上杉隆「読売新聞“盗用”疑惑」に見る言論空間の幼稚性(上杉 隆)
過渡期の現状は日本の言論空間が 成長するために不可欠のプロセス
さて、本題に戻ろう。いまの日本の最大の問題は、排他的な言動によって日本社会を分断させているこうした人々が再び増殖していることだ。
残念ではあるが、尊敬するジャーナリストである江川紹子氏までが、そうした幼稚な人々の仲間に入ってしまった。これも3.11によって、私が知ってしまった哀しい現実のひとつだろうか。
だが、これは過渡期なのだ。哀しいが、日本の言論空間が成長するための不可欠のプロセスなのだ。
確かに、彼ら、彼女らは世界の言論レベルからすれば幼稚ではあり、そうした人々に健全な言論社会とは何かを気付かせることは無理かもしれない。
変わって、そうした無知ゆえに可哀想な扇動者たちを、優しく舞台から退場させることも、成熟した多様な言論空間への第一歩なのかしれない。
いま、私はそう思っている。
3.11以降、大手メディアやそこに追従する者たちは、恐怖に慄いてきた。自らの間違いが白日の下に知らされ、罵倒を受けることを――。
だが、恐れることはない。間違いは誰にでもある。みな、そうした間違いであるならば、訂正さえすれば誰もが許すはずだ。少なくとも、私の勤めた米国のメディアはそうだったし、私自身も日々そうあろうと努力を続けている。
江川氏をはじめ、日本の言論界をリードしてきたジャーナリストたちには早く目を覚ましてほしい。そして、自らの幼稚な姿勢を改めてほしい。
いま「NO BORDER」などに参加しているジャーナリストの多くが、現在の日本の言論界の「分断」の情況を憂慮している。
情報の多様性と、他者との違いを認める価値観こそ、健全な言論社会、ひいては民主主義を成熟させるための不可欠な姿勢だ。
まだ間に合う。だが、そろそろ変わらなければ、日本は、本当に手遅れになるかもしれない。
【ダイヤモンドオンライン「週刊上杉隆」10月11日より】