な考えは、今の時代も同じだと思いますね。