元気かい? それとも微元気かい? 偽元気ではないのかい?*2
こんばんは。お元気で? そうそれは何より何より何よりですって、お元気な人がこんなタイトルの記事に辿り着くわけがあるかい。他人に自分を偽るのならともかく、自己欺瞞はやめたまえ。
そうわたしたちは元気ではない。微元気どころか偽元気を振り絞る活力すら無い。憔悴しきった鏡の中の素顔をちゃんと見つめてやってほしい。
なぜ生きていかなければならないのかという青臭い疑問はとうに通り過ぎ…
まあ意味も理由も本来的には無かろうが、生まれてしまったのだから、仕方あるまい。
草木になりたいなどとわたしたちのごとき既にして根無し草のごとき命がよく言えたものだ。草木だってたとえそれが日影だとしても自分が生まれてしまった場所でぐんと成長することもあればそのまま枯れることもある。日の当たる広い川原ですくすく成長したかと思えば2ヶ月に一度の自治体の芝刈りの憂き目に逢いその命を終えることだってある。草木でなくても、誰であれ何であれそうなのだ。羨んでどうするのか。嘆いてどうするのか。いや羨んでもよい。嘆いてもよいのだ。そういう自分を否定してどうするのだ。恋文を書け、恋文を。その恋文の中には背筋を伸ばした本当の等身大の自分の気持ちが現れてくる筈だ。投函しなくてもいい。返事がなくてもいいではないか。いやいやそもそもそんなこっ恥ずかしいことができぬというチキンの民は、そうだ日記を書け、日記を。背中を丸めて飲み込んだ気持ちを全部書き尽くしてしまえ。日記に書いたら、その悲しかったことや辛かったことは、もう忘れてしまって構わない。とにかく気持ちを一旦は自分の気持ちとして見つめるべきだ。たぶん。わたしの観測域ではそういうことになっている。それは大人の世界のただのお約束なのかもしれないし、比較的真実に近い経験則なのかもしれない。でもとにかく、まずは自分を見つめてみることは、おそらく肝要なことらしいし、わたしもそう思う。
そんなことより手っ取り早く許されたい
なぜか分からないが人間というのは誰かに許されたい生き物らしい。ここにいていいよって言ってほしいものらしい。生きる意味とか答えとかそんなことを求めているようでいて、実のところ「意味などなくてもここにいていいんだよ」と大切な人に言ってもらえればそれでいいのかもしれない。
もちろんわたしもきっとそうなのだろう。それが今のわたしには分からないのなら、たぶん日記に書いて忘れてしまっているのだろう。日記!不思議!!素敵!!!無敵!!!!
それはそれとして。
先日までプレイしていた「ペルソナQ」では「許されたい」という気持ちについてキャラクターたちが話すシーンがあった。ネタバレしてしまうので書けないが、うおおお、書きたい、でも物語の肝なので書けない。とにかく人が生きていく理由、生きていることの持つ意味などがテーマのゲームだった。わたしはプレイ中に何度も立ち止まってその台詞の意味、伏線の意義を考えさせられた。そして泣いた。今何かとホットなゲームでも人は泣ける。ああ人間、なんてこと!
しかし斯様にゲームを何十時間もプレイしていちいち理屈で整理せずとも、人と人との関係は常に互いに侵襲的なのであり、誰かと関係していると言うことは仕事の関係でもトモダチ関係でも恋人関係でも家族でも電車で隣の席に座ってた彼でもスーパーで会計をしてくれた彼女でも、常に誰かと許し合っている。あなたが今日生きたということは、あなたが誰かを許したということだし、あなたが誰かに許されていたということなのだ。心配しなくても大丈夫。机上で理屈をこねくり回さなくても、事実としてあなたは今日を生き抜いたのだし、今日を生き抜けたのならきっと明日も生き抜けるだろう。平和で飽食の昨今、今日できたことが明日できないことの方が少ない。もし明日いきなりできなくなることがあったならごめん。生きているのだ。そういうことも含めて生きていくということだと気付き、わたしを許してくれればいい。予め、ありがとう、そして、ありがとう。
とはいえ毎日毎日日記に気持ちをしたため振り返り「今日も一日頑張れたんだから、頑張ったんだわ、わたし、偉い子!」などと自らを慰めること、自らを許すことも行き過ぎれば欺瞞となろうし、なかなかに見栄えも悪いし、いろいろと都合だって悪かろう。だって今日わたし何もしてないのに頑張ったなんて言うことの方がウソクサイ。嘘くさいことが苦手な自意識過剰の民には辛かろう。苦しかろう。
そんなとき手っ取り早く許される手段、そう、わたしいつもどおり、漫画紹介する!
特別なにも取り柄のない「みんなの中のぼっち」糸真(しま)の成長物語 「プリンシパル」(いくえみ綾)
- 作者: いくえみ綾
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プリンシパル コミック 全7巻完結セット (マーガレットコミックス)
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糸真の両親はずいぶん昔に離婚した。それ以来糸真は母親と暮らしていたが、母親の4人目の夫と馴染めず、また学校でも友人関係で躓いたこともあり、実父を頼って単身来札する。そこで出会った新たな人たちとの心温まったり凍ったり憤ったり腑に落ちなかったり、そういう普通の物語。完結済。
おそろしいほど何の特技も取り柄も特徴も無い、周りの顔色をうかがったりときどき失敗する普通のはずの糸真なのに、なぜか周りには人気者の男子がおり、嫉妬されたり意地悪されたりいろいろある。連載当初からインターネッツでも「なんでこいつが幸せになるのか分からない」「自分からは何もしてない」「御都合主義」等の罵詈や雑言を浴びせられているが、それはおそらく狙い通りのように思う。
というのは、作中で糸真は、自分の周りばかりが動き自分は何ひとつ動いていないことに気付くのだ。そして自ら称して「みんなの中のぼっち」を名乗る。
しかし作品を読めば分かるが、そんな糸真は常に物語の中心にいる。糸真がいなければ実は何も物語は動かなかったはずだし、既に「ただそこにいてくれている」ということがどれだけ大きいことなのかを作品後段で登場人物に告げられる(恋人ではない)。
僕ねぇ 糸真が来てくれて嬉しいよ
今日寝ながら
今までのぼくらの生活に 糸真が入ってきてなかったら
って考えたら すごいさみしかった(ネタバレすぎなので中略)
あれ ほんに嬉しかったんだぁ
いっつも思い出すんだぁ糸真
ありがとう
(プリンシパル 6巻)
もうこれ書いてるだけで泣ける(安い)。許された、今(軽い)。
わたしたちは、きっと誰かにとってそういう存在になっているはずだ。自分から見て「みんなの中のぼっち」と自嘲するような自分でも、きっと。
一度手にした栄光を奪われそれでも生きた結果の「許し」としての愛弟子の成功 「ピアノの森」(一色まこと)
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「森の端」といういわゆるスラム街で生まれ育ったピアノの天才児「一ノ瀬海(カイ)」。カイは森に捨ててあった壊れたピアノを弾ける唯一の人だ。それまでただの遊び道具だったピアノだが、ピアニスト志望の同級生雨宮修平や事故で指を思うように扱えなくなった元ピアニストの音楽教師阿字野壮介と出会い、「ピアニスト」になっていく物語。連載中。
自由にピアノを弾く不自由を強いられた少年カイの成長物語だが、一方でピアニスト阿字野壮介の喪失と回復の物語でもある。一度は失ったピアノの音を取り戻し、さらに別の個性へと昇華させ、カイの成長を見守って行く。森のピアノを失うとき、阿字野はこう思う。
かつて自分が捨てたピアノの最期に立ち会ってしまった
でも…
偶然なんだろうか
捨てたピアノは密かに…ゆっくりと…
時間をかけて……
カイの才能を育てていた
そして寿命が尽きる最期のときに…
わたしにその才能のゆくえを託したのではないか?
(ピアノの森 7巻)
阿字野はカイを世界に羽ばたかせるために、並々ならぬ努力をする。もちろんカイの努力だって半端なものではない。でもそれは阿字野が、生きる意味を一度は失い、自分で自分を許せなくなっていた一人の人間が、新たな生きる意味を得て、全力を尽くして初めて成り立つものだ。
自分がさまざまな人生の岐路でその度に諦めた夢、やりきれなかった仕事があっても、いつかそれを誰かに伝えていくこと、その人がもっとよりよいものを作っていくこと、そういうことは普通のわたしたちの人生でもきっと起こるだろう。今は許されていない気持ちになってしまっても、その経験があったからこそ許される瞬間がきっとくるのだろう。阿字野が喪失から回復して行く物語は、わたしたちが回復していく、生きていることを許される物語として働く。
「許されない」恋の結実としての子どもが許し許され成長していく物語 「海街diary」(吉田秋生)
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海街diary コミック 1-5巻 セット (フラワーコミックス)
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鎌倉で暮らす三姉妹。父親は不倫の末に駆け落ちし、両親が離婚。母親も恋人を作り家を出ていってしまったため、三姉妹は祖母に育てられた。
父親の葬式で三姉妹は初めて異母妹である「すず」に出会う。すずは、父親を亡くす前に母親も病気で亡くしており、今では父親の3番目の妻とその連れ子という血縁の無い家族で暮らしていた。
すずは三姉妹に誘われ、鎌倉で過ごすことになる。このすずを軸にした家族の物語。連載中。
すずの母親はかつての父親の駆け落ち相手だ。そのことを普段は気にしないようで、すずの中には重たい鎖のように心を縛っている。
ある日、長姉の幸の恋人が妻のいる人だと知り、偶然そのデート現場に出くわしたすずは、同級生の風太と一緒にあとをつける。実はそのデートは、妻と離婚し海外に行くその恋人と幸の別れる前の最後のデートであることをすずは察する。その帰り道、すずはついジュニアサッカーのチームメイトの風太に想いを吐き出す。
あたしのお母さんてさ 結局あきらめられなかったんだよね
お父さんのこと
お姉ちゃんは あきらめたんだよね
なんかさ
やっぱお母さんってどーなのって思っちゃって
自分の親なんだけどお父さんとお母さんの選んだことだから
どっちもどっちかもしんないけど
でもなんでよりによってその道かなってもっとも
その道 選んでくれなかったら
あたしはこの世に いないんだけどね
(海街diary 4巻)
不倫はいわゆる「許されない」恋だ。だからその結果生まれた子どもも「許されない」子どものように、すずは自分で思ってしっている。
それに対して風太はこのように返す。
浅野のお母さんだって お父さんだって
きっとつらかったと思う
なにがいいとか 悪いとか
そういうのわかんねえけど俺は浅野がこの世に生まれてくれてよかったって思ってるから
チームのみんなだって…っ!
みんな そう思ってっから!だっだから
それでいいと思う
(海街diary 4巻)
はい許された。はあ、泣きそう。
最後は定番の「コジコジ」(さくらももこ)
- 作者: さくらももこ
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これは単行本のあらすじがすべてなので引用する。完結済?
大バカ宇宙生命体・コジコジが
ひとクセもふたクセもある仲間たちと
メルヘンの国を舞台に繰り広げる、
ナンセンス・ギャグの決定版!
さくらももこ先生がお届けする、
これがウワサのMADファンタジー!!
コジコジは数年ごとにインターネッツを震撼させる名漫画でありことさらな讃辞もコジコジの趣旨からは解離しているように思うので控える。
とくに第一話が秀逸だ。
先生が一生懸命勉強の大切さを説くのだが、コジコジにはまったく「入らない」。
職員室に呼び出されたコジコジは、先生に「遊んで食べて寝てるだけじゃないかっ」と吃驚される。それに対してコジコジは「盗みや殺しや詐欺なんかしてないよ。遊んで食べて寝てるだけだよ。なんで悪いの?」と返す。のれんに腕押しの問答に諦めた先生が最後にこのように訊ねる。
コジコジ キミは…将来一体何になりたいんだ
それだけでも先生に教えてくれ
なっ
コレに対するコジコジの反応は、有名なあれ。
(コジコジ 1巻)
こんなブログをご覧の諸賢におかれては既に目にしたことがあるだろう。
もう許すも許さないもないよね…。疲れた日に息を抜くために、コジコジはオススメできる作品よ、本当にさ。
こんな言い訳をしなくても
ハーゲンダッツを食べれる体重になりたい←そこ
今日はかなり勇気を振り絞ったので讃えられていい(ハーゲン食べる言い訳)
— mah(まー)そういうときもあるさ (@mah_1225) 2014, 8月 21
*1:常に互いに許し許されてる愛犬
*2:日影の忍者勝彦参照日影の忍者勝彦 (日影の忍者勝彦オールスターズ) 歌詞情報 - goo音楽