[PR]

■対馬丸撃沈70年〈1〉

 前髪を切りそろえたおかっぱの少女が、白黒写真の中で笑っている。丸刈りの少年は、じっとこちらを見つめている。

 8月半ば、那覇市の対馬丸記念館。壁一面にかかる290枚の遺影の前で、糸数裕子さん(89)は傘を杖がわりに立っていた。

 70年前の初めての教え子をさがしだすと、懐かしそうに言った。

 〈この子はよく覚えていますよ。一人っ子だったね。とっても活発な子でした。

 この子は級長でね。統率力があった。家もわかるけどね……。〉

 そこまで話すと、糸数さんの顔がこわばったように見えた。

 〈でも、怖くて、行ったことがないです。

 罪の意識というのがね。自分だけが生き残ってしまったということが、ずっと心の中にありますから。〉

 1944年8月22日、沖縄から九州へと向かう疎開学童ら1788人を乗せた対馬丸は、米軍の魚雷攻撃によって東シナ海に沈んだ。船員や兵士の生存率は6割強。学童は1割に満たない。780人以上の子どもたちが亡くなった。

 糸数さんは当時19歳。新人の引率教師だった。引率者は少なくとも30人いたが、生き残ったことがわかっているのは5人だけだ。

 70年前、あの海で何があったのか。教え子の家に行くのが「怖い」ほどの罪の意識とは――。首里城に近い自宅を訪ねた。

■暗い海 沈む子の声、風のように