文ちゃんのひとりごと 2014.03

土曜日, 3月 1st, 2014

うらがみ忠文と富士山
皆さんは、「富士山が嫌いや」「富士山だけは、ちょっとなあ」という方に出会ったことがありますか。

きっと、そんなことはないと思います。

私が初めて富士山を見たのは、今から60年前の春、父の転勤で兵庫県の西宮から東京に行く時のことでした。

お昼に大阪を出る「特急はと号」が、浜松を過ぎたあたりだったでしょうか。春の夕日を受けて、遠くに金色に光る雪の富士山でした。

隣に座っていた5歳年上の兄さんに「あっ、富士山!」と発した声は、いまだに耳に残っています。

忘れることが出来ません。

その富士山の姿や、興奮している6年生の兄と、1年生の私。思い出すたびに、少し涙ぐんでしまいます。

東京では、世田谷区の下北沢というところに住んでいたのですが、2階の物干しから、富士山のてっぺんが見えました。

郷里の岡山から遊びに来た祖母は、滞在中、毎朝、物干しに出ては、富士山を拝んでいました。

世田谷区の野原に出ると、冬などは丹沢や箱根連山の向こうに、はっきり大きく見えました。野原で凧をあげながら、心で富士山を拝んでいました。

間近に見たのは、昭和31年の夏。4年生の山中湖での林間学校でした。

朝に、昼に、夕に姿を変える富士山をたっぷり、胸に収めました。

どっしりとして、孤高で、誰からも親しまれ、好かれ、元気づけ、初めて見ても初めて見た気がしない富士山!そういう男になりたいものです。

1月に、静岡県富士市に地産地消の給食活動の視察に行きました。

写真は、その時のものです。ゆっくりゆっくり眺めました。万歳をしてみました!

 

【そこで、今月のひとりごと】

今からでも遅くない!富士山をお手本に生きて行こう、と決意。


神戸市会議員 浦上忠文
E-mail: tadafumi@uragami.jp
http://www.uragami.jp/

「勇気が生まれる 心のわすれもの」
神戸から世界に伝えたい、”61”の超短編小説!