【陜川聯合ニュース】広島への原爆投下から69年を迎え、韓国南部・慶尚南道陜川郡にある原爆被爆者養護施設「陜川原爆被害者福祉会館」で6日に犠牲者の追悼祭が営まれた。
出席した被爆者やその家族らは、これ以上遅くなる前に、原爆の被害による惨状と苦しみを全ての国民に伝えたいと口をそろえた。
1945年8月6日に広島で原爆の被害に遭ったキム・ドシクさん(80)は「ものすごいごう音と目を開けていられないほどすさまじい光が過ぎ去った後、街はやけどを負った死体や血まみれの死体であふれていた」と振り返った。
同じく原爆の被害を受けた韓国原爆被害者協会のシム・ジンテ陜川支部長は「原爆の被害を直接受けた人々は帰国後も被爆による遺伝的な問題から結婚さえできないまま暮らし、この世を去っている」と証言した。
原爆の犠牲になった7万人余りの朝鮮人のうち、約4万人は死亡した。生き残った人々は命からがら帰国したか、あるいは日本に残ったが、今では大半が死亡し、約2660人(韓国原爆被害者協会の登録者基準)しか生存していない。
被爆者やその家族、支援者らは、犠牲者の苦しみは70年近くたった今も続いているが、韓国の政府や国民はその実情を知らず、無関心だと異口同音に指摘。その上で、韓国政府は歴史の教科書に原爆被害について記述するとともに、被爆者対象の疫学調査や実態調査を行い、支援策を講じるべきだと訴えた。
特に、先の第17代、18代国会で発議された後に廃案となり、今国会に再び上程されたものの1年にわたり放置されている「原爆被害者と子女のための特別法」を早期に制定すべきだと強調した。追悼祭には地元自治体や民間団体の代表が出席したが、国会議員や政府関係者は一人も姿を見せなかった。
特別法の制定を推進する支援者らは、被爆者と子孫に対する日本政府の賠償を得るため、韓国政府と国会に働きかけを促す声明を発表した。