・「へーえ。『ドラえもん』って、そんなに泣けるの?」
と、ぼくが訊いたら、観てきたともだちは、
「『ライフ・イズ・ビューティフル』以来でしたね」
と、自然に答えてくれた。
『ライフ・イズ・ビューティフル』に比べられるのは、
相当にすごいものだと、ぼくは思った。
あの映画のことは、思いだして話してるだけで、
なんだか泣きたくなってくるものなぁ。
「やっぱり、『ライフ・イズ・ビューティフル』が
いちばん泣きましたか?」と、逆に訊かれて、
「いちばんというと『シンドラーのリスト』だけど、
『ライフ・イズ・ビューティフル』は家で観たから、
ひとりで自由に泣けたので、泣いた感じは記憶にない」
そんなふうに答えたのだった。
『ライフ・イズ・ビューティフル』の主人公は、
笑顔を見せてくれるから、こっちが泣けるのだった。
彼が笑えば笑うほど、ぼくらは泣けてくるのだ。
「もらい泣き」というかたちで、
「泣き」が「泣き」を誘うこともよくあるけれど、
あんなふうに「笑い」が涙を誘うのは、めずらしかった。
そういえば、『自転車泥棒』もイタリア映画だった。
これも、見終わってもまだ横隔膜がひくひくしていた。
もしかしたら、この映画は、若いうちよりも、
じぶんが父親になってから観ると、もっと泣けると思う。
一時、レンタルビデオの店に行っては、
「泣ける映画」を借りまくっていたことがあった。
そういうとき、先日亡くなった
ロビン・ウィリアムズの出る映画は当たりが多かった。
そのなかでも、『いまを生きる』は泣けたなぁ。
泣ける映画が、いい映画とイコールだとは思わない。
「劣情を刺激する」という言い方があるけれど、
ずいぶんと卑怯なやり方で、泣かせることはできる。
ただ、それはそれで、人間の「娯楽」として、
笑いや、謎解きのように、あってもおかしくないものだ。
「いい映画」であるより、「映画」であればいいのだ。
今日も、「ほぼ日」に来てくれてありがとうございます。
『アポロ13』も『がんばれベアーズ』も、泣いたっけなぁ。
と、ぼくが訊いたら、観てきたともだちは、
「『ライフ・イズ・ビューティフル』以来でしたね」
と、自然に答えてくれた。
『ライフ・イズ・ビューティフル』に比べられるのは、
相当にすごいものだと、ぼくは思った。
あの映画のことは、思いだして話してるだけで、
なんだか泣きたくなってくるものなぁ。
「やっぱり、『ライフ・イズ・ビューティフル』が
いちばん泣きましたか?」と、逆に訊かれて、
「いちばんというと『シンドラーのリスト』だけど、
『ライフ・イズ・ビューティフル』は家で観たから、
ひとりで自由に泣けたので、泣いた感じは記憶にない」
そんなふうに答えたのだった。
『ライフ・イズ・ビューティフル』の主人公は、
笑顔を見せてくれるから、こっちが泣けるのだった。
彼が笑えば笑うほど、ぼくらは泣けてくるのだ。
「もらい泣き」というかたちで、
「泣き」が「泣き」を誘うこともよくあるけれど、
あんなふうに「笑い」が涙を誘うのは、めずらしかった。
そういえば、『自転車泥棒』もイタリア映画だった。
これも、見終わってもまだ横隔膜がひくひくしていた。
もしかしたら、この映画は、若いうちよりも、
じぶんが父親になってから観ると、もっと泣けると思う。
一時、レンタルビデオの店に行っては、
「泣ける映画」を借りまくっていたことがあった。
そういうとき、先日亡くなった
ロビン・ウィリアムズの出る映画は当たりが多かった。
そのなかでも、『いまを生きる』は泣けたなぁ。
泣ける映画が、いい映画とイコールだとは思わない。
「劣情を刺激する」という言い方があるけれど、
ずいぶんと卑怯なやり方で、泣かせることはできる。
ただ、それはそれで、人間の「娯楽」として、
笑いや、謎解きのように、あってもおかしくないものだ。
「いい映画」であるより、「映画」であればいいのだ。
今日も、「ほぼ日」に来てくれてありがとうございます。
『アポロ13』も『がんばれベアーズ』も、泣いたっけなぁ。
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