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 広島市の土砂災害で、21日に新たに40人を超える行方不明者が判明した。最も甚大な被害を受けた安佐南区八木3丁目では、行方不明になった家族を案じる人たちが無事を祈った。

 広島市の21日午後7時時点のまとめでは、八木3丁目の死者は22人、行方不明者は33人にのぼる。

 その中で「32番地」は最も山際にある。20軒近くあった民家やアパートのほとんどが大量の土砂に流された。発生当日の20日は消防隊員らが二次災害を警戒して捜索に入れず、21日になって捜索をはじめた。

 午前8時過ぎ、流木に座っていた広島県三次市の湯浅吉彦さん(61)が、自衛隊員や警察官の捜索作業をじっと見守っていた。

 昨年10月に結婚したばかりの長男の康弘さん(29)が、妻みなみさん(28)と暮らしていた「ルナハイツ」は2階建てのアパートだった。康弘さんは整体師。先月29日、転勤で東京から引っ越してきたばかり。妻のおなかの中には新しい命が宿っていた。その日、湯浅さんが訪れたアパートは新築で、周囲の緑の多さが印象深かった。

 しかし今、一帯は土砂に埋まり、32番地のほとんどの家がなくなった。アパートも流されて跡形もなく、建物があった場所には巨大な岩が転がっていた。2人を含めて男女8人が行方不明となっている。

 地元の消防団員を務める湯浅さんは「こんな現場は初めて」と驚く。「なんでこんなことになったのか。信じられない。何とか見つかってほしい」。声を絞り出し、無事を祈った。

 「32番地」に8年前から住む無職の男性(70)は20日未明、「バリバリバリ」「ドンドン」という音を聞いた。まもなく自宅1階に土砂が押し寄せ、妻と、助けを求めてきた近所の女性と一緒に、壁が壊れた家の中で救助を待った。

 朝、泥だらけで救助に来た消防隊員から「ヘリで搬送します」と言われ、屋根にのぼってまわりを見ると周辺の家がなくなっていた。男性はいま、親類の家に避難している。「親しい人がまだ発見されていない」と心配そうに話した。

 広島市安佐北区可部に住む50代の男性は、20日午前3時半、八木3丁目の県営住宅で暮らす娘から助けを求める電話を受けた。すぐに「土石流」の文字が頭をよぎった。

 山登りが好きな男性は昨夏、県営住宅から谷沿いに山を登った。急な坂を50メートルほど進むと、大小様々な花崗岩(かこうがん)や流紋岩が堆積(たいせき)していた。雨が大量に降ると、岩が水と一緒に落ちてくるのではと不安に思っていた。

 娘の部屋は寝室に土砂が流れ込んできたが、間一髪でけがはまぬがれた。この区画の状況を見て、「今回の豪雨はあまりにも予想外だった」と肩を落とした。(二宮俊彦、日比真、国米あなんだ)

■避難した集会所に土石流、女性死亡

 安全なはずの「避難所」が、今回の土砂災害では命を落とす現場にもなった。

 広島市安佐北区可部町の男性は20日午前3時ごろ、裏山から滝のように水が流れているのに気づいた。母親(86)と一緒に、近くの集会所まで避難した。「泥で汚れるといけない」。雨にぬれたまま中に入るのをためらう母親が、外の階段辺りに腰掛けていたとき、「ドーン」と大きな音が鳴り響いた。

 周囲は真っ暗で何も見えなかった。直後に土石流が襲ってきた。土砂に足を絡め取られ、仰向けのまま引きずられた。背中や腕、足など全身に擦り傷を負った。自力ではい出したが、母親の姿はもうなかった。12時間以上たった20日午後5時半ごろ、集会所近くで遺体で見つかった。

 広島市によると、集会所は、災害の種類や規模、地理条件などに応じて開設される短期避難型避難場所の一つ。「高潮」「洪水」には対応しているが、「土砂」は対象外とされていた。今回の土砂災害では建物ごと流された。

 男性は「車で逃げることも考えたが、そんな余裕はなかった」と振り返る。

 地元の自治会長の男性(53)は「これまでこんなに大きな災害はなく、集会所は安全だと思っていた」と肩を落とした。(藤田遼)