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■対馬丸撃沈70年〈3〉

 砲弾が無数に降ったふるさとは、地形がかわるほど荒廃していた。対馬丸事件で生き残った引率教師の糸数裕子さん(89)は、疎開先の九州から1946年10月、沖縄に引き揚げた。

 「父がいる首里の家に向かいました。家といってもテントのようなものです。あたりで残っているのは教会の残骸だけ。かろうじて実家のある場所だとわかりました」

 艦砲射撃や空襲の激しさから、「鉄の暴風」とも例えられた地上戦から1年数カ月。2年ぶりのふるさとにあったのは、焼け野原と父の苦悩の表情だった。

 「おじやおばが寝入ったあと、父にちょっと外に出ようかと言われて。路地に立つと、父は言いました。ここの家は7人亡くなったんだよ。この家は若い人がいなくなってお年寄り夫婦だけが残った。この家も大家族だったけど……。

 あなたたちもたいへんだったけどね、沖縄の戦いはひどかった。生き残ったという話は言ってはいけない。人前で言うな」