第3回 鍛治靖子 「ファンタジイを翻訳する」 近頃のわたしはもっぱらファンタジイを中心に翻訳していますが、そもそもはSF翻訳家としてデビューしました。あまり科学的でないストーリー重視の本を何冊か訳したあとで、なぜかとても科学的なSFのお仕事をいただき、その中に超新星の爆発するシーンがあったのです。ブルーバックスを読んで超新星爆発の仕組みを一生懸命勉強して、どうにか訳し終えて数カ月後、もどってきたゲラを見て唖然としましたね。なんと、問題のシーンがまったく理解不能ではありませんか。自分で書いた文章なのに(泣)。勉強したそのときはわかったつもりだったのだけれど、完全な一夜漬け状態で、すぐさまきれいさっぱり頭から抜け落ちてしまったのですね。 わたしはそのときに改めて、前から薄々わかっていたこと――自分には、物理・化学・数学、ついでに機械等々、いわゆる理系のものすべてに対する頭がまったくないのだという事実をはっきりと認識したのでした。(言い訳しておきますが、けっしてSFが嫌いなわけではありません! わからないところは飛ばしていいのだから、読むのは好きです。ただ仕事とするなら、わたしの頭と知識ではついていけないということなんです) その頃からわたしは会う人ごとに、「ファンタジイが好き! ファンタジイをやりたい!」と言ってまわるようになりました。ファンタジイがまだいまほど流行っていなくて、翻訳の仕事そのものもあまりなかった頃のことです。しつこく言ってまわった甲斐あってか、その後ぼつぼつとそっち方面のお仕事をいただくようになり、いまでは大きなシリーズも任せてもらえるようになりました。 そんなわたしですが、先日友人と会っているとき、SFの翻訳とファンタジイの翻訳はどう違うだろうという話になりました。本ごとにスタイルを決め、そういう大きな区切りで考えたことはなかったのですが、改めて自分のやり方を思い返してみました。 その結果思ったこと―― SFは、当たり前だけれど、「未来」のお話ですよね。そしてファンタジイは……「時代劇」かも? もちろんどちらにもそれぞれいろいろな分野があるわけですが、ファンタジイ――特に、王道ともいえる中世ヨーロッパ風ファンタジイは、日本の時代劇に通じるものがあると思うのです。 たとえばカタカナです。SFはカタカナを多用することで未来の雰囲気が出ますが、ファンタジイは逆ですよね。 わたしははじめて西洋時代劇のお話をいただいたとき、人名以外すべて、まったくカタカナを使わずに訳してみようと無謀なことを考えました。ドア→扉、ベッド→寝台、ガラス→玻璃、ランプ→洋灯。おお、なんとかいけそうじゃん。と思ったところで。はて、マントは……袖無し外套? ズボンは……洋袴? シャツは……襯衣? ドレスは……女性用礼装(苦笑)? レースのハンカチは……編み細工縁飾りつき手巾(爆笑)? この時点でお手上げです。やっぱり騎士にはマントをふわりとひるがえしてほしいし、貴婦人にはドレスを着てレースのハンカチを握りしめてほしいですよね。そもそも西洋文化の上に成り立つお話なのですから、モノの名前、特に服飾関係は、どうやってもカタカナから逃れることはできないようです。 最初の試みはこうして失敗に終わったのですが、それでもファンタジイを訳すとき、わたしはいまでも不自然にならないぎりぎりまで、できるだけカタカナを使わないようにと心がけています。 そしてもうひとつ、SFでは多用するけれどファンタジイでは控えるのがルビでしょう。 SFでもファンタジイでも、独特の世界観をつくりだすために、作家は造語を使います。わたしは造語の訳を考えるのが大好きなのですが、SFではたいていの場合、漢字熟語にカタカナのルビをふります。日本語の意味はこうだけれど、もともとはこういう音のこういう言葉だったんだよ〜とアピールするわけですね(ルビというのは日本語特有のほんとうにすばらしい文化だと思います)。 けれどもファンタジイでは逆に、そのルビを極力使わないようにします。韻をふんだり洒落になったりしているものは仕方がありませんが、それ以外はできるだけ、見た目も響きも、日本語だけでその世界にはいってほしいと思うからです。英語をまじえるSFとは逆に、英語を切り捨てることで、日本ではないけれど昔のイメージのお話なんだよと主張するわけですね。 それにしても日本語は面白いです。漢字ふたつを組みあわせれば、ちゃんと意味の通じる新しい言葉ができるのですよ。翻訳をしていてこういう醍醐味を味わえるのは、SFとファンタジイだけだと思うのですが、いかがでしょうか? 次回は、三村美衣先生です。 |
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