南クリル諸島か北方領土か?VOR 「ロシアの声」の新しいプロジェクト。近日発表!
数日前にVOR 「ロシアの声」は「日本人が、アイヌの剣も、お辞儀も、腹切りも自分の文化にした」の表題を附けた記事を発表した。その記事はVOR 「ロシアの声」の新しいプロジェクトの一部です。
そのプロジェクトの中で色々な重要な質問に面白い回答を探したいと思います。
例えば、論争点は何か?
あるいは、誰がクリルを最初に発見したのか?
あるいは、ロシア人が何故クリルおよび蝦夷、つまり北海道を自分のものと考えた?
あるいは、クリル諸島はアイヌの土地か?
以下は、引用です。
「アイヌ人たちがどこから日本列島にやって来たのかは今に至るまではっきりとしていない。インド・ヨーロッパ系やセム系、オーストロネシア系などとする説があるが、どれも完全な正当性が確認されているわけではない。ただ一つ確実に言えることは、人類学的な観点から見て、アイヌ人は、日本人、朝鮮人、ニブフ人、イテリメン人、ポリネシア人、インドネシア人、オーストラリアのアボリジニなど、極東や太平洋の諸民族とは大きく違っているということだ。まさにそれゆえに、17世紀、日本を訪れたヨーロッパ人たちが最初にアイヌ人に遭遇した時の驚きがあった。つまり、モンゴロイドが居住している地域に突如として、長い髪の毛、豊富なひげを蓄えた、完全にヨーロッパ的外見を持った人々が現れたからだ。」
「15世紀中ごろから、日本人のアイヌ人に対する戦いは次第に優勢となって来た。松前氏は当時蝦夷地と呼ばれていた北海道の征服を開始した。侍たちの軍隊が北海道へ侵攻した際、アイヌからの抵抗に遭ったが、アイヌ側にも多くの日本人がいた。つまり、これは文明対野蛮の戦いではなく、蝦夷地に住んでいた人々の、中央政府からの独立闘争だったのである。」
「サハリンがまだロシアと日本の共同管理だった時代、アイヌ人にとっての生活も楽ではなかった。ロシア行政当局は主に島の北部を管轄し、南部の管理は日本から夏にやってくる季節実業家らに完全に任せていた。日本人たちは天然資源やアイヌ人たちを酷使した。アイヌ人たちを集めるために、日本人たちは川の下流を防ぎ、上流のアイヌ人たちが魚を求めて海に降りてくるようにした。ここで日本人はアイヌ人らに漁業の道具を貸し出し、アイヌ人たちはとった魚の一番よいものを日本人に渡さなくてはならなかった。アイヌ人たちが自分の道具を持つことは禁止されていた。日本人が去る時は、道具も一緒に持っていったため、アイヌ人たちは最小限の魚の貯蓄のまま残され、冬の終わりまでにはほとんどいつも飢えがやって来た。」
近日発表!
-
シェアする