On Wed, 21 Jan 2004
IKEDA Nobuo wrote:
これは、法体系に根本的な問題があると思います。川島武宜も嘆いたように、明治の初めに急いで導入した大陸法の体系が日本人の生活実態にまったく合っていないため、法の運用を一般市民がチェックするというフィードバックがきかない。Shleiferなどがやった大規模な実証研究でも、大陸法の国は中央集権で官僚主義で腐敗がひどく、成長率は英米法(コモンロー)の国よりも有意に低いという結果が出ています。
そうですネ。おそらく、時間軸のゲージ(ものさし)如何によるのでしょうが、ミクロな成長率(短いタイムスケール)では大陸法体系の方が大きく、マクロな成長率(長いタイムスケール)ではコモンローの方が大きいような気がいたします。
法の運用の一般市民からのフィードバック、という側面からいえば、
「(付随的・具体的)違憲立法審査制度」
が一番実効的でわかりやすいといえるでしょう。
もちろん、「外国在住の法律専門家」による「フィードバック」というのを*意見に添える*ともっとよいです。ただ、その為には、「英語・ドイツ語・フランス語・スペイン語・中国語・韓国語」あたりに、まずは民法典を翻訳し、それをインターネットで公表するくらいの太っ腹が必要です。英語で日本国の民法典"すら"「ただで」容易に読めない現状にはちょっと納得がいかないですネ。
「日本国家での法体系(プロダクト)における、PL法の適用」といえば、ちょっとしたギャグになるでしょうが...まあ95%くらい憲法に合致した法体系でもたまに消費税分くらいミスってしまいますから、その点を「補完する」しっかりした制度は必要ですネ。
これはもう100年単位ぐらいの気の遠くなるような話ですが、「構造改革」というなら、それぐらいを視野に入れないと、単なる組織いじりでは何も変わらない(あるいは悪くなる)でしょう。この点では、Aさんの結論に賛成です。
そうですね。これは60年あたりで十分な気がします。日本文化においては「60年」というのがいわゆる「節目」になりますし。米国の「20年周期」と比較すれば、3回いったりきたりしますがちょうど良いです。「次の60年に向けた構造改革」といった標語の方が、より国民には浸透して行くように思いますヨ(「日本らしい」標語です)。
---------------------------------------------------------------------
ともあれ、インヴィジブル・エンティティに対しては人間(だけではなく一般的な動物も)恐怖心や猜疑心に基づいて"shout"/"cry"/scream"/"yell-out"あたりをしてしまいます。これが、ましてやインヴィジブル・エネミーという錯覚をもっていたらもっと最悪です。とりあえず、「ヴィジブルであること」「エネミーでは決してないこと」を見せていく組織作り(霞ヶ関)が大事なのではないでしょうか。もちろん、私たち自身が自身を
「なだめすかす」
必要があるようにも思いますが。
あとは、霞ヶ関の方々の政策に対する「Cool」(よくやった!と褒めること)を国民が表彰してさしあげられるようにするのも良いかも知れません。担当の課長クラスの方々に「金一封(いや、一生保障/60年保障)」とか。「減点主義」のオンパレードで逃げ場がなくなると、ますます「たこつぼ」にハマってしまいますから、「敗者復活」の救済を施す必要があります。
この視点は、ダーウィニズムに若干抜けている点ですが....(敗者すなわち恐竜とかにも、主張をさせてあげられるくらいの「敗者復活」がなければ...)<政策に対する「Cool」を国民が表彰>といったことが出来る様になれば、「突然変異」も生まれやすくなるでしょうから、なお良いです。
以前、結構kantei.go.jpにいろいろ「意見」したのですが、もう少し、「官僚の皆さんに優しい」政策を作ってくれ、と、国民が声高に言う必要があるのかな、とも思っています。逆に言えば、「これが国民から湧き上がってきた意見だ」というもので*気持ちの良い*意見が「たくさん出てくれば」、それに呼応した政策が実現されるのではないでしょうか。
(「改革派が官僚主義世界に入って迎合しようとする時に一番官僚主義っぽく(一般には)見える」を逆手に取るというわけです)
確かに、
要は、政策決定過程がオープンになっていないことと、合理的なロジックが軽視ないし無視されていること、が問題ではないでしょうか。
であり、理屈が通っていると思うのですが、合理的なロジックといったものも「マクロな合理性」「ミクロな合理性」といった二つがあり得るでしょうし、マクロな合理性にかけるのは官僚組織の内在的な問題に起因するのであれば、それを救済していくような「制度」を内部に事前的に(慈善的に?)埋め込んでおく必要がありそうに思います。
(まあ、たまに「連続性の破棄」をする必要があろうかと。連続性・正統性を強調しすぎると、たこつぼにはまります。学問的なたこつぼと似てるような...) 例えば、連続性を意識するなら、憲法改正など一発で済みます。句読点一つ変えて、憲法審議をし、採択すればいいのです。日本人が作った憲法になります。1日で終わります。
「メディアも他人のことを批判するときは歯切れがいいけど、自分のことになると説明責任がもっとも欠如している」的なのもやや改善出来るかもしれません。:-)
(いや、本当は、これはこれで脳力学的に筋が通っていて、私はそのくらいの「ミクロな無責任」をマスメディアがずっと持っていてほしいなぁ、と思っているのですが。逆に言えば、マスメディアに対する「細かな責任追及」するようになってマスメディア「組織」が全体的に官僚主義的になった事で日本が面白くない社会になってきた....)
---------------のちに池田先生のレスポンスあり---------------
いわばコモンローはJavaのように、その都度マシンにあわせて動くのに、日本の法律は官僚機構に依存してコンパイルされているのです。これは処理速度という点では有利ですが、いったんできあがると、中身がブラックボックスになっているので、いくら不合理でも変えようがない。
だから法律のモジュール化も必要ですが、オープンソース化も必要でしょう。今度のレコード輸入権のように、省庁間の裏取引で法律ができるのは最悪です。法制審なんかもつぶして、原案の段階から法案をインターネットで公開することを義務づけてはどうでしょうか。
Ditto, Agreed :-)
+1!
私は、UMLなどといったモデリングツールを立法過程に応用する事が出来ないものか、と常日頃より考えております。UML(Unified Modeling Language)というのは、OMG(Object Management Group)で認可された、オブジェクト指向のモデリングの表記法を統一したものです。このUMLの概念を、法律学に応用する流れはどうか、更には国会議論における「図式化」に利用され得ないものかと考える次第です。というのも、人間の活動は、極めてオブジェクト指向に合致しており、プログラミングの世界のみならず、人間活動そのものがオブジェクト指向型と言えるかと思えるからです。つまり、人間の活動あるいは人間の定義(天皇・国民・総理大臣など)を、UML図で置き換えて、その関係性を探っていく、ということが可能であり、また、exception (例外) 処理等もビジュアライズされていくでしょう。
何故、このような事を考えたかと言うと、まずは、立法論があります。現在、立法は立法府(議会)の仕事ですが、それが正しく機能しているとは言いがたい・・・それは、「わかりやすい」モデルがないから官僚に仕事を奪われている、というのも理由だと思っています。また、国民に違憲立法審査権をオープンに、という私の立場からすれば、わかりやすいモデルを提示することは、国民の法律嫌いを救う手助けにもなると思えるのです。良いモデリングをすることによって、少なくとも、今までの法体系の中の自己矛盾点も明確になっていくでしょう。
UMLというのが、ベストソリューションとは言いがたいかもしれませんが(これは、試行錯誤が今後も必要)、コンピューター業界から出てきたこの概念・・・他の学問に活かす事が出来れば、きっとまた違った世界が広がってくることでしょう。
Tetsuya Kitahata
http://tetsuya.in/
Twitter: @Tetsuya_K
IKEDA Nobuo wrote:
これは、法体系に根本的な問題があると思います。川島武宜も嘆いたように、明治の初めに急いで導入した大陸法の体系が日本人の生活実態にまったく合っていないため、法の運用を一般市民がチェックするというフィードバックがきかない。Shleiferなどがやった大規模な実証研究でも、大陸法の国は中央集権で官僚主義で腐敗がひどく、成長率は英米法(コモンロー)の国よりも有意に低いという結果が出ています。
そうですネ。おそらく、時間軸のゲージ(ものさし)如何によるのでしょうが、ミクロな成長率(短いタイムスケール)では大陸法体系の方が大きく、マクロな成長率(長いタイムスケール)ではコモンローの方が大きいような気がいたします。
法の運用の一般市民からのフィードバック、という側面からいえば、
「(付随的・具体的)違憲立法審査制度」
が一番実効的でわかりやすいといえるでしょう。
もちろん、「外国在住の法律専門家」による「フィードバック」というのを*意見に添える*ともっとよいです。ただ、その為には、「英語・ドイツ語・フランス語・スペイン語・中国語・韓国語」あたりに、まずは民法典を翻訳し、それをインターネットで公表するくらいの太っ腹が必要です。英語で日本国の民法典"すら"「ただで」容易に読めない現状にはちょっと納得がいかないですネ。
「日本国家での法体系(プロダクト)における、PL法の適用」といえば、ちょっとしたギャグになるでしょうが...まあ95%くらい憲法に合致した法体系でもたまに消費税分くらいミスってしまいますから、その点を「補完する」しっかりした制度は必要ですネ。
これはもう100年単位ぐらいの気の遠くなるような話ですが、「構造改革」というなら、それぐらいを視野に入れないと、単なる組織いじりでは何も変わらない(あるいは悪くなる)でしょう。この点では、Aさんの結論に賛成です。
そうですね。これは60年あたりで十分な気がします。日本文化においては「60年」というのがいわゆる「節目」になりますし。米国の「20年周期」と比較すれば、3回いったりきたりしますがちょうど良いです。「次の60年に向けた構造改革」といった標語の方が、より国民には浸透して行くように思いますヨ(「日本らしい」標語です)。
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ともあれ、インヴィジブル・エンティティに対しては人間(だけではなく一般的な動物も)恐怖心や猜疑心に基づいて"shout"/"cry"/scream"/"yell-out"あたりをしてしまいます。これが、ましてやインヴィジブル・エネミーという錯覚をもっていたらもっと最悪です。とりあえず、「ヴィジブルであること」「エネミーでは決してないこと」を見せていく組織作り(霞ヶ関)が大事なのではないでしょうか。もちろん、私たち自身が自身を
「なだめすかす」
必要があるようにも思いますが。
あとは、霞ヶ関の方々の政策に対する「Cool」(よくやった!と褒めること)を国民が表彰してさしあげられるようにするのも良いかも知れません。担当の課長クラスの方々に「金一封(いや、一生保障/60年保障)」とか。「減点主義」のオンパレードで逃げ場がなくなると、ますます「たこつぼ」にハマってしまいますから、「敗者復活」の救済を施す必要があります。
この視点は、ダーウィニズムに若干抜けている点ですが....(敗者すなわち恐竜とかにも、主張をさせてあげられるくらいの「敗者復活」がなければ...)<政策に対する「Cool」を国民が表彰>といったことが出来る様になれば、「突然変異」も生まれやすくなるでしょうから、なお良いです。
以前、結構kantei.go.jpにいろいろ「意見」したのですが、もう少し、「官僚の皆さんに優しい」政策を作ってくれ、と、国民が声高に言う必要があるのかな、とも思っています。逆に言えば、「これが国民から湧き上がってきた意見だ」というもので*気持ちの良い*意見が「たくさん出てくれば」、それに呼応した政策が実現されるのではないでしょうか。
(「改革派が官僚主義世界に入って迎合しようとする時に一番官僚主義っぽく(一般には)見える」を逆手に取るというわけです)
確かに、
要は、政策決定過程がオープンになっていないことと、合理的なロジックが軽視ないし無視されていること、が問題ではないでしょうか。
であり、理屈が通っていると思うのですが、合理的なロジックといったものも「マクロな合理性」「ミクロな合理性」といった二つがあり得るでしょうし、マクロな合理性にかけるのは官僚組織の内在的な問題に起因するのであれば、それを救済していくような「制度」を内部に事前的に(慈善的に?)埋め込んでおく必要がありそうに思います。
(まあ、たまに「連続性の破棄」をする必要があろうかと。連続性・正統性を強調しすぎると、たこつぼにはまります。学問的なたこつぼと似てるような...) 例えば、連続性を意識するなら、憲法改正など一発で済みます。句読点一つ変えて、憲法審議をし、採択すればいいのです。日本人が作った憲法になります。1日で終わります。
「メディアも他人のことを批判するときは歯切れがいいけど、自分のことになると説明責任がもっとも欠如している」的なのもやや改善出来るかもしれません。:-)
(いや、本当は、これはこれで脳力学的に筋が通っていて、私はそのくらいの「ミクロな無責任」をマスメディアがずっと持っていてほしいなぁ、と思っているのですが。逆に言えば、マスメディアに対する「細かな責任追及」するようになってマスメディア「組織」が全体的に官僚主義的になった事で日本が面白くない社会になってきた....)
---------------のちに池田先生のレスポンスあり---------------
いわばコモンローはJavaのように、その都度マシンにあわせて動くのに、日本の法律は官僚機構に依存してコンパイルされているのです。これは処理速度という点では有利ですが、いったんできあがると、中身がブラックボックスになっているので、いくら不合理でも変えようがない。
だから法律のモジュール化も必要ですが、オープンソース化も必要でしょう。今度のレコード輸入権のように、省庁間の裏取引で法律ができるのは最悪です。法制審なんかもつぶして、原案の段階から法案をインターネットで公開することを義務づけてはどうでしょうか。
Ditto, Agreed :-)
+1!
私は、UMLなどといったモデリングツールを立法過程に応用する事が出来ないものか、と常日頃より考えております。UML(Unified Modeling Language)というのは、OMG(Object Management Group)で認可された、オブジェクト指向のモデリングの表記法を統一したものです。このUMLの概念を、法律学に応用する流れはどうか、更には国会議論における「図式化」に利用され得ないものかと考える次第です。というのも、人間の活動は、極めてオブジェクト指向に合致しており、プログラミングの世界のみならず、人間活動そのものがオブジェクト指向型と言えるかと思えるからです。つまり、人間の活動あるいは人間の定義(天皇・国民・総理大臣など)を、UML図で置き換えて、その関係性を探っていく、ということが可能であり、また、exception (例外) 処理等もビジュアライズされていくでしょう。
何故、このような事を考えたかと言うと、まずは、立法論があります。現在、立法は立法府(議会)の仕事ですが、それが正しく機能しているとは言いがたい・・・それは、「わかりやすい」モデルがないから官僚に仕事を奪われている、というのも理由だと思っています。また、国民に違憲立法審査権をオープンに、という私の立場からすれば、わかりやすいモデルを提示することは、国民の法律嫌いを救う手助けにもなると思えるのです。良いモデリングをすることによって、少なくとも、今までの法体系の中の自己矛盾点も明確になっていくでしょう。
UMLというのが、ベストソリューションとは言いがたいかもしれませんが(これは、試行錯誤が今後も必要)、コンピューター業界から出てきたこの概念・・・他の学問に活かす事が出来れば、きっとまた違った世界が広がってくることでしょう。
Tetsuya Kitahata
http://tetsuya.in/
Twitter: @Tetsuya_K
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