すごく途中で上げていたので上げ直し

*インテの新刊、レーサー兎虎です

今までで多分、一番ドライな兎虎(そのうちらぶらぶになります)
サンプルは来月になったら支部へ




「あー、結構遅くなっちまったな。こりゃバレてっかな」
虎徹は腕時計を見ながら、モーターホームが置かれた丘に続く街灯もまばらな道を一人歩いていた。
モーターホームを抜け出して、古い付き合いのアントニオと村の中央にあるレストラン【ティアガルテン】へ酒を飲みに繰り出していたところだ。
第9戦、ドイツGPはドイツのニュルブルクリンクというサーキットで行われる。
だが、このニュルブルクという所はその名の通りニュル城を中心に、昔はサーキットコース以外は菜の花くらいしかないのどかな田園地帯だった。
それが数年前に大規模な改修が行われ、今や4Dシアターやカジノ、ショッピングモールに遊園地まで備えたアミューズメント施設を備えた一大観光地となっている。
これは全て観光客やサーキットの副次的な収入の為にある施設だ。ドライバーたちは仕事で来ているのであって遊びに来ている訳ではない。
とはいえ、ずっとモーターホームにいても息が詰まってしまうので、虎徹は昔からの習慣で出来る限り自由時間は周囲をぶらつくことにしていた。
勿論飲酒運転など論外なので、レストランからは歩いて帰ってくる。
いっそスタッフかあるいはバーナビーでも迎えを呼べばよかったが、特にバーナビーは盛大に文句を言うに決まっている。
バーナビーはストイックで、食事制限やウェイトコントロールも自分でしっかりやる方だ。
だから虎徹のマヨネーズ好きは彼の美意識にかけても、体作りにかけても全然納得がいかないらしい。
そのお小言を道中聞く位なら、音楽でも聞きながら酒を抜きつつ数キロを歩いた方が体の為にも余程いい。
時間は既に11時近くになっている。
ようやくモーターホームの明かりが見えてきて、流石の虎徹もほっとした。
レースを控えた身なので、夜はカロリーセーブをと言われているが、セーブする方が逆にストレスになると虎徹は思っている。
モーターホームにも勿論専属のシェフはいるが、パスタやハンバーガーはあれど和食はほとんど出てこないし、むしろ高級なメニューである事の方が多い。
となれば少々の息抜きくらいはしても罰は当たらないだろう。
消灯時間には間に合わなかったので、裏手からそっと近づいて二階へ続く階段を上がる。
アポロンメディアのモーターホームは会社の好調な業績を反映し、素晴らしく豪華な作りだ。
コンストラクターズの順位通りにパドックの中ほどに設置されたモーターホームは、3階建ての巨大な建物が2つ並んだ巨大なものだ。
レッドとグリーンの外装に全面がミラー加工のガラス貼りで、屋上には可動式の屋根とテラスまで備え付けられている。
虎徹やバーナビーの部屋は2階にあるので、特にも見つからないよう細心の注意を払う。
すると、2階のラウンジに明かりが点いているのが見えた。
ミーティングなんてやっていたら完全にアウトだ。
これはやばいと反射的に虎徹は頭を下げ、床に手をついて廊下を進んでいく。
だが、話し声はしない。
こんな時間に誰がラウンジにいるのかとよくよく見れば、特徴のある毛先の跳ねたブロンドの髪が目に入った。
それはどう見てもバーナビーで、自然に虎徹の動きが止まった。
レーサーたちに個室は与えられていても、部屋はそれほど広い訳ではないし、TVだって各々についている訳ではない。
つまり、何か見たいものがあれば個人持ち込みのポータブルか、ラウンジの共有機器で見るしかない。そこまでして、大きな画面で見たいものは何か。
…当然下世話なAVなどである筈もない。
少しだけ顔を上げて、何を見ているのかと視線を向ける。
バーナビーが見ているのはどうやらレースのDVDのようだった。
しかも手にはノートを持って、メモを取りながらの熱心さだ。
画面に映っていたのは先日モントリオールで行われた第7戦、カナダGPのレース映像だった。
カナダGPはセント・ローレンス川のノートルダム島にあるサーキット、ジル・ヴィルヌーヴサーキットで行われる。
レースウィーク以外は公園として利用され、公園内の周回道路がコースとして利用されている。
コースそのものはストレートをヘアピンと5つのシケインで繋ぎ、スロットル全開とフルブレーキを繰り返す典型的なストップ・アンド・ゴー・タイプのサーキットだ。
マシンのエンジンパワーは必要だが、難易度的にはそう高い方ではない。
だが、ストレートエンドにある最終シケインだけは別格だ。
ここはF1サーキットの中でも難関とされていて、減速を誤ると縁石に乗り上げてマシンが跳ね、コーナーの外側のコンクリートウォールに激突してしまう。
歴代のF1チャンピオンたちも殆どがここでリタイアを喫していて、そのために別名【チャンピオンの壁】とも呼ばれている。
しかもこの日はあいにくの雨で、混戦状態が長く続く消耗戦に近いレースだった。
現在バーナビーはドライバーズポイントランキングで22人中7位につけていて、参戦初年度にしては驚異的な順位と言える。
まだ勝利こそ挙げていないものの、10戦を残しているから、今後の結果いかんによってはまだチャンピオンも狙える順位だ。
大して虎徹は11位と、モナコGPの勝利があったにしてはふるわない位置にいる。けれどそれはここ数年よりはずっといい位置だ。
半分より上なんて何年前の光景だろう。これもきっと、バーナビーの良い影響だ。
そのバーナビーの研究熱心な姿に虎徹は素直に感心する。
もしやレースの後はずっとこんな感じで、一人で映像をチェックして次に繋げているのだろうか。
だとすれば、初年度の驚異的な順位にも納得がいく。
天才と呼ばれる陰での、決して表に見せない努力。
そういうストイックで真摯なタイプはむしろ、かなり好ましい。
せめて一勝を早くさせてやりたいな、と虎徹は考え、ふとニュルブルクリンクのコースを思い出した。
今はあまり知られていないが、ニュルブルクリンクには北と南と2つのコースがある。
全長20.832kmの北コースは別名【グリーンヘル】と呼ばれ、その最長の長さもさることながら過酷な条件を揃えた最難関コースとして名高い。
かつて重大なクラッシュ事故が起こってからはF1には使われなくなり、代わりに全長5.1kmの南コースが作られた経緯がある。
虎徹はかつて、テストドライバーで北コースを走った事がある。
カラツィオラ・カルーセルと呼ばれるブラインドのヘアピンカーブに、重大事故の多さで最も悪名高いコーナー、ベルクヴェルク。
ウィングのダウンフォースなしでは簡単に車体が吹っ飛ぶジャンプスポット、フルークプラッツ。
そしてヴィッパーマン、ブルンヒェン、プランツガルテンと続くブラインドコーナーが連続する超高速S字セクション。
難コースをねじ伏せるのが楽しくて、思い出しただけで体が昂揚する。
まだドイツGPには4日ほど間がある。
虎徹はiphoneを取り出すと、電話帳を検索しお目当てのものを見つける。
消していなかった筈だが、やはり直通でないと色々と煩雑で面倒くさい。
そして一旦携帯を戻して、こそこそと音を立てずに自室へと向かった。
何もないがこれくらいはと、買っておいた飴をコンビニの買い物袋に詰める。
色とりどりになったそれと実家から送られてきた大きな缶のドロップとをパンパンに詰めて、隣のバーナビーの部屋の前に置いた。
甘いものは苦手だと言っていたが、これくらいなら大丈夫だろう。虎徹もよくレース前や後にがりがりと噛んでいる。
糖分を手軽に摂取できるから重宝するのだ。
―――だから、邪魔はしないから、せめて頑張れよ、と思いを込めて。



「…で、一体どうしたんです?」
翌日虎徹に呼び出されたバーナビーは、ぶつぶつ文句を言いながらもちゃんと時間を守って現れた。
虎徹は借りた車の前に立っていて、はよーバニー!と手を振って返す。
「はよ、だなんて随分呑気ですね」
「いいだろ別に。なあ、電話でも言ったけど今日デートしねえ?」
「デートという言い方はやめてください。誤解を招きます」
用意していた缶コーヒーを手渡せば、バーナビーが溜め息をついた。
「おいおいほんのジョークだろ、そこは流しとけよ」
「分かっていますよ。…それで、何処に行くんです」
「あれ、いいの?」
「よくなかったらそもそも来ていません」
文句を言いつつも、帰る素振りはない。
言い方はどうあれ、バーナビーは当初より随分と虎徹への態度を軟化してくれたように思う。
嬉しいなと素直に思い、虎徹は運転席側へと回った。
「んじゃ乗れよ、そこまで俺が運転してく」
「?だから何処へと…」
「ニュルブルリンクの、北コース」
助手席のドアに手を掛けたバーナビーの目が、珍しくも点になった。


北コースの入り口に着いてみると、そこには黒に塗装され、金色のアルミも眩しい一台のスポーツカーが用意されていた。
少し離れたところにいたスタッフたちに手を振って、虎徹は今度は助手席側へと回る。
「んじゃーどうぞ、新進気鋭の王子様?」
「王子様はやめてください。…というか、これに乗って、僕が走るんですか」
「すげえだろ、ウアイラの最新モデルだぜ?」
ウアイラはイタリアのパガーニ・アウトモビリ社が生産するスーパーカーだ。
最新のV型12気筒ツインターボエンジンを搭載し、5,000回転で730馬力を叩き出す。
駆動系は高級スポーツカーにおける主流なデュアルクラッチ式ではなく、7速シーケンシャル式を採用している。
扉の開閉はガルウィングドアを採用していて、車体のモノコックフレームはカーボンとチタニウムを組み合わせた新開発の専用素材である。
ホイールにはピレリ製の専用タイヤが装着され、更に車体の前後部には合計4枚の可変フラップが搭載されて、空力性能の調節やエアブレーキの役割を担っている。
ウアイラのイグニッションキーは同車のミニチュアを模しており、中央から2つに分けて使用する。もう一方のパーツは車載オーディオに対応したUSBすティックとして使用できる特殊なもので、つまりは超のつく高級車がウアイラだ。
著名なレーサーや王家、富豪から依頼されて作るワンオフの特別仕様も存在し、高額なものでその値段は2億をゆうに超える。
それがこともなげに目の前にある状況に、流石のバーナビーも面食らう。
「…それは確かに凄いですが、でもどうして僕が」
「俺ここ走った事あるもん」
「…!?」
「テストドライバーでだけどな。このウアイラはその時の繋がりでさ、用意してもらったのよ」
「繋がり?誰と」
「オラチオ・パガーニ」
不世出のグレートドライバーとして知られるファン・マヌエル・ファンジオをアドバイザーにして、稀代の名車バガーニ・ゾンダを誕生させたその名前は自動車業界の中では余りにも有名だ。
「創始者でデザイナーの、パガーニとですか!」
「うん。昔よく飲みに一緒に行ったりとかな」
今度こそバーナビーは言葉を失う。
10年のキャリアだけでなく、下積みも長く持つ虎徹の繋がりは思った以上に広いらしい。
言い換えれば、辛辣かもしれないが虎徹の成績でF1ドライバーを10年続けていられたのも、こういった知人たちの支えも決して少なくはないだろう。
「…それでこの、ウアイラの最新型ですか。このテストドライブをと?」
「そ。つーか、半分お前の名前ででこれ貸してもらってるようなもんだ。お前の腕なら絶対壊したりしねえだろ」
俺は壊し屋だからな、と虎徹は快活に笑う。
「もしかして貴方、コースレコードを持っていたりするんですか」
「テストドライバーだし非公式だけどな。でも知りてえ?」
煽るような物言いに、バーナビーの目がすうっと眇められる。
表面のクールさとは裏腹に、シンボルカラーの赤の如く内に熱さと激しさを併せ持っている事を虎徹はもう知っている。
それに、煽られてくれなければ困る。…こっちはその本気の走りを見たくて煽っているのだ。
「ええ。是非」
「パガーニ・ゾンダRで6分47秒50。ちなみにF1のフォーミュラマシンでの、ここでのファステストラップは8分34秒な」
通常のコースタイムなら決して速くはなくとも、この最難関コースで6分47秒50はおそらく前人未到の所業だ。
それを聞いたバーナビーの瞳が一瞬、炎のように揺らめいて濃さを増した。
パガーニ・ゾンダはウアイラの先代に当たる車種である。
トランスミッションこそパドルシフト付の6速シーケンシャルATとウアイラとは異なるものの、パガーニ・ゾンダはその基本性能の高さとデザイン性が高く評価されている。
数えた方が早い生産台数とは裏腹に、辛口で有名な雑誌の20年ベストスポーツカーランキングの4位に入っている事がそれを裏付けている。
だが、最新型のウアイラに乗る以上ゾンダに負けてはいられない。
バーナビーはバケットシートに座り、4点式のシートベルトを引き出した。
「メットいらねえの?」
「少なくとも、初見では不要です。視界を遮られて、コースが把握できない」
バーナビーの本気が垣間見えて、虎徹は思わず口笛を吹いた。
自分は愚直なレーサーだ。だから、もっと人となりを知りたいと思ったら、走りを見たいと思う。
見て、体で感じれば見えないものも見える。
走りは言葉よりもずっと雄弁だ。
「よし、じゃあ行くか。俺も隣な」
乗り込めばバーナビーが少しだけ目を瞠った。
「横に乗るんですか。外で見ているのではなく?」
「俺がいたら、やり辛い?」
「―――いいえ」
負けん気に火がついたらしい。
虎徹は頬杖をついて、真剣なバーナビーの横顔を見ながら動き出すウアイラのシートに身を任せた。


いくらテスト走行とはいえ、正式なものではない。
全部虎徹が金を出して用意したものだ。無理をしてここまでウアイラを運んでもらっている上に、北コースを貸切るのだって莫大な費用がかかっている。
虎徹の有り金では2時間を都合し、5周の周回が限度だ。
1周目、2週目まではコースを覚え、3、4と肩慣らし走行を重ね、5周目の本番に備えるのがベストだった。
全ては5周目にかかっている。
虎徹だってたった数度コースを走っただけでバーナビーが100%の力を出せるとは思ってもいない。虎徹がファステストラップを出した時だって、2日テストコースを走ってからだった。
だから、大いに助け舟は出す。
それをお節介だと思われてもいい。虎徹はバーナビーに興味を覚え始めている自分に気が付いていた。
一緒のチームで走っている時は、直にバーナビーの走りを感じる事は出来ない。
つまりはこれが絶好の機会という訳だ。しかも最もドライバーの腕を端的に図る事の出来る、ニュルブルクリンク北コースがそこにある。
これを使わない手はなかった。
2周目は1周目よりも速度を落とし、よりコースの細部を把握する事に終始する。
思った以上に慎重派だな、と虎徹はバーナビーを好ましく評価した。
自分のようにいつでも全開でコースを勘を頼りにねじ伏せて行くタイプとは余りにも対象的だ。
スタート直後のきつい左コーナーは、狭い道幅をぎりぎりまで活用し、大きくコーナリングしていく。
その後のS字コーナーはアクセルのオンオフだけで軽くすり抜け、次の連続したS字カーブの最初はフルブレーキングで入って行く。
更にアデナウアー・フォルストと呼ばれる右・左・右とタイトなコーナーが連続する区間では、ライン取りの正確さ故にコーナーの中間から既にウアイラが加速に移っている。
これには素直に感心し、虎徹は近づいてくる最難所、『カラツィオラ・カルーセル』を見据えた。
エクスミューレと呼ばれるきつめの登り坂になっている右コーナーもギアの適切な選択で速度を落とさずクリアした所で、虎徹はステアリングを握りこまめに修正舵を取るバーナビーに声を掛けた。
「バニー、一番高い木を目標にしろ」
「…何です?」
極度に緊張した、ゆっくりとした声でバーナビーが答える。
その集中力を刺激しないよう、虎徹は己なりに細心の注意を払う。
「カラツィオラ・カルーセルだよ。入り口が完全にブラインドになってっから、2回見ただけじゃイメージ出来ねえだろ」
「…一番、高い木ですね。参考にさせていただきます」
おそらくは突っぱねる余裕がない方が勝ったろうが、それでも素直に聞き入れてくれた事は嬉しかった。
『カラツィオラ・カルーセル』は斜面の付いた左コーナーが270°展開する見ごたえのあるコーナーだが、反面ドライバー泣かせの難所だ。
凹凸の強い斜面へ飛びこむ瞬間からマシンを旋回させ、まるで飛び出すようにコーナーを脱出していく。つまり、高速であればある程途中でのライン修正は効かない。
その経験がものを言うライン取りのポイントが、虎徹が言うまさにそれだった。
俺を信じろ、とはあえて言葉にしなかった。
けれど、きっと伝わっている。

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