鎖鎌術
- 2014/05/29
- 15:09
昨夜放送されました、「水曜日のダウンタウン」という番組内で、最弱武器決定戦、最弱武器は『鎖鎌』に決定しました。
もちろん番組内での話で、あのようなレギュレーションでは鎖鎌は不利なのは当然であり、一種の出来レースのようなものです。
あのような条件で武具の強弱が決められるわけもなく、そもそも状況に応じて使い分ける武具の強弱を、特定状況下、条件下のみで確定するなどあまりに浅はかな考えです。
「ルールによる有利不利、個人の伎倆などで勝負の優劣は大きく左右される」というのは、修業者にとって常識でありましても、一般の視聴者の方の中には、そういった当たり目が通用せず、バラエティ番組とはいえ、その内容を鵜呑みにしてしまう方もいらっしゃるかもしれません。
twitterなどでも早速鎖鎌は弱いとそのまま受け取った方もいらっしゃったようです。
勇名な武術家の中にも、鎖鎌は非実戦的であると公言してはばからない方がいらっしゃいます。

強弱、実戦的であるか否かなど、ここで論じても仕方のない事です。
しかし確かに鎖鎌という武具は、非常に魅力的でありながら、同時に様々な疑問も生じる存在です。
ここでは天心流兵法における鎖鎌術について簡単に紹介致します。
天心流における鎖鎌術は外物として存在致します。
そして同じく外物である長物(槍、薙刀)と同様に、大小二本を帯びたまま行う事が大前提となります。
あくまでも武士としての鎖鎌ですので大小は帯刀しているのです。
ですから、いざとなれば鎌を捨て、大刀を抜刀して応じる事になります。
天心流は上士の剣と称する流儀ですが、ではなぜ武士が鎖鎌を用いるのでしょうか?
そもそも武芸十八般には鎖鎌術を含む場合もありますように、武士が鎖鎌術を学ぶ事自体、それほどおかしな事ではなかったのかもしれませんが、そうは申しましても、武士が町中で鎖鎌を持ち歩く事もないでしょう。
一般に草刈り鎌に鎖分銅を取付けたその姿から、帯刀を許されざる身分が用いた武具であるとも説明されます。
天心流においては旅の中での事として教わります。
峠や山を越える際に、小さな鎌を懐中に入れて行くのです。
往時の武士は私闘を禁じられておりました。
武士にとっての刀は、本来は主君の為に振るうのもであり、ひいては乱を治め、民を守るための神器だったのです。
今で言えば警察官の拳銃のようなもので、安易に抜けば切腹という事もあった時代です。
(そうは申しましても、建前上の事で、カッとなって刃傷沙汰というのも頻発したのが江戸時代でもありましたが)
山賊、盗賊の類が来た際、御役目での旅路であれば、降りかかる火の粉は払うのも公闘と呼べるかもしれませんが、本来の御役目そのものではない上に、相手は士分ではないため、出来うるならば刀を抜かずに場を納めたいのです。
言わば刀を抜くまでもない相手(=武士ではない)という考え方です。
話し合い、説得が通じれば良いのですが、そのような聞き分けの良い相手ばかりでしたら苦労しません。
相手が一人とは限りませんし、無刀というのでは流石に不利になるでしょう。
そんな場合に、懐中の鎌にて応じるのです。
これは先日の川越大演武会にて実質初公開致しました鎖鎌術の演武です。
ここで使用しているのは懐中に入れるには適さない、やや大きめの鎌になります。
こういったものは荷に紛れさせ、警戒する際に後ろの腰などに指して歩きます。
テレビの試合では安易に飛び込まれてしまっておりましたが、現実の分銅は当たれば骨を砕き、頭部に当たれば陥没する程の威力があります。
動画は稽古向けの軽い分銅でクッションがついているため、比較的安全ですが、これに相対する場合、常に本物の分銅と思わなければなりません。
命のやりとりを模倣するのが稽古であり、文字通り真剣に行わなければ、誤った感覚を養う事になるのです。
当てっこのような感覚で稽古すると、実戦の場では使えません。
とは申しましても、現代に実戦の場はありませんが。
だからといって、安全な武具防具を開発して試合を目的にしてしまえば、これは完全な形骸化への道を歩む事になり、失伝と同義になってしまいます。
もちろんスポーツチャンバラなど競技スポーツが悪いという事ではありません。
ただ天心流はそう考えてこれを避けてきたという話です。
間合が詰まった際の用法もあり、これも十分に稽古しなければなりませんが、いざとなったら鎌を投げつけるか捨てるかし、即座に抜刀して迎撃致します。
■ まさかの怖さ
戦闘において、一番恐ろしいのは「まさか」です。
特殊武器というのは、その用法が余人には気取られにくいというのが最大の武器になります。
ですから、各流用法を工夫し、外部には虚実入り混じらせて漏れさせるのです。
NASAやらCIAやら陰謀論を彷彿させますが、情報というのは今も昔も大きな武器です。
これまで中村天心先生が鎖鎌術を披露する場合、分銅にて物体を割るというようなもので、用法については一切触れませんでした。
しかし現代はもはやひたすらに隠し、虚構にて煙に巻く時代ではありません。
「お前は秘密兵器だ」と言われ、三年間補欠のまま、秘密のまま終わってしまう野球部員のようなもので、隠し続けてそのまま誰にも了知されず、学ぶ者、伝える者がいなければ失伝するだけです。
川越の大演武会にて鎖鎌術を用法含めまして初披露したのは、そういった意図があっての事です。
これまでも演武にて種々の秘太刀を開示してまいりました。
総てを開示する事は出来ませんが、識って頂くためには一定の開示は必要だと考えております。
さて話が反れましたが、鎖鎌を学ぶというのは、そういった変則武器の利点と弱点を身を持って識る事になります。
吾が使わないから、相手も使わない。
そんな都合の良い理屈は命のやり取りの世界では通用しません。
鎖鎌のみの流儀ではありませんから、そこまで深い技法とは呼べないかもしれません。
立合抜刀術、坐法小刀抜刀術、置刀、胡坐抜刀術、坐睡剣、枕刀、剣術、二刀、素槍、十文字槍術、薙刀術、鎖鎌術、手鎖術、柔術、鉄扇、兜割、手裏剣に代表される投げ物、吹き針、手楯、縄…etc。
浅く広くあらゆる場面に対応するのが総合武術です。
それは識らないから待ったが通用しない世界です。
もちろん修業者の総てがこれら総てを修めるというものではなく、それは相伝者の、記憶装置としての役割なのですが、実戦としては使い道のない骨董品とて、命のやり取りを行うもの矜持は御座います。
■ かっこいい
まあそういった話はさておき、ともかく鎖鎌はカッコ良いものです。
カッコイイというのはそれだけで鎖鎌術を学ぶには十分とも言えるかもしれません。
ただ天心流では鎖鎌術のみを教えるという事はしておりません。
長物でも書きましたが、抜刀術、剣術を中心に、長物などの外物も含めて総てを含めて一つの流儀として設計されたものであり、一部分のみつまみ食いは出来ません。
もちろん番組内での話で、あのようなレギュレーションでは鎖鎌は不利なのは当然であり、一種の出来レースのようなものです。
あのような条件で武具の強弱が決められるわけもなく、そもそも状況に応じて使い分ける武具の強弱を、特定状況下、条件下のみで確定するなどあまりに浅はかな考えです。
「ルールによる有利不利、個人の伎倆などで勝負の優劣は大きく左右される」というのは、修業者にとって常識でありましても、一般の視聴者の方の中には、そういった当たり目が通用せず、バラエティ番組とはいえ、その内容を鵜呑みにしてしまう方もいらっしゃるかもしれません。
twitterなどでも早速鎖鎌は弱いとそのまま受け取った方もいらっしゃったようです。
勇名な武術家の中にも、鎖鎌は非実戦的であると公言してはばからない方がいらっしゃいます。
強弱、実戦的であるか否かなど、ここで論じても仕方のない事です。
しかし確かに鎖鎌という武具は、非常に魅力的でありながら、同時に様々な疑問も生じる存在です。
ここでは天心流兵法における鎖鎌術について簡単に紹介致します。
天心流における鎖鎌術は外物として存在致します。
そして同じく外物である長物(槍、薙刀)と同様に、大小二本を帯びたまま行う事が大前提となります。
あくまでも武士としての鎖鎌ですので大小は帯刀しているのです。
ですから、いざとなれば鎌を捨て、大刀を抜刀して応じる事になります。
天心流は上士の剣と称する流儀ですが、ではなぜ武士が鎖鎌を用いるのでしょうか?
そもそも武芸十八般には鎖鎌術を含む場合もありますように、武士が鎖鎌術を学ぶ事自体、それほどおかしな事ではなかったのかもしれませんが、そうは申しましても、武士が町中で鎖鎌を持ち歩く事もないでしょう。
一般に草刈り鎌に鎖分銅を取付けたその姿から、帯刀を許されざる身分が用いた武具であるとも説明されます。
天心流においては旅の中での事として教わります。
峠や山を越える際に、小さな鎌を懐中に入れて行くのです。
往時の武士は私闘を禁じられておりました。
武士にとっての刀は、本来は主君の為に振るうのもであり、ひいては乱を治め、民を守るための神器だったのです。
今で言えば警察官の拳銃のようなもので、安易に抜けば切腹という事もあった時代です。
(そうは申しましても、建前上の事で、カッとなって刃傷沙汰というのも頻発したのが江戸時代でもありましたが)
山賊、盗賊の類が来た際、御役目での旅路であれば、降りかかる火の粉は払うのも公闘と呼べるかもしれませんが、本来の御役目そのものではない上に、相手は士分ではないため、出来うるならば刀を抜かずに場を納めたいのです。
言わば刀を抜くまでもない相手(=武士ではない)という考え方です。
話し合い、説得が通じれば良いのですが、そのような聞き分けの良い相手ばかりでしたら苦労しません。
相手が一人とは限りませんし、無刀というのでは流石に不利になるでしょう。
そんな場合に、懐中の鎌にて応じるのです。
これは先日の川越大演武会にて実質初公開致しました鎖鎌術の演武です。
ここで使用しているのは懐中に入れるには適さない、やや大きめの鎌になります。
こういったものは荷に紛れさせ、警戒する際に後ろの腰などに指して歩きます。
テレビの試合では安易に飛び込まれてしまっておりましたが、現実の分銅は当たれば骨を砕き、頭部に当たれば陥没する程の威力があります。
動画は稽古向けの軽い分銅でクッションがついているため、比較的安全ですが、これに相対する場合、常に本物の分銅と思わなければなりません。
命のやりとりを模倣するのが稽古であり、文字通り真剣に行わなければ、誤った感覚を養う事になるのです。
当てっこのような感覚で稽古すると、実戦の場では使えません。
とは申しましても、現代に実戦の場はありませんが。
だからといって、安全な武具防具を開発して試合を目的にしてしまえば、これは完全な形骸化への道を歩む事になり、失伝と同義になってしまいます。
もちろんスポーツチャンバラなど競技スポーツが悪いという事ではありません。
ただ天心流はそう考えてこれを避けてきたという話です。
間合が詰まった際の用法もあり、これも十分に稽古しなければなりませんが、いざとなったら鎌を投げつけるか捨てるかし、即座に抜刀して迎撃致します。
■ まさかの怖さ
戦闘において、一番恐ろしいのは「まさか」です。
特殊武器というのは、その用法が余人には気取られにくいというのが最大の武器になります。
ですから、各流用法を工夫し、外部には虚実入り混じらせて漏れさせるのです。
NASAやらCIAやら陰謀論を彷彿させますが、情報というのは今も昔も大きな武器です。
これまで中村天心先生が鎖鎌術を披露する場合、分銅にて物体を割るというようなもので、用法については一切触れませんでした。
しかし現代はもはやひたすらに隠し、虚構にて煙に巻く時代ではありません。
「お前は秘密兵器だ」と言われ、三年間補欠のまま、秘密のまま終わってしまう野球部員のようなもので、隠し続けてそのまま誰にも了知されず、学ぶ者、伝える者がいなければ失伝するだけです。
川越の大演武会にて鎖鎌術を用法含めまして初披露したのは、そういった意図があっての事です。
これまでも演武にて種々の秘太刀を開示してまいりました。
総てを開示する事は出来ませんが、識って頂くためには一定の開示は必要だと考えております。
さて話が反れましたが、鎖鎌を学ぶというのは、そういった変則武器の利点と弱点を身を持って識る事になります。
吾が使わないから、相手も使わない。
そんな都合の良い理屈は命のやり取りの世界では通用しません。
鎖鎌のみの流儀ではありませんから、そこまで深い技法とは呼べないかもしれません。
立合抜刀術、坐法小刀抜刀術、置刀、胡坐抜刀術、坐睡剣、枕刀、剣術、二刀、素槍、十文字槍術、薙刀術、鎖鎌術、手鎖術、柔術、鉄扇、兜割、手裏剣に代表される投げ物、吹き針、手楯、縄…etc。
浅く広くあらゆる場面に対応するのが総合武術です。
それは識らないから待ったが通用しない世界です。
もちろん修業者の総てがこれら総てを修めるというものではなく、それは相伝者の、記憶装置としての役割なのですが、実戦としては使い道のない骨董品とて、命のやり取りを行うもの矜持は御座います。
■ かっこいい
まあそういった話はさておき、ともかく鎖鎌はカッコ良いものです。
カッコイイというのはそれだけで鎖鎌術を学ぶには十分とも言えるかもしれません。
ただ天心流では鎖鎌術のみを教えるという事はしておりません。
長物でも書きましたが、抜刀術、剣術を中心に、長物などの外物も含めて総てを含めて一つの流儀として設計されたものであり、一部分のみつまみ食いは出来ません。