15日の社説<8・15と戦争 記憶の継承の担い手に>の中にこんな記述がある。http://mainichi.jp/opinion/news/20140815k0000m070132000c.html
■無謀な戦争による犠牲者は、日本人だけで310万人、アジアでは2000万人以上にのぼるとされる。■
「310万人」はその通りだとしても、「アジアでは2000万人以上」という数字はどこから出てきたのか?
結論を先に言うと、この数字は根拠のない大嘘である。現代史家の田辺敏雄氏のサイト<脱・洗脳史講座>を見れば、そのことがよく分かる。
<増 え つ づ け る 犠 牲 者 数― あまりに愚かな実態 ―>のは、まずこんなことが書かれている。
http://home.att.ne.jp/blue/gendai-shi/kagai/kagai-tokei.html
■私たちは、日本軍および民間人が中国などアジア各地で犯した「悪行」を新聞、テレビなどのマスメディアを通じて、いやというほど知らされてきました。にわかに信じがたい膨大な犠牲者数、さらに加えて人間とは思えない残忍な所業の数々。
毎年8月15日(終戦記念日)を迎える頃になると、あるいは盧溝橋事件40、50周年、日中国交回復10周年、あるいは20周年といった節目の年を迎えるたびに、それこそ判で押したように日本軍の「加害」を断罪する大報道となり、また戦争を指導した日本軍部の愚劣さを批判する報道がつづきました。
いつしか、われわれ日本人はならされてしまったのでしょうか、あるいは不愉快な話にウンザリしたのでしょうか、過去は現在のわれわれと関係ないとばかりに、傍観者のような態度で接しているように私には思えます。
「日本の加害」 とは、具体的にどのようなものを指しているのか、一度、確認しておく必要があるでしょう。ここでは、日本の加害を「 量 」 と 「 質 」 に分けて、概略をお知らせします。・・・・・・・・・・■
そして、「日本は原爆の被害ばかりを強調し、1700万人のアジア人を虐殺したことや、『THE RAPE OF NANKING 』 の事実を戦後、子供たちに教えようとしてこなかった」と書いたアメリカの作家の文章を示しながら、<「死者2000万人」についてですが、この数字の出所を突き詰めれば、日本の教科書記述であり、われら日本のメディアであり、学者、文化人の論考等に行き着きます>と指摘するのだ。
ちなみに、『THE RAPE OF NANKING 』の中で、アイリス・チャンは、日本の教育は自分に都合の悪いところを忘れてしまう記憶喪失症にかかっているので、天皇の軍隊が第2次世界大戦中に2000万人 の連合軍兵士とアジア市民の死に責任があると生徒に教えてこなかったのだ、と書いた。また、中国人の死者数について、チャンは両親から聞いた話として「1000万人以上の中国人が殺害された」(killed more than 10 million Chinese people) と書いているという。
<2,000万人以上と教える歴史教科書>
■1994年、1998年の検定に合格した実教出版の「高校日本史B」の・・・・・「15年戦争はなにをもたらしたか ― 日本の敗戦」という項目のなかに、以下の記述(1998年検定版)があります。
〈 1931年からの15年におよぶ戦争は、大日本帝国の敗北と崩壊で幕を閉じた。
この戦争でアジア・太平洋地域の人々に与えた惨害はじつに膨大で、
死者の数は約2000万人 をこえ、それは日本人の死者数310万人をはるかにうわまわるものであった。
そして、精神的、物的被害もこれにまさるものがあった。 〉
とまず、大枠を説明しています。
一読して、どうお取りになりましたか。これを読んだ生徒のほとんどは、日本軍がアジア・太平洋地域で2000万人以上を殺害、あるいは日本軍のせいでこれだけの犠牲者を出したしたと受け止めたのではないでしょうか。今、あらためて読み返してもこうとしか読めません。
そして、教科書は「アジア太平洋戦争による東アジア諸国の死者の数は、各種の文献を総合すると」 と記述して、約2000万人にのぼる死者の国別内訳を欄外に掲げています。それらを下記の表にまとめました。・・・・・・■
後は田辺氏のサイトで表などを見てもらうしかないが、これを受けて田辺氏は「2000万人以上」 の内訳、すなわち、
<中国人の約1000万人は後述することにして、インドの死者350万人 (大部分はベンガルの餓死者)、インドネシアの400万人(1994年検版は200万人と半分)、ベトナムの200万人 (大部分が餓死者)、フィリピンの111万人 などと出てきます>として、これら膨大な死者の原因が本当に「日本(軍)による加害」であったのかどうかを検証します。
さらに、「2000万人」という数字の根拠が、「中学生の調査」が根拠となっていると言うのだ。
<中学生の調査が大元?>
■1972(昭和47)年の春休み、東京都文京区立第2中学校の社会科教師だった本多 公栄(後に宮城教育大学教授、故人)が、授業の一環として、生徒に 「日本の侵略申し訳ないと謝罪、2度とこのようなことはしません」 と書いた「 アジアの中学生の友への手紙」 を質問事項とともに持たせ、在京35ヵ国の大使館を回らせました。
生徒たちの質問に口頭または手紙で寄せられた回答が水色欄「文京2中」の国別数字です。そしてそれらの合計は1、560万人となり、中国の1、321万人が全体の80%以上を占めるという突出した数になっています。
本多教諭はこれらの結果を冊子にしてあちこちに配ったところ、赤旗、朝日、毎日 などが好意的にとりあげたため、文京2中の名は教育界に知れわたったとのことです。翌1973年、本多教諭はこの調査をもとに『ぼくらの太平洋戦争』 (鳩の森書房)を出版しました。
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この本に、「ぼくらの発見! 東アジアの死者1882万人」 という見出しのもと、水色欄に示した「文京2中」の調査結果、それに日本で公表されている通史などを参考にしたという「本多公栄推計」が記載されています。ご覧の通り、「本多推計」はインド350万人(餓死)があらたに加わり、インドネシア200万人、フィリピン105万人という膨大な数に変化した研究成果が載っています。■
しかし、この調査はどんなものだったのか?
■まず、文京2中の調査数字の信頼性ですが、例えば中国の数字は台湾(中華民国)の大使館から得たもので、〈 軍人の死者は321万人、市民の死者1、000万人以上と答えてくれた「男の人」はたまたま廊下で「どんなことで来た?」と尋ねた人らしく、名刺もくれなかったのか、肩書きも氏名も書いてない 〉 (秦論文)といいますから、大使館内でたまたま出合った男性の答えだったらしいことが分かります。また、35ヵ国のなかにイラクやクウェートなどが含まれ、「参戦国と非参戦国の仕分けもせずに回ったのはどういうわけか」と秦は批判というか半ば揶揄していますが、もっともな指摘と思います。
生徒の調査が行われた1972年春というのは、1971年夏から朝日新聞に連載された「中国の旅」 の連載完結時期と同じであることと、決して偶然でないだろうと私は思っています。おそらく連載に触発され、この調査を思いついたのではないでしょうか。■
こんな調査が元となって、「2000万人」という数字が生み出されていったとは、にわかには信じがたいことである。これもまた、反日日本人が企んだ「日本発」の自虐だったのだ。この数字を戦後69年たっても毎日が使っているのだから、二重の驚きだ。
一方で、中国の発表する死傷者数が根拠もなく膨張してきたのは、周知の事実だ。
▽1946(昭和21)年、東京裁判に提出された中華民国政府 の公式数字は、「 軍人死者132万、行方不明者13万、負傷者176万、合計321万人 」でした。
▽1989(平成1)年、中華人民共和国は抗戦期間中(1937.7〜1945.8)の中国軍民の死傷者を 「2168万人」と公表、盧溝橋の中国人民抗日戦争記念館にもこの数字が掲げられました。内訳は、死者932万5千人、負傷者947万人、敵に捕まり連れ去られた行方不明289万人、総計2168万5千人。この数字には満州および台湾省の分は除かれているとのことでした。
▽江 沢民・前中国国家主席が1995(平成7)年5月、ロシア政府主催・第2次世界大戦終結50周年の記念式典の演説で、日本軍による中国人民の「死傷者3500万人」 という認識を、突如として示しました。
1995年5月、村山 富一 首相の訪中時に合わせたのでしょう、死傷者3500万人とさらに跳ね上がったのです。
サンフランシスコ大学で開かれた「日本の戦争記憶問題と対決する」というシンポジュームで、米中国総領事は「日本人は戦争中に中国人3,500万人を殺害した 」と発表、死傷者3500万人がアッいう間に死者3500万人に変えられたのです。
南京事件の「30万人」もそうだが、中国の犠牲者数はすべてプロパガンダ(政治宣伝)なのである。今年3月、ドイツを訪問した習近平国家主席は、ベルリン市内で講演し、日中戦争では「日本の軍国主義によって3500万人の死傷者が出た」と延べ、南京では、旧日本軍が「30万人以上の兵士や民間人」を殺害する「凶悪な罪を犯した」と訴えた。
来年の第二次世界大戦終結70年に向けて、中国の誇大宣伝はますます激しくなることだろう。だまされてはいけない。自衛策が必要なのだ。