2代目☆体調☆わる子として、一昨日から超絶体調が悪く、友人との約束もリスケしてもらい、家から一歩も出られず、薬も効かないものだから、LINEやインターネットで気を紛らわせていたのですが。何やら自分が望んでも手に入らない環境の方々が悩んでいるブログ記事ばかり目に入ってきてしまって、もやもやもやもやしてしまいました。結局のところ、それは「私の方がしんどいんだから甘えるな」という自己中心的で冷酷で無神経な感情です。(わざわざ書くのもどうかと思ったけれど、お許しを…)
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社会人若手の頃に「体調不良で周りに心配をかけるな」と教育を受けた。「“迷惑”をかけるな」よりも「“心配”をかけるな」。具合が悪いのに無理して出社し、パフォーマンスを発揮出来ない上、周りに気を遣わせるのなら早めに休め、という意味(生理休暇にも全額給与支給される会社でした)。
ただ、出社すべきか休むべきかのラインがいまいちつかめなくて、出社したものの「あ、やっぱりこれ、病院に行った方が良い…」と思った時に、上司にどう相談すれば良いのかが難しかった。あまりにも死にそうな顔だと心配をかけちゃうし、かと言ってやせ我慢スマイルもおかしいし…こんなことを考えている時点でまだ大丈夫なのか!?などなど(今思えば、考え過ぎ)。本当に、「まず保健室で休んでから帰りなさい」「家まで送ろうか?」と心配してもらえる環境だったのです。
転職し、ここ数年は「38℃の熱があるけど出社してきたぜ!」という社員が評価されるような環境になった。ブログ上では面の皮が厚い私ですが、実際は不健康そうな顔をしているので、体調を心配されないよう、表情が明るく見えるような髪色、メイク、服装を心掛けてきた(もちろん、本当にしんどい時は休んでいましたが)。それが社会人としてのマナーだと思っていたのです。
で、ここ数日、特に思ったこと。
会社では、周りに心配をかけない人が評価されるけれど、プライベートでは、しんどい!つらい!!助けて!!!と素直に言えないと、「一人でも生きていける人」という認識になってしまう。プライドが高いから人に頼りたくない、というよりも、会社での価値観とうまく切り替えが出来ない。
私よりずっと長時間働いているのに常に笑顔で、月経がらみの波も見せず、仕事を頑張ってきた女性が、男性や若い女性、既婚者から「売れ残り」扱いされているのを見てきた。そして私も30歳になり、その仲間入りをした。
自己弁護になってしまう前に気付けたら良かったのだけれど、「いい歳して結婚していないのは、何かしら問題があるに違いない」と言われるのは、対人スキルが低いとか、異性を惹きつける魅力に欠けるとか、いわゆる「欠陥がある」のではなくて、うまく人に頼れない、一人でも何とか出来ちゃう、誰かと一緒にいないと生きていけないほどの経済的事情や強烈な寂しさが無いだけなんじゃないかと思う。かと言って、「既婚者こそ、何かしら問題がある人たちだ」という極論ではないです。
私がその「いい歳して結婚していない女性」のストレスのはけ口にされたこともあったけれど、自分もそういう目で見られる立場になり、そのしんどさが痛いほど分かるようになって、ああ彼女たちを恨むのはお門違いだなあと思った。
このまま意識を失うんじゃないかってくらい苦しいのに「ポンポンペインだからリスケしてちょんまげ><」なんてLINEしちゃう私が悪いのは分かっているのだけれど、「つらいよ、しんどいよ、寂しいよ、助けに来て」と電話でわんわん泣けちゃうような、“守りたい女の子”には、もうなれないだろう。もし、意を決してそれをしたところで、「お前なら大丈夫だろう?(これまでもやってきたのだから)」と返される可能性があるのだから。それは違う、あなたが根拠とする“私の実力”は、家族や友人やかつての恋人、上司や同僚に支えられてこそのもので、今の私には無理なんだよ、って反論したいのをぐっと堪える。私にとっては、わんわん泣ける女の子の方がずっと強く逞しく見えるのだけれど…。
とりあえず確実に言えることとしては、こういう面倒な性格の人間に、“あえて深入りしたくなるほどの”女性的魅力は私に無い、ということでしょうか。
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話はそれるけれど、2年ほど前、今よりずっとつらくてしんどくて、ああ消えたい死にたいとばかり考えていて、それこそ食事も喉を通らなかった頃、同い年の女の子に「自分より不幸な人を見つけて、“この人よりはマシだ”って考えると楽になるよ?」とアドバイスされ、頭をハンマーで打たれたような衝撃を受けた。上ばかり見て苦しんでいた私への適切なアドバイスだったと思うけれど、それ以来、きっと私も誰かから“この人よりはマシだ”と思われているかもしれないという猜疑心が芽生えた。
そして、いまだにああいう考え方が出来ない。上ばかり見てしまう。自分より成果を出している人であったり、かつて恵まれた環境を当然のように享受していた頃の自分であったり。これって、高みを目指しているようでいて、「なぜあの人は幸せそうなのだ、私の方が頑張っているのに」という醜い感情を孕んでいる。あの子のような考え方をした方が、ずっと生きるのが楽で幸せなのだろうと思うのだけれど、なぜだか抵抗があって苦しいのだ。