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【上杉 隆】

ジャーナリズムの基本原則が日本でも徹底されるために (上杉 隆)

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メディア

一方で、そうした編集者たちとジャーナリズムのあり方で意見交換することが無くなってきていることも気になっている。それは不断に語られているのかもしれず、単に私の周辺だけで、そうした青臭い理想論を語られることが少なくなったのもかもしれない。

それならばそれで、「あぁ、自分もこの業界ではベテランになっていたんだなぁ」とも思い、一抹の寂しさも感じるものだ。

私が新聞・雑誌などに寄稿し始めた1999年当時に担当してくれていた編集者たちのほとんどが、編集長やデスクなどの「管理職」に出世してしまっている。

思えば、これまでいろいろな媒体に寄稿したり、連載してきたものだ。

文藝春秋、週刊文春、諸君!、新潮45、週刊新潮、月刊現代、G2、週刊現代、SAPIO、週刊ポスト、週刊朝日、サンデー毎日、ウィークリー読売、週刊プレイボーイ、朝日新聞、毎日新聞などなど。

そこでは徹底した取材方法と雑誌記事の書き方のイロハを教えてもらったし、あるいはまた文章構成の術や取材時の着眼点などのジャーナリズムの基本を教えてもらったりした編集者たちがいた。

だが、その当時ですら、私は納得できずにいつも一部の編集者とぶつかっていた事柄があった。

それが、冒頭のフレンチの言葉とも関連するものだ。

引用、訂正、署名、確認に関する ジャーナリズムの基本原則

すでに当時の米国メディアでは「引用先を可能な限り示す」、「ミスをした場合は速やかな訂正を行う」、「記事は必ず署名原稿で書く」「記事を書くにあたっては必ず当事者(あるいは取材対象者)に当てる」というジャーナリズムの基本原則が徹底されていた。

ところが、当時の日本のメディアではこの点が実にいい加減だったのだ。

それは新聞も雑誌も変わらない。

いまでこそ、「わかった報道」や「一部週刊誌報道」は減少したが、当時、この言葉を造った私の目には、ほとんどすべての記事で引用元が示されていないかのように映ったものだった。

そこで私がやりだしたことは、繰り返し、繰り返し、それこそ編集者が「そこまで書かなくても」と音を上げるくらいに、しつこく引用先の明示を記事を書く度に求めたのだった。

また、ミスをした場合の訂正を積極的に求め、編集部の反対を押し切っても訂正文を載せようとしていた。時には、広告スペースを買うから訂正させてくれと頼んだものだった。

そうした不断の活動の集大成が、『小泉の勝利 メディアの敗北』(草思社)というすべて私自身の記事の検証と訂正で構成された本の出版だったのだ。

この本を出版するにあたって、著者が自ら誤報を認めるなどあまりにリスキーだとして大手の新聞社や出版社からはすべて出版を拒否されたものだ。

そんな時に、私の意図するところを汲んでくれたのが草思社の加瀬昌男会長(故人)だ。

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