08月20日の「今日のダーリン」
・西武ライオンズの新人で、いま売り出し中の
森友哉選手が、活躍したあとのインタビューで、
「高校野球激戦区の大阪桐蔭で
揉まれた経験が生きている?」と質問され、
「そうかもしれませんね。
当時は苦しい試合を何試合もやっているんで‥‥。
その経験が今に生かされていることは
あるかもしれません」というようなことを語っている。
(日刊ゲンダイ8月19日)
この「苦しい試合を何試合もやっているんで‥‥」が、
いかにも、ほんとうにそうだったんだろうなぁと思える。
じぶんのいるチームが、とても強くて、
危なげのない試合を続けていられるような状態だったら、
どうだったのだろう、ということを思う。
門外漢だけれど、想像させてもらえば、
「苦しい試合」の経験だけが、
選手にほんとうの強さをもたらすのではないだろうか。
予定外の窮地、諦めかける直前まで追いつめられること、
じぶんたちの力量を疑いたくなるような経過や結果、
天に見放されたかのような運のなさ、
自由に伸び伸びしているように見える敵チーム。
相手のほうが勝つだろうと、誰もが思うような場面から、
敗けているはずのところから、やっと勝つ。
そんな、見苦しいほどにじたばたした試合を、
どれだけ経験したかが、ほんとうの強さになる。
だとすると、準備万端、練習十分、圧倒的な実力、
というような理想的なチームで試合を続けていたら、
そういう強さは身につかないということになるだろう。
このへんが、おもしろいところだ。
あえて、必死にならねば勝てないような弱さ。
弱さぎりぎりの強さ、というようなものを、
意識的に身につけようとするのは、とても難しそうだ。
まずは強くなる、そして‥‥おそらくなのだけれど、
「場面」を貪欲につくっていくことなのではないか。
いくつもの「場面」を呼び込むような動きをとる。
これこそが、「変化のなかに飛びこめ」ということか。
このへん、ものすごく興味あることなんだよねー。
強さの弱さやら、弱さの強さやら、あるもんなぁ。
今日も、「ほぼ日」に来てくれてありがとうございます。
ただ強い、強そうで強いってのは、脆いんじゃないかなぁ。
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