「バケツの氷水かぶり」チャリティーがどうも「違うのじゃないかな」感がある

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体が自由に動かせなくなる難病、筋委縮性側策硬化症(ALS)のために、有名人が氷水をバケツに入れてかぶるという運動が流行っているようです。
もちろん有名人の方々は募金もしたうえで更に「バケツの氷水かぶり」パフォーマンスをしています。

へぇ〜美談だなぁ・・・。

とはどうも卑屈なワタシは思えずに、どことなく「24時間テレビ」のような微妙な空気に包まれてしまうのです。

いや、実際にとても素晴らしいことなのですよ。
ええ本当に。

有名人が氷水をかぶって何か思う人はいるのだろうか?

なんというか有名人が氷水をかぶる。
そして「キャーキャー」と騒いでいる。
その後に「ALSの人のために・・・」って展開が多いですよね。

なんというかこの行為に「持続性」というのが果たしてあるのか?と疑問に思ってしまいます。
例えばピンクリボン運動みたいに毎年あるようなものと違って、どう考えても一過性のイベントに思えてしまうのです。

不謹慎とかそんな意味は全くありません。
そんなことがいいたいわけではありません。

ただ一過性のイベントになってしまうと、こういった難病に対するチャリティーというのはその反対で持続性が必要であると思うのです。

ALSのような難病は1年にお金が一気に入っても、その問題が解決するようなタイプのものではありません。

それ以上に他にも難病というのはあります。

果たしてこの方法が効果的であったのかは疑問に思えてしまうのです。

もっと難病や障害について現状を伝える手段はないのか?

結局今回の件もテレビのニュースなどでは「有名人がALSという病気のためにチャリティーで氷水をかぶりました」と伝え、コメンテーターが「こういうのもいいですね」と15秒くらい伝えて終わっているのが現状です。

単なるお祭り騒ぎにしたいだけでニュース自体も本質については全く伝えていません。

それくらいなら例えばEテレの「バリバラ」という障害者バラエティーに出演されている多発性硬化症のグレースさんのコラムを見たほうが余程障害について理解できるのではないかとおもいます。

NHK バリバラ|連載コラム

何もやらないよりは偽善でもお祭りでも確かにいいのです。
何もやらないというのは本当によくないです。

ただお金を出せば立派だという考えは少々違うのでは無いかと思います。

障害について理解する、街中で困っている障害の人の手助けをするなどなどの方法でも問題無いと思います。

「お金が無ければ難病だって解決できないじゃないか?」という意見もありますが、それならば逆に「貧しかったらチャリティーは免除なのですか?」といいたくなってしまいます。

それぞれの人々ができる範囲で、持続性を持って淡々と行うことがベストではないかと思えてきます。

もちろん人それぞれの考え・哲学というのがあるので、上記のことが正解というわけではありません。

 

ただどうしても今回の「氷水かぶり」がなんだかなぁ〜と思ってしまうわけであります。

 

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